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第二話:面接



 タミ食堂に入ると、そこは戦場だった。

 食券販売機の前は長蛇の列。食事を受け取る窓口では、威勢の良いおばちゃんとおっさんたちが、笑顔で怒鳴りあっていた。

 たくさんあるテーブルでは、屈強な筋肉を纏ったものたちや、メガネにツナギ姿のもの、よくわからない意匠の刺青を入れたものなど、少々クセがある様々な人種が食事を取っている。


 つまり、リクルートスーツの人間などいるはずもない空間だった。

 言われた通りに来たものの、どうしていいかわからない。通常の面接では受付があり、案内をされ、そこで面接なのだが。


 食事をとっている連中も、入り口で所在なさげに立っている若者へ、遠慮のない視線を送っている。

 対してナギは、ネクタイの位置を直す素振りをしてみたり、窓の外を眺めてみたりと、なんとか居心地の悪さを誤魔化すしかない。


 そんなとき、不意に横から声をかけられた。


「ナギ・アマヤマさんですね」

「はい!」


 急に声をかけられたので、驚いて振り向いた。そしてもう一度驚いた。

 目の前には、この食堂には不釣合いなスーツ姿の女性がいたからだ。自分も同じく場違いなのを差し置いて驚くのもおかしいが、それはそれだ。


「わざわざのご足労ありがとうございます」


 銀色のミディアムヘアーは一度降り、再び持ち上がる。ナギも慌てて頭を下げた。


「いえ、本日は、こちらこそ、よろしくお願いします」


 意表を突かれたとはいえ、おかしな受け答えをしてしまったことに、早くも内心後悔が渦巻く。

 肝心の最初をしくじってしまったと思うが、もう遅い。


 ナギの今後の人生を左右するはずの面接が、こうして始まってしまったのだ。





 案内されて勧められた席は、食堂の中でも一番奥の席だった。長居をさせずに回転をよくするための、背もたれのない、パイプの四つ足の丸椅子。汚れを見つけやすく、拭き取りやすい白い机。よくある学食や社員食堂のそれだ。


 席に着く前に、彼女が買ったアイスコーヒーが目の前に置かれている。社員食堂よろしく、もちろんセルフで、彼女自身が持ってきてくれたものだ。


 座った場所は窓際で、ガラスの向こうには、大空が広がっている。先ほどまでの雲はすでに移動したのか、島が置き去りにしたのだろう。


 大きめの端末を操作して、彼女が準備している間、ナギは背筋を正して待った。

 先ほどまでの喧騒は、いつの間にか収まり、点けっぱなしのテレビの音だけが響く。一週間後にこの辺りを通過する嵐の予想進路を、顔自慢の女性アナウンサーが説明している。

 だが、嵐の進路には、食堂の誰もが目にしてはいなかった。ナギには理由がわからないが、こちらを注目しているからだ。視線が集まっていることが、見ずともわかるほどに。


「お待たせしました。改めまして、こんにちはナギさん。わたくし、シスカ・レッドスターと申します」


「よろしくお願いします。ナギ・アマヤマです」


 そう言うと端末を差し出す。ナギも慌てて端末を持つと、小さな電子音とともに、画面には名刺が映し出される。女性らしく、猫が船に乗ってくるくる回っている画像が添えられたものだった。太古の昔では、紙でやっていたものだが、今では端末一つで交換だ。


 挨拶の儀式も済んだところで、いよいよ面接が始まる。

 ナギは緊張する自分を落ち着けるため、シスカから見えていない両足に力を入れた。


「すいません。あまり時間がないものなので、早速いくつか質問させていただきますね」


 シスカは端末を操作する。


「弊社への志望動機は?」


 シスカはまっすぐこちらの目を見据えている。

 面接と言えばこれだ。いきなりではあったが、必ず聞かれることの筆頭なため、予習済み。ナギは覚えてきた文言を答える。唱える、と言ったほうがいいか。


「世界を相手にしたビジネスに魅力を感じたからです。御社のビジネスでは、当然、世界の様々な人々に触れる機会が多いと思います。私は、業務を通じてたくさんの人と触れ合い、成長していきたいと考えたからです」


 ナギは正直、文面通りには思っていない。しかし、嘘もついていない。

 今回の受けている会社は、いわゆる商社というやつだ。世界を相手にしたビジネスはそれだけ顧客は多い。人と会って話すことも苦でもないし、仕事をしていれば嫌でも成長もするだろう。そこから考え出した答えだった。

 志望動機はとっぴなことを言う場ではないのだ。社会的に通用する「言い訳」を、いかに滑らかに、いかにもっともらしく吹聴する能力を、披露するためにある。

 仕事に対して求めるのは、いわゆる安定と給料。これは大部分の人間の正直な要求で、ナギも例外ではない。

 会社も大きいわけだから、よほどのことがないかぎり、給料も安定的に出るだろう。多少タフさを求められても、大企業のそれはかなり魅力的だ。しかし、それを正直に見せても合格を手に入れることはできない。


