巻の一 第二幕
わずか数日にして、街中が抗争状態になっていた。
事の起こりは、メリニス一家が突然の暴走を始めたことらしい。
その原因は、まあ、あたしには何となく想像はつくけど、気にしないことにしていた。
そんな些細なことは気にせず、あたしは土いじりの日々に興じている。
半月ほど放置してしまっていたので、原状回復するだけでも大変な作業だった。
どういうわけか土だけは良いらしいので、放って置くと畑は雑草で覆われる。
二、三日に一度は雑草処理をしないと、畑だか荒れ地だかわからなくなって、植えた作物を探すだけで一苦労だ。
「もう少し、余裕があると良いんだよね。無理に仕事をする必要もないんだし」
今なら、蓄えもそれなりにある。だから、これからは畑をいじりながら、その合間に仕事を受ければいいのかもしれない。
まあ、ティトルに頼まれると嫌とは言い難いんだけど。
彼女とは、あたしの師匠の代からの付き合いだ。あたしが駆け出しの頃からいろいろと面倒をみてもらってるから、今でも頭が上がらない。
それに、そういうこととは別に、あたし自身が可能な限り彼女の力になりたいと思っていることもあって、彼女からの依頼は大抵二つ返事で受けている。
以前、内容を聞く前に依頼を受けることを承諾したら、怒られたこともあったっけか。どれだけ信頼できる相手からの依頼であっても、最低限の確認は怠ってはならない。そう、ティトルにきつく諭された。
その甲斐もあってか、あたしはこうして悠々と土いじりができたりもするわけだけど。
その時、来客を知らせる三番目の鈴が鳴った。
今日の予定では、誰も訪ねてくることにはなっていなかったはずだから、何か急用だろうか。
あたしはズボンの泥を軽く払うと、来客を迎えるために屋内に戻った。
備え付けの遠見鏡で確認してみると、ティトルの店の小間使いが走ってくる。手荷物はないようだから、昼食を持ってきてくれた、とかではないらしい。
あたしはコップに水を並々満たすと、それを持って戸口に向かう。
戸が叩かれるのと、あたしがそこに辿り着くのはほぼ同時だった。
戸を開くと、肩で息する小間使いが汗を吹き出しながら立っていた。
「とりあえず、これ」
あたしがコップを差し出すと、小間使いは両手でそれを受け取り、一気に飲み干す。それから大きく息を吐きだすと、少しは落ち着いたようだった。
「急用?」
「伝言、です」
喋るのはまだ辛いらしいので、あたしは彼が落ち着くまで待つことにした。
「落ち着いてからのほうが良さそう。そこに座って、ちょっと休みな」
あたしは彼を戸口の脇に座らせ、息を整えさせる。
そういえば、以前にもティトルの店の小間使いが息も絶え絶え訪ねてきたことがあった。あの時は確か、どっかの仕事をあたしが邪魔したとかで、ティトルの元にその仕事の請負人が人数引き連れて押しかけてきたんだった。その知らせを受けてしばらく後、あたしのところにも何人か来て、三人くらい始末したはずだ。正直、あれは先に知らせがなかったら、あたしも無事では済まなかったと思う。何の準備もなしに複数人を相手にするのは、かなり厳しいものがあるから。
「すいません、お待たせしました」
あたしが過去の記憶に思いを馳せている間に、小間使いは回復したようだった。彼はしっかりとした様子で立ち上がると、改めてあたしの前で頭を下げる。
「そういうのはいいよ。で、どうしたの?」
「メリニス一家が、アムリタさんのことを掴んだようです。あの軽口のジェイグが話したようで」
あぁ、とあたしは頷いていた。
メリニスが本気で動けば、誰かは情報を流すだろうとは思っていたけど、案の定というか何というか、あのジェイグだったか。
ジェイグとは昔、何回か仕事をしたことがある。どうしても手が足りないとかで、ティトルに泣き付いてきたらしい。その時、駄目な請負人がどんなものか知っておいたほうが良い、ってことで、あたしはジェイグの元へ送られた。
