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巻の一 第四幕

人通りの途切れた薄汚い裏通りに、そことは似つかわしくない服装をした人物がおろおろと立ち往生していた。

その姿を遠巻きに眺めている者が少なからずいるが、誰一人として声をかけることはない。

その人物は右へ左へと狭い路地を行き来しつつ、何かを探しているようだった。

「何か、お探しですか?」

その一見挙動不審な人物へ、両手に荷物を抱えたティトルがそっと声をかけた。

一瞬身を固くし警戒の色を見せるが、ティトルの姿を認めると肩の力が抜けていく。

「ええと、お邪魔でしたか?」

「い、いえ、そうではなくて、この辺りは、怖そうな人が多かったものですから」

ティトルの笑顔に相手の警戒は解けていき、次第に自然体に戻っていく。

「あはは、確かにね。この辺り、あまり上品なところじゃないから。お姉さんみたいな人には、ちょっと酷だろうね。それにしても、どうしてこんな薄汚れたところまでいらっしゃいました? 迷ったのなら、安全なところまでご案内しますよ」

「いえ、こちらへはお店を探しに来ましたの。『ティルトーヌ』という名のお店なのですが」

それを聞くや、ティトルが豪快に笑いだした。その様子を、女は面食らったように眺めている。

「ああと、ごめんなさいね。おかしな偶然だったものだから。その店、私の店よ」

「ほ、本当ですか?」

「ええ。良かったら、付いて来て」

そう言って、ティトルは狭い通路をスイスイと進んでいく。女は慌てた様子で、その後姿を追った。

「そういえば、あなた、名前は?」

「は、はい。イメルダと申します」

「じゃ、イメルダ。もう少しだから、頑張って付いて来てね」

「はいぃ」

足早に先を行くティトルの後を、イメルダは慣れない道を必死に付いていく。

そうしてしばらく追い駆けっこ続けると、ティトルが壊れかけた看板を掲げた店の前で足を止めた。

イメルダは息を弾ませながら追いつくと、傾いた看板を確認する。

「た、確かに、『ティルトーヌ』ですね」

「言ったでしょ、私の店だって。ささ、入って入って」

ティトルは両手がふさがったままの状態でありながら器用に店の扉を開けると、滑るように中へと入り込む。

それから少し遅れて、イメルダが店の扉をくぐった。

中に入ると何とも言えない安心感に包まれ、イメルダは腰を抜かしてしまう。それを横目で見つつ、ティトルは両手の荷物を抱えたままキッチンの奥へと消えていった。

「荷物を置いたらそっちに戻るから、ちょっと我慢してちょうだいね」

奥から聞こえてくる声を聞きながら、イメルダは何度も足に力を入れてみようと試みるが、一向に立ち上がれる気配がない。

そうこうしていると、ティトルが奥から戻ってきた。

「まだ、腰が抜けたまま?」

「ええ、この店に入ったら、なんだか安心してしまって」

「まずは、腰を落ち着けましょうか」

ティトルはイメルダに肩を貸し、近くの椅子に腰掛けさせる。

「このまま、ちょっと待っててね」

そう言い残し、再び奥へと消えていった。

残されたイメルダは、物珍しそうに店内を見渡す。彼女の知るどんな店とも、この店は違って見えていた。それが、彼女の好奇心を掻き立てる。

「はい、お待ちどうさま」

言いつつ、ティトルはティーポットとカップを持って戻ってきた。ポットから中身をカップに注ぎ込むと、イメルダの前へ。

「ハーブティーよ。少しは落ち着くと思うんだけど」

「ありがとうございます」

イメルダはカップを両手で包み込むように持ち上げると、そっと口をつける。中の液体が喉を通り過ぎていくのを感じると、不思議と落ち着きと力が戻ってくるようだった。

「いろいろとご迷惑をおかけして、申し訳ございません」

イメルダが座ったままだが、丁寧に頭を下げる。

