第三話:八番バース、前
八番バースへと急ぐ。
バースとは、船が接岸する場所のことだ。あまり船には詳しくないナギにも、なんとなくわかる単語だ。
桟橋のあるエリアは、首をふっても全長を把握できないほど広い。桟橋のドームは丸い形ではなく、筒が横たわっていると思っていい。直径が五百メートルほどはある、巨大なものだ。それらがいくつかあるのだ。
船はその巨大な筒の両側から出入りをする。
筒の中は、上段、中段、下段、とバースが分かれており、そこに多くの船がクレーンで掴まれて固定されている。
筒の内部では、船が縦横に浮いている様が見られる。少々どころではない、圧巻の景色だ。
そう、つまり、船は浮いているのだ。
理由は、特殊な鉱石――浮石と呼ばれるものにある。
八番バースに続く道で、平行して走る。廊下に出たナギは、桟橋内に目を奪われながら移動している。
「コンテナと船……なんて量だ」
思わず言葉に出してしまう。廊下の窓の向こうには、大小様々な船が見えており、それらに積み込むコンテナと、下ろされたコンテナがひしめき合っている。ここからでは正面にある二十三番バースがちらちらとしか見えない。コンテナが魚の群れのようになっているので、向こう側への視線が遮られているのだ。
ナギの目の前に広がっている光景はすべて、その浮石がもたらした恩恵の上で成り立っている。
浮石――
船乗りの間ではスカイジュエルなんて呼ばれたりする。だが、見た目は単なる石ころだ。
この浮石、実は『死んだ浮石』と区分けされたものだ。死んでいるため、そのままでは本来、役に立たない路傍の石。
しかし、不思議なことに、電気や熱を加えると浮力を取り戻すのだ。
これを利用して、船を初めとした様々なものを浮かせて利用している。しかし、『死んだ浮石』も使いすぎると浮力が出なくなり、石ころに戻るのが欠点だ。また、使いすぎて死んだ『死んだ浮石』を元に戻す方法はわかっていないため、永久に使えるわけではない。
ナギは従業員以外立ち入り禁止と書かれた扉をくぐる。八番バースへと着いたのだ。この部屋は、そこに入るための控え室のようなものだ。
中にはモニターがあり、そこの下に案内板がある。それに従って操作すると、モニターにおじさんが映し出された。
受付係のようなものなのだろうか。ナギは聞いてみることにした。
「すいません、八番の船に来いと言われて来たんですけど、何かご存じないでしょうか」
モニターのおじさんは頷くと、手元のパネルを数度操作して顔をしかめる。
「あぁ、サージさんところのか。書類が来てるが……困った、あんたのサインがないと、どうしようもない」
サインなんて聞いてはいない。焦るナギを見ておじさんも困った顔をする。
そのとき、バース側の扉が開いた。
黒い肌の大柄な男がいた。白髪交じりの頭をドアにぶつけないように、ゆっくりと、かがむようにして入ってくる。
ナギに気づくが何も言わず、モニターの前に並んだ。
「搭乗員名簿かなんかのサインだろう? すまねぇ、急いでるもんで船でやるから通してくれ」
「あぁ、ベルクルトさん、わかりましたよ。では後ほど」
モニターが消える。余韻など、まったくない。向こうも忙しいらしい。
ナギは隣を振り仰いだ。小山のような男だった。
同時に小山は、たくましい身体を向けて応対する。
「なるほど……あぁ、すまない。シスカから聞いている。俺はベルクルト・デーモンシーカー。長いからベルって呼んでくれ。悪かったな。色々立て込んでるんでな」
正面に立たれただけで、大きな身体が放つ、迫力のようなものに圧倒される。
錆びた声と、顔に刻まれた皺で老齢であることがわかる。だが、肉体的な力強さと、凄みのようなものが合わさって、誰しもが本能的に一歩あとずさってしまうだろう。ナギも、その例には漏れていない。
「い、いえ、ナギ・アマヤマです。よろしくおねがいします」