ジェイグという男は見栄が服を着たような奴で、そのうえ、強い者に媚び、弱い者を虐げる、まあ、最低な部類の人間だった。常に寂れた娼館に居着いて、暇さえあれば女を抱いて、そうでなければただ寝ているか。外に出るのは、依頼人と会う時ぐらい。あたしらみたいな駒への仕事依頼は自分で出向くことはまずなく、娼館の部屋に呼び付けるだけ。依頼の話をするときだって、女を抱いたままのことさえあった。
そんな男なので、あたしらからの評判はすこぶる悪い。大抵の連中は、ジェイグと仕事をしようなんて思いもしない。それなのにジェイグが請負人としてやっていけてるのは、どこにも行き先のないやつとか、弱みを握られてるやつなんかを囲っているからだ。
それなら、いっそのことジェイグを殺せばいいとも思うんだけど、そう簡単にもいかないらしい。あの男はあの男で、何やら利用価値があるらしい。
今回のことなんかも、その利用価値がうまく働いた証拠だ。
なにせ、ジェイグは暴力による交渉なら、どんな仕事でも引き受けるし、どんな情報でも喋る、実に都合のいい請負人だからだ。
「もう少し、ゆっくりできるかと思ったんだけどなぁ」
あたしは、壁の向こうの畑へ視線を向けた。残念ながら、今回はここまでになりそうだ。
「すいません」
あたしの呟きに、なぜか小間使いが頭を下げる。
「別に、あんたが気にすることじゃないよ。遅かれ早かれ、あたしのことはバレることになっただろうし。それよりも、ここに長居しないほうが良い。すぐに裏から帰んな」
あたしは申し訳なさそうにしている小間使いを室内に引き入れると、そのまま裏口へ連れて行った。
裏口から戻れば、来た道を通る必要がない。ここに向かってる連中がいたとしても、鉢合わせせずに無事帰ることができる。
「あたしはしばらく、ここを離れる。近い内に店に顔出すから、ティトルによろしく伝えておいて」
「わかりました。お気をつけて」
「あんたもね。まあ、こっちの道は大丈夫だと思うんだけど」
小間使いを裏口から送り出すと、警戒用の一番目の鈴が鳴り響いた。
あたしは急ぎ、遠見鏡で相手を確認する。
六人からなる男の一団。全員黒のコートを羽織っていて、身に付けているものがうまく判別できなかった。ただ、先頭の男が特殊な意匠の本を抱えているのだけは確認できた。
「まいったな、疑似奇跡<グリモア>使いがいる」
疑似奇跡<グリモア>とは、神の奇跡を人の手で再構築し、再現可能にする技術だ。神の奇跡の発現が神に選ばれた神人のみ行使できるものであるのに対して、疑似奇跡は万人が行使できる技術になっている。そうはいっても、才能によって効率なんかは大きく違ってくるらしいけど。
あたしはその場で作業着を脱ぎ捨てると、下着姿のまま自室に駆け込んだ。
そして、仕事用の装備一式と仕事着を素早く身に着けると、裏口へ出て屋根に上がった。屋根に腹ばいになると、携帯用の遠見鏡で男達の様子を窺う。
だが、男達の姿はどこにもなかった。何度探してみても、黒いコートを探すことができない。
「もしかして、帰った?」
自分で言っておいて、思わず笑ってしまった。見るからに手練とわかる連中が、ここまで来ていきなり帰るなんてことがあるわけがない。
だとすると、散開して身を潜めつつ近付いているのか、もしくは、
「疑似奇跡の力?」
疑似奇跡使いがいたことを考えると、こっちのほうが濃厚だろう。疑似奇跡の力で、姿を隠したに違いない。
こうなると、相手が仕掛けてこないことには、こちらからは手が出せない。
下手に相手にするよりもこのまま逃げたほうが良さそうだ、と考え屋根から降りたところで、敵の侵入を知らせる二番目の鈴の音が聞こえた。
この鈴が鳴った以上、相手はすぐ近くまで来ていることになる。この状況で逃げ出すのは、敵に背を見せるのと同じだ。
あたしは裏口から室内へ転がり込むと、表と裏の戸口の近くにあった細々としたものを散乱させる。
そして、室内も可能な限り床に物を散乱させ、臭い抜きした後に食べようと思っていたグレタの実を用意すると、居間の隅に身を隠した。
後はただ、相手の出方を待つのみ。
あたしは息を潜め、周囲と同化する様に意識を解放した。
どれだけそうしていたのか。数秒だったかもしれないし、数十分だったかもしれない。
ただ自身の鼓動を感じるだけの時を過ごす中、前方で何かが踏まれる小さな音が鳴った。
あたしの研ぎ澄まされた感覚が、音の発生位置を正確に把握する。
と同時に、あたしは手にしたグレタの実をそこに居るであろう人間に対して投げ付けた。
勢い良く飛び出したグレタの実は、何もない空間で見えない壁にぶつかると、その衝撃で盛大に破裂する。破裂と同時に赤黒い果汁を大量に撒き散らし、その特徴的な刺激臭を周囲に充満させた。
「ぐぅ、何だ!」
「っうぷ」
なんの備えもなしにグレタの実の臭いを嗅げば、その強烈な刺激にうめき声を我慢するのは難しい。
味は良いのに、この強烈な臭いで嫌われ者なのよね、この実は。
あたしは侵入者が発しているうめき声や咳を頼りに、短刀を構えつつその場へ飛び込んだ。
声の発生源は口だから、そこから目の位置をおおよそで想像する。
今聞こえる声は、二人分のもの。
音を頼りに当たりを付けた場所へ、両手の短刀を突き立てた。
確かな手応えと、男達のくぐもったうめき声。
素早く後ろへ飛び退くと、続け様に何かが倒れ、床には血が広がっていく。
そのまま周囲を警戒しながら様子を見ていると、姿を消していた男が二人、床に倒れた状態で現れた。
どうやら、疑似奇跡の対象者が死ぬと効果が切れるらしい。
「これで、あと四人」
しばらくそのままで様子を見ていたが、残りの四人が室内に入ってくる気配はない。
外に出れば相手の思う壺になるから、あたしとしてはこのまま中で様子を見る以外に方法がなかった。
それに、疑似奇跡にも効果時間があるはずだから、長引かせることができればこっちにも勝機が出てくる。
つまり、あたしはこのまま籠城戦を続ける以外にないわけだ。
次の一手をどうすべきか、それを考えようとした矢先、建物全体を強い振動が襲った。
突然のことに大きくバランスを崩し、あたしは思い切り床に倒れ込む。
そして、周囲に強烈な熱気が吹き上がったかと思うと、戸口や窓から赤い炎が見え隠れしだした。
ほんの一瞬で、火の海の只中に放り込まれてしまったようだ。
倒れた時にぶつけた頭の痛みに耐えつつ立ち上がると、表戸から黒いコートが四人、こちらに向かって来ようとしていた。
炎に包まれることに何の躊躇いもない様子を見るに、あのコートもただの隠蔽用というわけじゃないんだろう。
「くそったれ!」
叫びつつ、あたしは残りのグレタの実を侵入者に投げ付けた。
手前三人にはあっさりと躱されたけど、その後ろから駆けていた最後の一人は反応が遅れたのか、グレタの実が見事命中。
強烈な刺激臭を放つと同時に、瞬く間に炎に包まれ、火だるまの状態で床を転げ回る。
あたしがグレタの実を好んで常備しているのは、あの特徴的な甘みが好きなこともあるけど、果物でありながら異常なまでに燃えやすい果汁を利用するためでもある。下手な油よりも、グレタの果汁のほうが火の回りが早い。投げ付けて果汁を浴びせてやれば、今のように簡単に火だるまだって作ることができる。
「あと、三人」
あたしは両手に短刀を構えると、テーブルを挟んで侵入者三人と対峙した。
一人はあたしと同じ様な短刀を構え、もう一人は半月型に反り返った曲刀を持ち、そして、疑似奇跡発現書<グリモアール>を手にした疑似奇跡<グリモア>使い。
火だるまが擬似奇跡使いだったら、なんて考えていたけど、そう上手くはいかないらしい。
「人の家に火付けて、何の用さ」
「ラジシルを殺したのは、貴様だな?」
答えが返ってくるとは思ってなかったので、少々面食らった。短刀を構えた男が、あたしの眼前へと移動してくる。
「だったら?」
「あの男を殺すなと、メリニス一家の名で号を発したはずだ。貴様はそれを無視し、ラジシルを殺した。それがどういう意味か、わかっているか?」
「あんたらが遅すