巻の一 第八幕
全身に力をこめる。
手足には痺れが残ってるし、脇腹の痛みはまだ治まっていない。
今の状態を嘘偽りなく言えば、最悪の状態から少し良くなったくらいだろう。
それでも、いつまでもベットに横になっているわけにはいかなかった。
一日でも早く動けるようにならないと、ここにまでバケモノを呼び込むことになりかねない。
「アムリタ姉、やっぱり無理だよ」
「無理は、承知の上!」
ルミスが心配そうにあたしへ声をかけてくる。
オババのところへ転がり込んでから、だいたい一週間位が経っていた。
なんとか体が動くようになったものの、まだまだ前のようには動けない。
でも、今の状態でのベストを探さないと。
「オババ、準備はいいよ」
「本当に、馬鹿なやつだね」
オババは呆れたようにつぶやくと、小さな木の実を三つ、ぞんざいに投げ放った。
その実はゆっくり土の上に落ちると、瞬く間に成長し、雑な人形へと変わっていく。
どういう理屈でそうなるのかは知らなけど、オババの術の一つで、木の実から使役物を作り出すものらしい。
師匠に拾われるまでは、こいつらを相手によく訓練してたっけ。
「今のお前の実力を考慮して、昔よりも強力にしてある。覚悟しな」
「それ、怪我人に言う台詞じゃないよね」
そんなあたしの言葉を合図にするように、三体の人形が一斉に動いた。
オババの言葉通り、昔相手にしたよりも遥かに動きが良くなっている。
あの頃は死にそうになりながら相手にしてたけど、あれでも一応手加減されてたんだ。
あたしは右手から迫る人形を目標に定め、足に力をこめ、一息に接近する。
足のもつれと全身の痛みで動きが鈍り、普段からは考えられないような愚鈍さだったけど、なんとか三体が合流する前に目標と対峙できた。
手にした短刀を今一度握り直すと、全力で振り下ろす。
ゆっくりと流れる軌跡を人形は容易く両手を組み合わせて受け止めた。
その衝撃が腕を襲い、あたしは思わず短刀を取り落とすところだった。
腕の痺れが強くなり、感覚が失われていく。
さらに、その間に追いついた他の二体があたしの背後へと位置を取り、視界から消えた。
首の後ろ辺りに起こった這いずるような嫌な感覚に、あたしは大きく左に飛び、そのまま地を転がる。
後ろから襲いかかっていた二体の拳が、あたしと正面から対峙していたヤツの顔面にめり込んでいた。
あれ、直撃してたら死んでると思う。
素早く体制を起こすも、脇腹の鈍い痛みが動きを鈍らせる。
あたしが立ち上がるのと、三体の人形があたしへと向き直るのはほぼ同時だった。
怪我のハンデと人数差をどうにかするには、何か策を考えないといけない。
とはいえ、今の状態だとできることが限られてるから、やるならいつも以上の無茶をやらなきゃならない。それも、確実に相手に致命打を与えられるような。
幸い、動きはそれなりに良いけど、頭は空っぽみたいだから、自滅させることも可能だろう。問題は、どうやってそれを実行するか。
あたしは悲鳴をあげる体に鞭打ちながら、人形をよく観察した。
オババの生み出す人形には核とかいう弱点が必ず存在する。
だから、その核を破壊することができれば、人形自体を破壊することなく活動を止められる。
今のあたしの力だと核を破壊するのは無理そうだけど、やつら自身の力を使えば、それも可能だろう。
あたしは人形の核の場所を見つけ出し、そこを相打ちさせればいいだけだ。
とはいえ、それが簡単にできるのなら苦労はないんだけど。
「……ぐぅっ」
人形の核を探すことに気を取られすぎたせいで、腹部に一撃。
咄嗟に力を後ろへと逃したけど、脇腹の傷にまともに入った。
逆流してくる血を吐き捨てつつ、あたしは無様に転がりながらどうにか人形と距離をとる。
もう一度同じのを食らったら、意識を持っていかれるかもしれない。
だけど、怪我の功名か、あたしにも利はあった。後ろに飛びつつ確認していた人形の動きの中で、核を発見できた。
左脇の下の方、その辺りに核が隠れていた。
これで、狙いは決まった。
「あとは、」
迫りくる人形の動きを見据える。
一体を先頭に、その左右後方に一体ずつ。三角を基本とした陣形をとっている。
おそらく、先頭の一体はそのままに、後ろの二体が先頭の一体を目隠しに連携を仕掛けてくるだろう。
だとすれば、逆にそれを利用する。