ベルクルトは左手を差し出す。握手では、左を差し出すのはマナー違反だ。しかし、わかっていたのだが、驚いていてしまっていたナギは、咄嗟に左手を差し出してしまった。
「すまない。察してくれてありがとよ、ナギ」
ニヤリと、白いものが優勢のヒゲと一緒に口を歪ませた。どうやらこれが彼の笑みなのだろうが、ナギには凄んでいるようにしか見えなかった。
「こいつが特別製でな。加減を間違えるとちょっとな」
そう言うと右腕を上げて見せた。かすかに機械音で唸った。おかげで、それが生身でないことを教えてくれる。
義手だ。おそらく彼の右腕は、通常ではありえない――つまり、違法な――手を加えているのだ。
驚いて思わず差し出したなどと今更言えず、
「とんっ、でもないです……」
と、詰まりながら応じるしかなかった。
「ところで、浮き服はあるんだろう?」
「一応、着て来いと言われたので下に」
「話が早い。ついてこい」
浮き服とは古い言い回しだった。
浮石は、空の宝石という呼び方もある。主に船乗りが浮石を神聖視していたため、敬意を表して呼んでいたものが一般に広がったのだ。そのため、浮石を浮かすための機構そのものは、スカイジュエルコントロールシステムなんて長い名前をつけられており、頭文字を取ってSJ=CSと表記される。意図せず古い言葉と新しい言葉が混在している。
ナギの世代ではというと、浮き服とは言わず、略してスカイスーツと呼んでいる。
なんてことを指摘してもしょうがない。
ナギは黙ってベルクルトの後をついてゆく。
「おっとすまん。これかぶっておけな」
背負っていた背嚢から、大きな手で、ヘルメットを鷲掴みにして取り出すと、ベルクルトはナギへ放って寄こした。
スカイスーツは基本的にヘルメットの着用義務がある。当たり前のことではあるのだが。
ナギも自前のものを持っていたのだが、今回は不要と連絡を受けていたためここにはない。
「ちなみにそのメットに桟橋内進入許可コードが入ってるから、多少臭いがあっても勘弁しろよ」
とりあえず被っていないと叱られるということだ。急いでかぶると、ヘルメットにありがちな臭さはなく、ふわっといい香りがした。ベルクルトは見た目に反して、細やかなところがあるのかなぁと、ナギは思ったが、やはり口にはしなかった。
二人は揃って控え室を出る。風はあまりないが、桟橋特有の騒々しさがヘルメット越しに聞こえてきた。コンテナ同士が接触する金属音が、特に響く。
「聞こえるか? 桟橋内はちょっとうるせぇ。会話はヘルメットの無線でな。チャンネルは合わせてある」
ヘルメットの中でベルクルトの声が聞こえてきた。見るとベルクルトはいつの間にかインカムを握っている。言葉を伝えるために手のひらを頬に当てた格好になっている。
「ベルさんは、ヘルメットはいいんですか?」
「俺はまぁ、古いから顔が利くんだ。必要ない。よし、とりあえず聞こえてるな。時間がない。船に移動しながら説明するぞ」
先ほどのシスカもそうだったが、だいぶ急いでいるようだ。ナギにはわかりようもないので、言われるがまま従うしかない。
「わかりました、船はどちらにあるんですか?」
「ここから見てあっちだな」
やや後ろ上方を指さされる。振り返って見たが、船は遠くにあって小さく見える。コンテナが邪魔で、船体すべてを見ることができなかった。
「飛ぶから浮き服に電源入れてくれ」
ナギは言われたとおりに、手首のスイッチを入れる。
ふわりと身体が浮く感触。昔は肘や膝など、数点で身体を支えていたために、色んなところが食い込んで大変だったというが、最近では食い込んでも痛くない場所を平面で支える方式に変わっている。
なので、体にかかる違和感はほとんどない。メーカーの意地に万歳である。
「よし、いくぞ」
同意する前に、襟首をつかまれた。ベルクルトが後ろから掴んだのだ。
「ちょ、何を」
焦るが反論するまもなく、景色が流れる。
流れる景色。ぐるっと一周回ったところで襟首の握力がなくなった。
ナギは放り投げられたのだ。