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巻の一 第七幕

気が付くと、ベットで寝ていた。

どことなく懐かしい天井を眺めながら、どうして寝ているのか、考えてみる。

あたしは何をしてたんだっけ。

記憶を手繰っていくと、おぼろげに景色が浮かんでくる。

くすんだ町並み、広がる血の海、巨大な斧、不気味に笑うバケモノ。

ああ、そうだった。あたしは、あのバケモノとやりあったんだった。

最後の最後にヘマをして、横っ腹に穴を空けられて気を失ったはずだ。

あれで、あたしは死んだはずだった。

でも、今こうして生きている。

いや、本当にあたしは生きているんだろうか。

ベットから身を起こそうとすると、腹部に激痛が走った。

喉の奥から唸るような声を上げつつ、その痛みが生きていることを思い知らせてくる。

どうやら運良く、あたしは命拾いしたらしい。

腹部で発した激痛は、次第に体中に広がっていき、体のあちこちで痛みが発生していく。

痛みが体を支配し、あたしは体を動かすこともできなくなっていた。

しかたなく、あたしは痛みに耐えながら古ぼけた天井を見上げる。

以前に見た覚えるのある天井ではあるけど、痛みが邪魔をして正確に思い出せない。

この天井を見たのは、いつ、どこだっただろう。

最近は見ていないはずだ。この天井は、あたしの住んでいた家のものとは似ても似つかない。

ティトルのところとも違ってるし、どこで見たんだっけか。

いろいろと考えをめぐらせてみるけど、何かを思い出しそうになる度に激痛が走って考えがまとまらない。

というより、とにかく痛い。

痛みを和らげようと姿勢を変えてみるけど、どの体勢でも痛い。

痛みしかない。

「うギギギィ……」

「とうとう、おかしくなったかいな」

あたしの口から出る奇妙な音に応えるように、しわがれた声が頭上から響いてくる。

この声は、よく覚えてる。昔、嫌というほど世話になった人の声だ。だから、忘れようもない。

相変わらず、体は痛いんだけど。

「おかしくない、体が痛い」

「そりゃ痛かろう、普通なら死んでる傷だ。死んでないのが不思議なくらいさね」

「あたしは死んだと思ってた。何で生きてんの?」

「お前さんの連れが、泣いて懇願したんでね。無下に扱うわけにもいかんだろう。だから、お前は生きてるんだよ」

あたしを生かそうとする人間なんて、数えるほどしかいない。

そして、オババが言ってるのはおそらくティトルのことだ。あの時、最後にティトルの声を聞いた気がする。あれは、気の所為じゃなかったんだろう。

「オババ、あたし、どのくらいで動けるようになる?」

「知るかいな。そんなもんは、お前の体次第だよ。お前が生きてるのは、奇跡みたいなもんなんだよ。今だって、いつ死んだっておかしかないんだ。良いかい、いつ死んだって、おかしかないんだよ」

「今までだって、こんなことはあったじゃないさ。今更、何言ってんだか」

「ああ、そうさね。その度、あたしゃ、お前を生かしたことを後悔したさ。下手な親心なんて、持つもんじゃないってね」

オババは心底呆れたような顔をしている。

そりゃまあ、あたしは迷惑のかけ通しだったけど、オババに助けて欲しいと頼んだことは一度もないんだけどなぁ。

助けを求めるのは、だいたいあたしじゃなくて他の人で、その度に今回みたいなやり取りをしてる気がする。

「あたし、動けないと困るんだよね。バケモノに狙われててさ」

「知っとる。イワノフと事を構えておるんだろう。何でそんな事になった?」

相変わらず耳が早い。この年寄りに、隠し事はできないらしい。面倒なこった。

「あのバケモノが神人だってのは、オババなら知ってるだろう。でだ、あたしが無縁者だってのがバレたらしい。それで、執拗に追われてる。あたしを殺すんだとよ。あたしみたいのは、神にとっちゃ生きてちゃならない存在らしい。あいつがあたしの事を知った以上、あたしが死ぬか、あいつが死ぬか。それだけだよ」