あたしは後ろに控えた二体を注視し続け、足に力をこめていく。
あと僅かで先頭の一体との距離に入ろうかとした時、ついに後ろの二体が動いた。
あたしはそれを見逃さず、両手を一気に伸ばし、目の前まで迫っていた一体の腰回りに巻き付く。
そして、脚力と腕力を駆使して、手を伸ばした一体に抱きつくような形をとった。
あたしの予想外の動きに一瞬乱れが生じるも、人形達はすぐさま反応を見せ、あたしを包囲するように位置を変えていく。
あたしは絡めていた腕を解くと、足だけでどうにか人形へ体を固定する。
三体の人形は、無防備なあたしへ向けて拳を振りかざした。
あたしは両腕を伸ばし迫る二つの拳を絡め取り、腰を捻りながら真上からの拳の軌道を逸らす。
絡め取った腕を引き込みつつ、全身に駆け巡る痛みを無理やり押さえ込みながら更に腰に捻りを入れる。
あたしの介入により位置と姿勢を崩した三体の人形は、互いに揉み合いながらそれぞれの拳を相手の核へと突き入れた。
微かに何かが割れる乾いた音を響かせながら、人形の動きが止まる。
「ふぅ」
あたしは全身の力を抜き、地面に伸びた。
脇腹の傷口が開いたのか、服に血の染みができている。体のあちこちが痛む上、緊張が解けたせいで力も入らない。
こうなると、暫くはまともに動けなさそうだ。
「アムリタ姉、大丈夫?」
寝転がっているあたしの元へ、ルミスが泣きそうな顔をしながら近付いてきた。
いや、泣いてるのか。
「なんで、泣いてるの?」
「アムリタ姉が無茶するからだよ! 生きた心地がしなかったもん」
「まあ、ちょっと死ぬかと思ったけどね、あたしも」
「あんなもん、今のお前でもどうにかなるだろうよ。そもそも、そうでなきゃ、イワノフの相手なんぞ務まらんからの」
「でも、今は体を治すのが一番でしょ、オババ様」
「残念じゃが、そうも言ってられなそうでな」
「近くまで来てる?」
「うむ。もう、見つかるじゃろ」
だとすると、オババのスパルタも仕方ない。場合によっちゃ、明日にでもバケモノ退治になるかもしれない。
心配があるとすれば、体力の回復が間に合うがどうか、かな。
そんなことを考えていたら、オババが薬瓶を一本取り出して、あたしの脇に置いた。
「そいつを飲んどきな。暫く、疲れは誤魔化せる」
「さすが、良くわかってる」
あたしは起き上がると、瓶を取り上げ、一気に中身を飲み干した。
喉をドロドロした液体が流れ落ち、口の中を言葉にできない味覚が充満する。
「うげぇ、まじぃ。相変わらず最低な味だよ、オババの薬」
「ヒヒヒ、良薬口に苦し、だよ」
「大人しくしてるのかと思ったら、何してるのよ」
あたしがオババの薬に喘いでいたら、いつから居たのかティトルが声をかけてきた。
手には見慣れない革鞄を抱えている。
「やっと来た。でも、良いタイミングかもね」
「バッケンジーが意外と手間取ったみたい。それにしても、三丁も用意したのよ、彼。あんたはいつも三つで注文してくるから、って」
言いつつティトルが開いた革鞄には、このあたりでは珍しい回転式の短筒が三丁、丁寧に収められていた。
あたしは内の一丁を手に取ると、状態を確かめる。
握り加減や弾倉の具合を確認しつつ、先にある篝火に狙いをつける。
今の状態でも、問題なく固定はできそうだ。
引き金にかけた指に力を入れると、炸裂音と共に銃弾が飛び出し、篝火の芯を吹き飛ばした。
体にかかる反動も、なんとか耐えられる。
「な、何、今の?」
ルミスが銃声に驚き、目を白黒させている。オババの方も、銃に対して嫌悪の表情を見せている。
「そんな嫌そうな顔しないでよ、オババ。今のあたしの状態だと、こういうのが必要なの。まあ、万全な状態でも、手に余る相手なわけだけどね、イワノフは」
「あと、荷物が遅れたお詫びにって、バッケンジーからこれを」
言いつつ、ティトルが小さな包を取り出した。
包を解いてみると小箱が現れ、その中には一発の銃弾が丁寧に収められている。
小箱にはバッケンジーからのメモがあり、『君のことだから、また無理をするのだろう。これは、我輩からの餞別である。その破壊力は吾輩が保証する。有効に使い給え』と、走り書きされていた。
「これ、大丈夫なんだろうな?」
バッケンジーの保証付きってのが、どうにも気になる。あの男の商品を見る目は確かなんだけど、偶にとんでもない一品を掘り出してくる。そのせいで、何度か酷い目にあったこともあるし、まあ、でも、それのお陰で窮地を脱したのも事実ではあるけど。
