発端
夏。忙しなく響くセミの声が耳を揺らす。僕はこの虫の声が嫌いだった。数の多さをハッキリと意識させられて、気味が悪い。数が多いというだけで、大抵のものは気持ちが悪くなる。
一方で人間はというと、ここは山奥の小さな農村で、この地区に住んでいる人間は、総勢40人に満たない。もちろん、村の区切りとしてはもっともっと人が住んでいるし、交流も盛んではある。収穫物の納品などで外部の人とも関わることはある。それでも厳密にこの地区に住んでいる人間は、40人ほどしかおらず、その上高齢者がほとんどだった。隣の地区、正確にはこの地域の端の家から、次の家までの距離は結構あるし、村全体としても役場もないハズレであるこの地区に、進んで訪れる人間は、それこそ個人間の親交以外にはほとんどなかったと断言できる。買い物も週に一回、その週の食料を車で買い込みに行く。もうじき地区の統合などで、この地区の名前は消滅するだろうが、この生活が変わることはなかなか想像ができなかった。
若い夫婦や、大学進学を決めた学生は都内の方へ移住していくことが多く、20代、30代の人間はいないと言っても過言ではなかった。そういえば近くに住んでいる山本さんの一人息子は、家業を継ぐとかで戻ってきていたと思う。僕は高校生であるけれど、イマイチ卒業後の進路とか、受験、大学進学、上京だとか、そういった未来のことを想像出来なかった。
とにかく、僕がこの山奥の村を解説してしまうとこれ以上思い浮かばない。十数年間生きてきた中で、それといった感慨も、思い入れも何もないのが事実だ。
通っている中高一貫校も生徒は5人。高校生が僕と、幼馴染のあゆみの二人。中学生が3人。まあ、この場合。あえて中学生の子供達に関して掘り下げる必要もあるまい。強いて言うなら、あゆみに関してすら、この場に名前を挙げる意味はなかった。それでも彼女に対して感傷に浸りたかったというのは、僕も僕なりの人間だったのだろう。
「呉葉ー、今日はなにして遊ぶ?」
これは彼女の口癖だった。数ヶ月ほど前に僕たち以外の最後の同級生が引っ越した時から、彼女と僕は二人で時間を潰すしかなかったのである。一年で結構な数の生徒が減り、この学校も廃校になるとかで、僕たちが最後の生徒になるだろうとのことだ。恐らく隣の地区に吸収される形になるだろう。というか、二人になる前に出来なかったのかとも思う。
いつものように、僕は気だるい返事をするつもりだった。だから、彼女の顔に突き立てたシャーペンは、僕の意志がこもった物ではないと断言できる。声にならない絶叫が響くか響かないかの刹那、ボールペンを喉に突き立てる。これは意識した行動だった。ああ、やってしまった。じゃあ徹底的にやろう。そういったある種の反省を込めての追撃だった。
「――っっっあああああああああああ」
何かを言おうとしたようだが、何がなんだかわからないような顔をしていた。絶叫は当然とも言えるが、僕はそれを待つほど大人じゃなかった。小さい頃から虫を、動物を潰すような悪趣味もあることにはあったが、ああ、やっぱり人に手を出してしまったか、なんて軽い気持ちで、次の行動に出ていた。取り出したハサミを腹部に突き立てる。溢れた血が腹部に伝う。
殺人の大抵は衝動的に行われるものだ。トリックだとかの用意周到な仕掛けなんてものは、普通は存在しない。その一点において、僕の行動は平凡そのものだったことは間違いない。ただし、殺してやるなんて意思もなく、殺意もなく、害意もなく、敵意もなく、無意識で殺してしまったという点においては、自分の悪行を悔いる他なかった。さて。
「たぶん先生が来るだろうから、何とかしないとな」
死体じゃなくて。先生を。
もちろん、あゆみはなかなかの絶叫を挙げたので、その後間もなく先生が駆けつけた。扉が開かれたタイミングで陰から椅子で殴り付け、殴り付け、殴り続け。危険だから、みたいな理由で先頭で入ってきた男性教員をめった打ちにした。そもそもこの生徒数になった学校に、教師が数名もいるかどうかなのは、当然である。後に続いていた女性教諭は、腰を抜かして壁に張り付いていた。
「ああ、すみません。どうやら運がいいみたいです」
学校の椅子の背もたれって、どうしてこう、持ちやすくて振り回しやすいんだろうな。肉塊を一つ増やしながら、僕は淡々と思った。
「つい、つい。いつかはこんな日が来るような来はしていたけど、本当につい、というか、ついに」
ぶつぶつと独り言を呟いているが、僕自身はまともである。ただ、人を見ると不定期的に分解したくなる欲は小さな頃から多々あった。ここまで自然に手を出してしまうような現象は初めてだけども。学校の近くの家に火を放ちながら冷静に考えていた。学校から出た時に返り血を見て腰を抜かしたおばあさんを、学校の草刈り用の鎌(もっといい武器があったろ、一つの後悔)で一刺し、隣の家の物置から薪割り用の斧を回収。その裏手の庭で選択をしてたまたもやおばあさんを、一刀の下に殺害。斧が抜けなくなるし、そもそも重いしで捨てていく。
こうやって何か使えるものがないか吟味しながら進むことになった。感覚的に、どこにどう武器を使えば人が死ぬのかよくわかる、そんな精神状態であった。狩り用の火器(扱いがわからなかったので捨てた)やチェーンソー(重かったので捨てた)など、使えるものを取っ替え引っ替えしていき、極力人に気付かれないよう一人一人殺していった。そうして日がくれていき、最後に残った母を追い、山の中に入り――
「意味がわからない提案をされている」
「行間を読む力の要求値が高すぎますね」
「それはこっちも要求されてんだよ」
正直ちょっとイライラしていた。
「そもそも、もうバレるとかそういう前提はないのに、どうして死体を埋めていたのです?」
「親だからだろ」
「貴方に対して理解を試みた私がアホらしいですね」
女はそう言って溜め息を吐いた。結局のところ、この女が言うことをまとめると。
・数十年に一度、異世界とこの世界の人間を交換して送り込む異世界交換留学生の制度が、各世界の神性の間で執り行われている。
・この世界では、その代表留学生を、今年中に死亡した15歳から22歳の世界的才能を持った男女を競いあわせ、最も優秀な一名が異世界に向かうことになる。
・今回の種目は殺し合い。
ということらしい。
「そもそも、殺しの才能だなんて異世界で何の役に立つんだよ。そもそも殺し合いなんてしたら、基本は殺しの才能じゃなくて、フィジカルが物を言うだろ」
「ええ、ですので、舞台はこちらで用意させていただきます。貴方はバカではありませんので、このルールの理解はすぐに出来ると思いますよ? 仮に生き残り、異世界に行く際の良い練習になることでしょう」
それに、と彼女は付け加えた。
「残念ですが、これには拒否権がございません。既にカウントダウンが始まってまして、そろそろ舞台の方への転移になると思います」
「は? いや待てよ。すぐにっていつだよ?」
「あと2秒くらいですね」
女に文句をつける前に、僕は暗闇に吸い込まれた。36人の命への清算もつけずに、ぬけぬけと。