「難儀なもんだね。まあ、わかってたことだが」

「ああ、気にしたところで、どうにかなるもんじゃないさ」

そう、どうにかなるものじゃないんだ。

あたしの境遇は、生まれた時から決まっていたことだ。アグリタ種という望まれない姿で生まれ、無縁者という神の恩恵を受け取れない性質を与えられ、親の顔すら知らずに生きてきた身の上としては、いつ死んでもおかしくない。今まで生き永らえてきたこと自体、神の気まぐれでしかないのかもしれない。

でも、やられっぱなしで終わるのは、あたしの性分じゃない。生きているってんなら、あのバケモノに一泡吹かせないことには、どうにも落ち着かない。

「動けるようになるのがあたし次第なら、今すぐでも問題はないわけね」

言って、あたしは勢い良く体をベットから引き剥がした。

脇腹から体が裂けるような痛みが発し、それに呼応するように全身のいたるところが悲鳴を上げる。思わず、狼みたいな唸り声が口から漏れ出た。

それでもなんとか、体を動かすことはできそうだ。

でも、血が抜けすぎたせいか、いまいち力が入らない。

「お前、そんな体でどうする気だい?」

「血が足りないから、まずは肉かな? その後のことは、食べてから考える」

「その体で、肉なんか食えるもんかね。止めときな」

「良いだろ、好きに食べても」

あたしは痛みを無理やり抑え込むと、歯ぎしりしながらベットから立ち上がる。

痛い。全身が痛い。痛すぎて、どこにも痛みが逃がせない。息をするだけで、痛い。

「言ったろ、無理なんだよ。今はまだ、大人しく寝てな」

オババが手にしていた杖であたしを小突くと、抵抗する間もなく、ベットに尻餅をつくことになった。

その振動が、全身の痛みを誘発する。

あたしはそれに耐えきれず、ベットに倒れ込んだ。そしてまた、全身を激痛が襲う。

「馬鹿なことは、傷が落ち着いてからにするんだね。暴れてると、また、腹に穴が開くことになるよ」

オババの言う通り、今のあたしがイワノフの前に出たところで、殺してくれと言ってるようなもんだ。

これじゃ、一泡吹かせるなんて、夢のまた夢。

「無駄死にしたいわけじゃなかろう。なら、まずは傷を癒やしな。それくらいの時間なら、なんとかしてやるよ」

言うだけ言って、オババは出て行った。

あれでも、あたしを心配してのことなんだろう。それはわかってるんだけど、あたしもひねくれてるから、素直には受け入れられない。ティトルとはこうはならないんだけど、オババとはいつもこうだ。何でだろうかと考えると、オババには一番ひねくれていた時期に世話になったせいかもしれない。オババに会うと、あの頃のことを自然と思いだしているんだろう。

あたしは痛む体を引きずりながら、ベットに潜り込む。

思えば、オババには生きるためのいろはを実地で叩き込まれた。炊事洗濯、畑仕事に裁縫、はては夜伽のやり方まで。まあ、男の扱いに関しては、ここが娼館だってのが一番の理由だけど。あの頃は、他にやることもなかったから、せっせと男の相手をして稼いでたよなぁ。昼も夜も関係なく、金持った男が通って来てたっけか。

そう言えば、あたしがいた頃の娘達は、まだ残ってるんだろうか。

「アムリタ姉、気が付いたの!」

あたしが当時のことを思い出していると、忙しない足音と共に、まだ幼さの残る少女が顔を出した。

この顔は覚えている。なぜだか妙にあたしに懐いていた子だ。何かと言うと、あたしの後ろを付いて回っていた。

「ルミス、あんた、全然変わってないね」

「変わったよ! 私だって、大人になったんだよ。お客だって、とれるようになったもん」

そう言って頬を膨らませるところを見るに、とても大人になったとは言い難い。まあ、体つきは成長してるとは思うけど。

「そんなことより、アムリタ姉、傷はもう大丈夫なの?」

「いや、まだ駄目だってさ。オババに怒られた。それに、起き上がるにも上手く力が入らなくて、まいったよ」

「なら、傷の手当は必要だね」

ルミスは鼻息荒く気合を入れると、手にしていた道具一式を手慣れた様子で広げていく。包帯やら薬瓶やら、傷の手当に必要な道具類らしい。

思い返してみると、昔から傷の手当なんかはルミスが担当してたっけ。あの子、その方面に才能があったみたいで、暇があればオババに仕込まれてたみたいだし。

「あんた、変わらずにこういうのやってるんだね」

「うん。でも、アムリタ姉がいた頃よりもすっと、上手くなってるよ。まあ、見ててよ」

言葉通り、ルミスの手際はあたしが知るよりも格段に良くなっていた。昔は、包帯を外すだけでもオタオタしていたように記憶している。

「うわぁ、これはエグいね」

顕になった脇腹の傷を見て、ルミスが素直な感想をこぼす。

あたしもまともに見るのは初めてだったけど、ひどい有様だった。抉れた肉の代わりに、オババが処置したであろう魔蝋の詰め物がされている。肉と魔蝋が接しているところの多くは膿んでいて、血と混ざり合い悪臭を放っていた。

その膿や血を、ルミスは丁寧に拭っていく。

布が傷口に触れる度、耐え難い痛みに襲われたが、あたしはどうにか堪え続けた。

「傷口が大きいから、魔蝋との接合があんまり上手くいってないみたい」

「だろうね。そもそも、魔蝋の処置はこんな傷を想定したもんじゃないんだ。それを、オババの腕でどうにか誤魔化してるようなもんなんだから、今の状態でも上出来だと思うよ」

「それは、そうだけど」

もともと、魔蝋はちょっとした傷を保護するように使うものであって、腹に空いた傷を塞ぐようなことはしない。もっと言えば、魔蝋自体、使われることはほぼない。普通の人間なら、癒やしの奇跡を施されるからだ。魔蝋なんてのは、オババだから知ってるのであって、普通は存在自体、知りもしないだろう。

この方法は、あたしみたいな境遇の人間くらいにしか、使うことなんてあるわけもないんだ。

「それにしても、こんな状態で良く生きてられるもんだな。自分自身、この傷を見ると信じられないんだけど」

「オババ様も、同じこと言ってたよ。アムリタ姉が生きてるのは、奇跡的だって」

「それは、さっき聞いた」

ルミスが塗り込む薬に、あたしは今日何度目になるかもわからない唸り声を上げる。喉の奥から絞り出される声を聞くと、どういう訳か痛みに耐えられる気がしてきた。

「薬はこれだけだから、もう大丈夫だと思うよ」

薬瓶に蓋をすると、ルミスはあたしの体に包帯を巻き始めた。

まだ傷口は鈍い痛みと鋭い痛みを交互に発しているけど、歯を食いしばっていれば耐えられないこともない。

こういう時、己の境遇を恨まずにはいられなかった。奇跡の恩恵を受けられれば、こんな傷の一つや二つ、屁でもないってのに。

「はい、おしまいだよ」

「ん、ありがと」

手当が終わっても、鈍い痛みが続いている。落ち着くまで、しばらくかかるだろうか。

「オババ様からも言われたと思うけど、今は、少しでも傷を治すことを考えてね。無茶はしない、これは約束」

「無茶しようとしたけど、身体が言うこときかなかった。なんで、しばらくは寝てる」

「ぜひ、そうして下さい。じゃ、また来るね」

ルミスが嬉しそうに手を振りながら部屋を出て行った。

塗薬の中に痛み止めもあったらしく、少し痛みが和らいだ気がする。気はするが、それで動けるようになるわけもなく、あたしは大人しくベットに横になった。

こうやって、ここを出てからオババの世話になる時は、大抵大怪我して担ぎ込まれる。

怪我抜きでオババに会ったのは、もうだいぶ前のような気がする。オババに会った最近の記憶の殆どが、怪我をしたことへの皮肉とお小言しか思い出せない。

あたし自身の足でここに来た最後の記憶は、確か、あたしが今の仕事を始めることをオババに話に来た時。まあ、その時も怪我したのとそうは変わらないことしか言われてないんだけど。