「あの男、まだ武器商人なんぞやっとるのか」
「ええ、そうですよ。相変わらず、変わり者ではありますけどね」
「変わり者ってか、変態の域に達してるよ、あいつは」
あたしは手にしていた短筒から弾薬をすべて取り出すと、バッケンジー秘蔵の弾丸をこめて懐にしまった。
残り二丁は同じく革鞄に入っていたホルダーで両足に固定する。腰には短刀を収めているので、まあ、仕方ない。
「さてと、」
と、あたしがオババの店の方へと振り向くと当時に、そこから激しい轟音が轟き、地響きが広がっていく。
「こ、今度は何!?」
ルミスがうずくまって震え上がる。
「早いお着きだ」
こんなに早く来るとは予想外だったけど、まあ、覚悟はできている。
「オババ」
「大丈夫じゃ、店の子達はすでに逃げとる。今日は、開店休業でな。この二人のことくらいは、儂に任せぃ」
「ありがと。じゃ、いってきます」
大きく伸びをして歩き出すと、意外にも体は軽い。
何のかんの言っても、オババの薬の効果はテキメンだ。
「アムリタ、ちゃんと帰ってきなさいよ! 店の修理代、まだなんだからね!」
「あいあい、わかってますよ」
あたしは肩をすくめつつ、土煙の立ち込める中心地へと向かっていった。
「出てくるのがおせぇな、嬢ちゃん。あちこち探したぜ」
「あんたにやられた傷、まだ痛いんだよ」
そう言って、あたしは自分の脇腹を指し示した。
「穴が空いたんだ。それに、あたしみたいな体質は、怪我は簡単に治らないからね」
「体質じゃぁない。それは、呪いだ。神を冒涜する、罪人の証だ」
「なら、あたしは何をしたんだ? あたしはただ産み落とされて、捨てられたたけだ。こんななりをしちゃいるけど、神に弓引いたことなんてないと思うけどねぇ」
あたしが長い腕を目一杯広げてみせると、イワノフは愉快そうに笑った。
「アグリタ種が罪なんじゃねぇ。お前の存在、それ自体が罪んだよ」
イワノフが大斧を構える。
あたしは両手に短筒を握りしめると、銃口をイワノフへと向けた。
「おいおい、つまんねぇもん出しやがって」
「仕方ないじゃない。そこらじゅうボロボロで、これくらいしかあんたに対抗する手段がないんだから」
「豆鉄砲が俺に届くと?」
「そうね」
あたしは二つの銃口をイワノフの右膝に合わせ、引き金を引いた。
けたたましい銃声と共に吐き出された銃弾は、狙い違わずイワノフの右膝を打ち抜き、バケモノに膝をつかせる。
「あ、え、あ?」
イワノフは混乱していた。
間髪入れず、左膝へ。
しかし、すんでのところで大斧に銃弾が弾かれた。
頭、腕、足、胸、腹、二つの銃口がイワノフのあらゆる部分を狙い撃つ。
イワノフは銃弾に翻弄されながらも、致命打になりうる一撃は確実に防いでいた。
あたしは空になった弾倉に次弾を装填していく。
「どういうことだ? なぜ、俺を撃てる? それだけの殺意を向けながら、どうして俺を撃てる!?」
よろめきながらも、イワノフは立ち上がった。
右膝から止めどなく血が流れ出ている。
「神人であるあんたなら、あたしが無縁者であることくらい、わかってるんでしょ?」
弾倉を満たした銃口を、再びイワノフへと向ける。
イワノフは自らを守るようにして大斧を構え直した。
「当然だ。だからこそ、神の命によりお前を殺す必要がある。神人である、この俺が!」
「無縁者は、神の奇跡の恩恵を受けれない。それは、この世で生きていく中では、この上ないハンデになる。神の奇跡で傷や病気を治してもらったり、不運を改善したり、そういったすべてを受けられないからね。でもね、唯一つ、たった一つだけ良いこともあるんだよ。それは、あんたみたいな神に愛された存在を、殺せる、ってことさ」
あたしは二丁の短筒を操りながら、イワノフの防御の隙間を狙って傷を与えていく。
イワノフは右足を引きずりながら、それでも驚異的な身体能力で銃弾を防いでいた。
「あんた自慢の弾除けも、あたしには何の効果もないのさ。だから、これであんたを殺せるんだよ」
全弾撃ち尽くし、再装填を行う。
その瞬間を待っていたように、イワノフの巨体が動いた。
あたしが短筒を使っている以上、弾切れからの再装填が必ず発生する。そして、その時こそが相手にとっての最大の好機である。