 ナギはきちんと予習と対策を立ててきた。おそらく、最大にして最後のチャンスなのだ。ヘマはできない。


「わかりました……」


 だが、答えに対し、シスカは少々つまらなそうな顔をした。

 一瞬、ナギは心配になりかけるが、シスカは特に触れてもこない。減点はおそらくないだろうと思い込むことにした。


「では、次の質問をさせていただきます。重要なことなのですが……他にも同業他社が溢れている中、なぜ弊社に?」


 そう、シスカの言うとおりだ。ここが最重要ポイントだ。

 面接において、自分の入社への熱意を訴えるためには、ここでの印象を大きくしなければならない。

「では、うちでなくてもいいですね」と、思われたらおしまいなのだ。


 ナギは失敗しないよう、深い一呼吸してから、口を開いた。


「御社の将来性に賭けているからです」


 言った瞬間、シスカがやや身を乗り出すのがわかった。見守っている周りの連中が、「おお」とか「マジか」などとこぼしているのが、耳に入ってきた。


 さすがにナギでも、面接を逐一聞かれるのは恥ずかしい。だが、ここで怯んではいけないと、腹に力を込める。

 シスカはナギの心情を察したわけではないだろうが、キッと彼らを睨みつけた。辺りに衣擦れがおきて視線が減る。テレビから漏れる、接近する嵐についての予報だけが食堂に流れる。おかしな、静けさが戻っただけになる。


「どうぞ、続けてください」


「すいません……えっと、若輩の意見ではありますが、御社の主要事業はまだまだ伸び代があると踏んでいるからです。私もその伸びに貢献できればと……」


「ほう……貢献とは、どのような形で?」


 ナギが話を続けようとしたが、それをさえぎって、シスカが前のめりで聞いてきた。思ったよりも急な食いつきに戸惑う。理由はわからないが、ここは冷静にならねばならない。


「その、学生のときはここの食堂のような場所で働いておりまして……そのときに培った経験と体力、仕事をしながらでも、大学の授業に出席できるよう学ぶ意欲を持ち続けたことを、御社の業務の中でも生かして――」


 ピピピピッ!

 言い切ろうとしたところで、シスカの端末が鳴った。


「ご、ごめんなさい。しょ、お待ちください」


 シスカは慌てて端末を操作する。

 面接中にはさすがにマナー違反なのはナギでも知っている。

 食堂の連中も「おーいー」「ダメじゃねぇか」「あーあ」などと勝手に声を上げている。彼らも緊張していたのか、一時中断とばかりに、辺りには気の抜けた雰囲気が広がってゆく。


 ナギもまた、気付かれなほどの小さなため息をついた。思わず目の前のアイスコーヒーに口をつける。

 だが、つけてから気付く。用意されたとは言え、面接中に飲むのは、あまりよろしくない行為だろう。慌てて戻して、何事もなかったように、ゆっくりとシスカのほうを窺った。

 だが、幸い、シスカはこちらを見てはいなかった。


 しかし、本日三度目で、かつ、さらに上を行く驚きをもらうことになった。


 整ったシスカの顔が怒りで歪んでいたのだ。

 一瞬にして、眉間に深々と皺が刻まれる。薄めの唇から、鋭い舌打ちが漏れた。右側に顔を引きつらせて、白い歯をむき出す。決して笑顔のときに見せる白い歯ではなく、猛犬の類が威嚇するときに見せつけるものである。


 軽く恐怖するナギを放置したまま、端末をささっと触れて通話モードにする。


「社長、本当? ……うん、うん……うざっ……わかった、すぐやる」


 ナギと同年代の女性相応というか、先ほどまでのビジネスマナーをほっぽりだした会話だった。面接のことなど忘れたかのように、しばらく端末をすごい勢いで操作すると、シスカはすっくと立ち上がった。


「ナギさん!」

「はいい!」


 思わず声が裏返った。忘れられてはいなかったらしい。


「すいません、今から八番バースに停泊中の船へお急ぎください。続きはそちらで」


 シスカは急いだ様子で、早足で食堂を出て行ってしまった。ヒールのカツカツという音が妙に耳に響く。

 途中、彼女に話しかけようとした人に「あ?」と低い声で威嚇していたのは、気のせいにしておきたい。これからの展開には不吉すぎるワンシーンだ。


 ここで躓いてる場合ではないのだ。ナギは息を短く吐いて、本日何度目になるかわからない、気合の入れ直しを行った。

 一生高収入安定ベースアップ切符を逃すわけにはいかない。


「あんちゃん、勇気あるんだなぁ……行き方わかるかい?」


 たまたま近くにいたおじさんが心配そうに話しかけてくる。

 順調な面接が、急に不穏なものになった気がしたが、あえてその気をねじ伏せる。

 しかし、今シスカが飛び出した理由の詳しい話を、訪ねる時間はない。

 もしかしたらこれが、いわゆる最近流行の、ひねったテストなのかもしれない。再びそう思い込んだナギは、おじさんの道案内を聞いただけで急いで食堂を後にした。






 急いで駆け去っていったナギを、同情の目で見送ったおじさんはつぶやく。


「あの若いの、よくあそこに入る気になったよなぁ」


 二人が去ると、食堂の会話は、今の出来事の噂話でにぎやかになる。食堂にいる彼らの会話で、テレビの音は掻き消えてゆく。



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