「うぅ、動こうとすると、やっぱり痛い」

今までも怪我はしてきたけど、動こうとするだけで激痛が走るのは初めてだ。いつもなら二三日で回復するはずだけど、今回は無理かもしれない。

ただそうなると、いつまでもここに匿ってもらうわけにもいかない。あのイワノフのことだ、オババの術があったとしても、神の奇跡でここに辿り着いてくるだろう。

そうなる前に、まともに動けるようになるか、別の場所に移動する必要がある。

何だか考えてるだけで面倒になってくる。

あたしが寝ている間に、誰かがあのバケモノを殺してくれればいいのに。そうだ、それが世のためにもなるんじゃないだろうか。

「でも、そんな幸運、降ってこないよねぇ」

「あんたにとっての幸運は、今、生きてることじゃないの」

無遠慮に入り込んできたティトルが、あたしの独り言に返事をくれた。

その目は少し赤くなっていて、もしかすると、泣いたのかもしれない。

「それは散々言われた。だから、終わったのよ、そっちは。今は、イワノフが死んでくれることを願ってるわけ」

「それは、無理な相談ね。あんたがここに来てから、街のあちこちであいつが暴れてるわ。あと、イワノフを雇ったメリニスとも小競り合いを続けてるし、街中、ひどいわよ。外野は傍観を決め込んでて、今の所、収まる様子もないからね」

「だとすると、あたし自身で何とかするしかないわけ?」

「領主も自警団も、動く素振りはない。天災にでも襲われてる感覚かしら」

「それには同意。あれは、天災に近いもの」

「その天災だけどね、後ろ盾が神様なだけに、ここも時間の問題よ」

「わかってる。もう少し動けるようになったら、ここから出てくつもりだから」

あたしが思ってた通り、イワノフには小手先の誤魔化しは効かないようだ。あれだけ殺しまくってるんだから、神ってのも、いい加減見限れ、っての。ほんと、信用ならない存在だよ。

「出てくって、行く宛とか、治療とかはどうするのよ?」

「一時的なもんだから、何とかなるっしょ。あたしが死ぬか、イワノフが死ぬかすれば、落ち着くんだし」

「それは、そうかもしれないけど……」

あたしが死を口にした途端、ティトルが勢いをなくす。ティトル的に、今回の一件は相当こたえてるらしい。いや、今までもそうだったけど。

「わかってる。一応、生きてるつもりだから、これからも。で、せっかくティトルが来たから、一つ頼まれての欲しいんだけど」

「あんたがそんな状態だから、ある程度はわがまま聞いてあげるけど、無茶は言わないでよ」

「簡単なことだよ。武器商のバッケンジーに、大陸製の最新式短筒を用意して欲しいだけだから」

「短筒を? あんたが?」

「この際、好き嫌いは言ってられなそうだから」

そう、言葉にした以上、主義や好き嫌いに構ってなどいられない。あたしは、自分の言ったことを実現しないと。そのためには、自分の心を捻じ曲げることだって必要なんだ。

でもなぁ、短筒、嫌いなんだよなぁ。

「まあ、そのくらいだったら。二日もあれば、手配できるでしょ。届け先は、ここで?」

「よろしく」

できれば、あたし自身の手でケリを付けたいところだけど、傷の回復状況を考えるに、そうもいかなそうだ。あの肉の塊、一度は短刀を突き立てたかった。

「他に必要なものは?」

「血が足りない」

「それは、私じゃなくてオババに言ってね」

「肉食べる、って言ったら、無理の一言で終わった」

「そもそも、食欲あるの?」

「あんまり。でも、食べないと力が出ないでしょ」

「無理に食べても、もどして終わりだと思うけど」

「あぁ、……、それは考えてなかった」

言われてみれば、今の状態で無理して食べても、身体が受け付けないで吐きそうだ。食べて体力戻して、そればっかり考えてたから、自分のお腹の状況なんて気にもしてなかった。痛いのに。

「とにかく、あんたは馬鹿なこと考えてないで、素直に寝てなさい。短筒の件は、私がなんとかするから」

「了解、そうする」

ティトルが優しく頭を撫でてくれた。

怪我をする度、こうやってベットで寝ているあたしの頭を、少し寂しそうな笑顔で優しく撫でるティトル。

あたしはこうやって、いつも周りの人間に心配ばかりかけている。

それを、まあ、少しは悪いとは思ってるけど。

悪いと思ってるから、短筒を使おうとも思ったし、今回は何が何でも生き残ってやろうとも思ってる。

ティトルが手を振りつつ去っていく背中を、あたしは、ただ静かに見守り続けた。

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