そんなことはあたしだってわかっている。だから、最初にダラダラ装填作業をしてみせたんだ。イワノフが見誤るように。
あたしは左手の短筒に手早く再装填すると、抜き打ち気味にイワノフの眉間を狙った。
銃声に咄嗟に反応を見せたイワノフだったが、右膝の傷が災いし、動きが遅れる。それでも首を捻り、眉間を避けて右耳を失うだけにおさめていた。
イワノフの咆哮のような叫びが辺りに響き渡る。
続けざまに全身の急所を狙うも、そのことごとくをイワノフは弾いてみせた。
血走った目であたしを睨みつける。
「俺は、貴様を侮っていた。いや、無縁者を、だ。神の奇跡の前では、貴様の様な存在など、塵芥に等しいと思っていた。だが、そうではなかった。まさに、窮鼠猫を噛む、だな。俺は考えを改めなければならないようだ。どんな者を相手にしようとも、全力をもって滅ばさねばならないと。あの日、あの時のように」
イワノフの纏っていた雰囲気が様変わりしていた。
これまでのような、どこか戦いを好む様子ではなく、厳粛なものへと変化している。
その様はまさに神人と呼ぶに相応しく、神の代行者そのもののように見えた。
この変化は、あたしにとってとてもマズイ状況だろう。
そしておそらく、今の姿こそがイワノフの神人としての本質なんだろう。
「神の威光を以て、咎人を断罪する」
イワノフが厳かに宣言すると、あたしの周りの空気が重く変質していく。
指先を動かすだけのことに、全意識を集中しなければならないほど息苦しい。
あたしは喘ぎ喘ぎ短筒の再装填を終えると、自らを奮い立たせながら銃口を持ち上げる。
全身から冷や汗が吹き出し、少しでも気を緩めると気を失いそうだった。
「貴様は良くやった。だが、相手が悪かった。俺は、咎人を断罪する者。俺が咎人と認めた者は、神のそれと同じ。神に仇なす、謀反者である」
歯を食いしばって引き金を引くも、まともに狙いが定まらない。
それどころか、引き金を引くだけの作業が苦痛を伴うものに変わっていた。
こんなのは、完全に埒外だ。人間業じゃない。文字通り、神の御業だ。
「その顔、覚悟はできているようだな」
イワノフが目の前まで迫っていた。
あたしは気力を振り絞り、銃口をイワノフへと向け、引き金にかけた指に力をこめる。
「無縁者が俺ら神人を殺せるなど、驕りも甚だしい」
イワノフは空いた左手であたしの両手の短筒を掴むと、事もなげにそれを取り上げ、後方へと投げ捨てた。
そして、左手をあたしの眼前に掲げ、視界を塞いだ。
「これはせめてもの慈悲だ。死の瞬間を知ることなく、暗闇の中で眠るがいい」
あたしの目を塞がれている。
闇の中、前方で空気が動くのがわかる。
イワノフが大斧を振り上げたのだろう。
それが振り下ろされれば、あたしは真っ二つにでもなって死ぬんだ。
一泡吹かせるはずが、右膝を撃ち抜いただけだった。
「神に赦しを乞うのだ。これが、最初で最後の機会だ」
神に赦しを乞えだって。バカバカしい。
あたしが何をしたってんだ。あたしはただ、この生き難い世の中で必死に生きてきただけじゃないか。
神があたしに何をしてくれた。この奇妙な体で、呪いの子だの何だの言われて、更には、無縁者なんていう、神に見放された存在に貶められて。
でもね、あたしは文句なんて一度も言ったことはないんだ。
あたしはあたしの境遇を全部受け入れて、それでもって、全部を跳ね除けてやる。そうやって生きてきたんだ。
だから、
「だから、神なんて、クソくらえ。あたしが殺しに行ってやるから、ガタガタ震えながら、待ってやがれ」
「愚かな」
何かが風を切る音が聞こえる。
あたしは目を見開くと後ろに上体を反らし、両手で姿勢を保つ。
首を狙った大斧が過ぎ去ると、真っ赤な血が吹き出した。
あたしは傾いた姿勢を維持したまま、胸の間から三本目の腕を突き出しつつ、懐の短筒を握り、銃口をイワノフの頭部に定めた。
「…、……、…」
あたしの声にならない言葉が血の泡とともに口から迸り、同時に一際大きな銃声が辺りにこだましていった。
イワノフは驚きの表情を僅かに見せた後、その頭部が熟れた果実のように弾け飛んでいく。
あたしは発砲の衝撃に耐えきれず、大きく後ろへと弾き飛ばされていった。
吹き飛びながら、今度こそ死ぬんだろうと思った。
吹き飛んだ衝撃で地面を引きずられながら、あたしは意識を失っていった。