「良いのよ、そんなのは気にしなくて」

「それに、お店のお邪魔では?」

「ああ、それは平気よ。今日は、店を開けてないから。お客だって、一人もいないでしょ?」

言われ、改めて確認すると、確かにティトルの言う通り、店内にはイメルダ以外客と呼べる人間はいない。店内は閑散としていた。

「そうだったんですね。では、お休みのところにお邪魔してしまって」

「気にしなくていいさ。休みでも、訪ねてきた人間を追い返しゃしないよ」

そう言って、ティトルは豪快に笑う。そんなティトルとは対象的に、イメルダは思い詰めたように表情を固くしていく。

「さて、イメルダ。貴方は何を求めて、この店を訪れたのかしら?」

にこやかに、しかし、はっきりとした口調でティトルが問う。その問いに、イメルダは目を見開いた。

「驚かせてごめんなさい。一応、人を見る目はあるつもりなの。だからね、貴方がここへ、食事のためにきたわけじゃないことくらいは、わかるつもりよ」

ティトルは優しく、諭すように語っていく。その言葉を聞いて、イメルダは決意の表情でティトルを見詰めた。

「どうかしら?」

「……ええ、その通りです。こちらへは、お仕事をお願いしに参りました」

「誰から聞いてきたの?」

「聞いたのではありません。祖父の残した書簡の中に、こちらのことが書かれておりました」

「お祖父様の名前は?」

「エデル、エデル・オルデンスですわ」

「そう、エデル老のお孫さんなのね。なら、嫌とは言えないかしら」

穏やかに応えるティトルの表情は、何かを懐かしむようなものに変わっていた。

対して、ティトルから承諾の意志を受け取ったイメルダは、安堵のため息を吐く。

「まだ、安心するのは早いわよ。話の内容によっては、手を貸せないことだってあるんだから」

「それは、はい、承知しております」

「それじゃ、話してもらいましょうか、貴方が殺したい人間の話を」

その言葉に、イメルダの体が強ばる。両手を強く握り締め、俯きながら唇を噛み締めていた。

そんなイメルダの様子を、ティトルは静かに見守っている。

ティトルには、イメルダの中で渦巻いている感情におおよそ見当がついていた。

恨みがありながらも、人を殺すことへの罪悪感。自身が手を下すわけではないが、その罪悪感から逃れられる人間は少ない。

ともすると、自ら手を下さず、他人を利用して人の命を奪うからこその罪悪感なのかもしれない。

「私には、姉がいました」

喉から絞り出すように、張り詰めた声が響く。

ティトルはイメルダの空になったカップにハーブティーを注ぐと、そっと差し出した。

イメルダはそれを受け取り、ゆっくりと口を付ける。

「姉は、私より三つほど年上でした。とても綺麗で、優しくて、そして、聡明な人でした。私の家は早くに父を亡くしていたので、姉は母を助けて家業を手伝いながら、私の面倒を見てくれていました。私は姉に迷惑ばかりかけていましたので、いつか幸せになって欲しい、そう願っていました。本当なら、この願いはかなっていたはずなんです。でも、そうはなりませんでした。姉には一度、一緒になるはずの人がいました。私は当時、二人は結婚するものだとばかり思っていました。ですが、母が流行病で亡くなると、家業の雑貨屋の経営が急に悪くなって、姉も私も目を回すような勢いで働き詰めになってしまいました。店を立て直すために方々を駆けずり回る毎日で、その忙しさが、二人を次第に離れさせてしまったようです。店が何とか立ち直った頃には、彼の姿を見ることはなくなっていました。姉はそのことについて何も言いませんでしたが、とても悲しんでいたと思います。それからは、嘘のように店の経営は安定し、それなりの蓄えができるようにまでなっていきました。今考えると、なぜ、あの時期にあんなにも店が傾いたのか、不思議でなりません。そうは言っても、現実にそういう状況ではありましたので、何らかの原因はあったのでしょう」

そこまでを一気に語ると、イメルダは小さく息を吐き、ハーブティーで喉を潤した。

そして姿勢を正し、ティトルを真っ直ぐに見詰める。

「姉は、本心では、彼を失って寂しさがあったのだと思います。何か、支えを欲していたのだと。そこへ、あの男が現れました。あの男は言葉巧みに姉をたぶらかして、姉の心を掌握してしまいました。あの男と出会ってから、姉はあの男の言うがままでした。それから、姉と私の生活はメチャクチャになりました。姉はあの男を盲目に信じ込んでしまって、かなりの額を渡していたようです。私がそのことに気付いた時には、もう、どうにもならない状況にまでなっていました。姉は私財全てを失っていましたし、借金まで作っていました。借金額は、とても簡単には返せるようなものではなかったです。それでも、姉はあの男のことを信じて疑いませんでした。でも、それまでだったようです。お金の用立てができなくなると知ると、あの男は姿を消しました。姉は、待ち続けていました。待って、待ち続けて、とうとう、あの男に騙されていたことを認めたようです。その時には、私達にはもう何も残されていませでした。ただ、返すあてのない借金があるだけでした。私はどんな仕事でも良いと思い、知り合いに頭を下げて回りましたが、どこも雇ってはくれませんでした。皆、姉の変貌ぶりを知っていたようです。途方に暮れていた私に、ある日、姉が借金を全て返済したと言ってきました。始めは冗談かと思っていたのですが、証文も返してもらって来ていたので、どういう手段を使ったのかはわからないのですが、本当に借金を返してしまったようなのです。今になっても、姉がどうやってあれだけの額を用意できたのか、それはわかっていません。ただ、まともな方法ではなかったのは、確かだと思います。その数日後、姉は、ある娼館で、ボロボロになって死んでいるのが、見付かりましたから」

イメルダは悲しむでもなく、怒りをあらわにするでもなく、ただ淡々と過去を語っていく。

カップを包み込むように添えた両手が僅かに震え、カップが小さく鳴った。

「つまり、その男を、殺したいのね?」

ティトルはイメルダの瞳を真正面から捕らえ、静かに、力のこもった言葉をかける。

それに対して、イメルダはこちらも力強く頷いてみせた。

「男の名前は?」

「ラジシルです。ラジシル・オドー。偽名かもしれないですが」

その名を聞いて、ティトルには思い当たる節があった。数日前にやってきた情報屋が、話の種にと聞かせてくれた優男の話。女を騙しては金を巻き上げ、悠々自適な暮らしをしていると。その男が今、この街で活動を始めたらしいことを。

「その男を殺して、後悔はないわね?」

「人殺しは、正直、怖いです。でも、姉の無念が晴らせないのは、もっと嫌なんです。例え、人様から後ろ指さされようとも、私は姉の無念を晴らしたい」

そう言い切ったイメルダは、強い決意に満ち満ちていた。

それを見て取ったティトルは、満足そうに微笑む。

「貴方の決意、確かなようね。それならば、契約としましょう。報酬として用意できるものは?」

「これが、今の精一杯なのですが」

言いつつ、イメルダは硬貨の入った革袋を取り出し、ティトルに差し出した。

ティトルはそれを受け取ると、中身を改める。金貨十枚と銀貨三十枚。殺しての金額としては、安すぎる額だ。

「では、これで契約成立です。貴方の望み通り、ラジシル・オドーを亡き者としましょう」

「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」

イメルダは勢い良く立ち上がると、深々と頭を下げた。その瞳には、大粒の涙が浮かんでいる。

「後は、私に任せておいて。ラジシルが死んだら、連絡するわ」

「わかりました。では、連絡先を」

「大丈夫よ。貴方がどこにいようと、男が死んだらわかるようになってるから」

「そう、なんですか?」

「そうなんです」

イメルダには何のことだかわからず、疑問に小首を傾げた。

それでも、ティトルの笑顔を見ていると、なぜだか心配いらない気になってくる。

「では、それを待つことにします。今日は、本当にありがとうございました」

「ええ、帰り道、気を付けなさいな」

「はい」

イメルダは憑物が落ちたかのように清々しい顔で店を出て行った。

一人残されたティトルは、冷めてしまったハーブティーをゆっくりと楽しんでいる。

「そんなに大安売りして、誰が受けるのよ、その仕事?」

「そこにいるじゃない、適任が」

「まあ、そう言うよね」

いつの間に現れたのか、ティトルの対面、さっきまでイメルダがいた場所にアムリタが座っていた。

勝手にポットを掴むと、空いているカップに中身を注ぎ、一息に流し込む。

「これ、冷めてる」

「意外と長話だったのよ」

「大体聞いてた」

「で、あんたはどう思う、アムリタ?」

「その質問は卑怯だを思います。あんな話聞いたら、あたしは嫌とは言えないよ」

「それは、私も一緒。で、やってくれます?」

ティトルはポンッとアムリタに硬貨の入った革袋を投げて寄こす。

アムリタはその革袋としばらくにらめっこをした後、大きな溜息を吐きつつそれを受け取った。

「はいはい、あたしの負けです。やりますよ」

「おぉ~、流石ね。男の居場所は早々に見付かると思うから、分かり次第連絡するわ」

「それじゃ、ご飯食べたい。お腹減った」

「何が、それじゃ、なのよ。まあ、良いけど。いつものでいい?」

「お願いします」

アムリタはおどけたように、深々と頭を下げる。

その頭を小突きつつ、ティトルは奥へと消えていった。

残されたアムリタは、大あくびの後、腕を組んで考え始める。

「お婆が前に言ってたよなぁ、確か。金持ち連中の相手を二三日して、金貨数十枚っての。あれなのかなぁ。あれ、いろいろひどい仕打ち受けて、死んだりするとか言ってた気がするんだけど、どうなんだろう。でも、死体は専門の連中が片付けるとかも言ってた気がするから、別なのか?」

アムリタはうんうん唸りながら、昔の記憶を辿っていく。

しかし、余計なことばかりが思い出されるだけで、肝心の部分が出てこない。

「あんた、何唸ってんのよ」

そこへ、大皿に前菜を盛り合わせにしてティトルが戻ってきた。皿をテーブルの中央に置くと、フォークとナイフをアムリアの前と自分の席にセットする。

「何かいろいろ乗ってる」

「前菜盛り合わせね。残り物を適当に。後、シチューが残ってたから、今温めてる」

「いただきます」

ティトルの話を聞いているのかいないのか、アムリタはフォークを握り締め、魚のマリネとトマトを串刺し、口の中へ放り込んだ。

ゆっくりと幸せそうに、それを咀嚼していく。

ティトルは呆れたように肩をすくめると、自身も席についた。

「そういえば、話の男、心当たりがあるの? 簡単に見付かるみたいな言いようだったけど」

「ええ、ちょっとね。おそらく、間違いはないと思うけど」

「それにしても、絵に描いたようなろくでなしだよね、その、何とかって男」

「ラジシルね。まあ、でもそうね。不幸のあった女に近付いて、弱ったところを狙うそうだからねぇ。で、もらうだけもらったら、消えてなくなるんだから、大した玉よ」

「そんな楽に稼げるなら、あたしもやってみたい」

「馬鹿言うんじゃないの。それに、私らがやったんじゃ、娼婦と同じじゃないのよ。まあ、あんたの場合、お婆のところに戻れば良いだけだろうけど」

「そういや、お婆のことろじゃ、似たようなもんだったかもね。金持った男が来て、適当に相手すれば、稼げるんだから」

「あんたにとっちゃ、娼婦も簡単な仕事になるのね」

「簡単じゃないの、男と寝るだけだもん。殺したり殺されたりするよりは、遥かに楽だと思うけど」

「それは、比べる対象が悪いわよ」

言いつつ、ティトルが愉快そうに笑った。

アムリタは手を休めることなく、大皿の料理を端から平らげていく。小さな体のどこに消えていくのか、アムリタはいくらでも食べてみせる。

「でも、ラジシルって男、誰かが探してたんじゃなかったかしら? 何日か前に、問い合わせが来てたはずだけど」

ティトルはフォークを咥えると少し考える素振りを見せたが、すぐに首を振ってそれを止めた。

「面倒になる?」

「大丈夫じゃない、きっと。大きなところからの連絡じゃなかったし。それに、その時はその時で」

「それ、駄目なやつだよ、ティトル」

ティトルが改めてフォークを握り直すも、大皿の料理はほとんどなくなっていた。しかたなく、僅かに残る根菜のピクルスにフォークを突き立てる。

その間も、アムリタが着実に皿の上の料理を食べ進めていた。

「はぁ。そろそろ温まったはずだから、シチュー持ってくるわね」

「ん、よろしく」

席を立ってキッチンに向かいつつ、今までにアムリタの食費がどれだけ掛かっただろうかと考え、ティトルはゾッとした。

下手な冗談よりもタチが悪い気がして、そのことを深く考えるのは止めにする。

「ああして美味しそうに食べる姿を眺める、それでいいじゃない」

アムリタ用に一番大きい深皿を用意しつつ、ティトルは自分に言い聞かせるように呟いた。

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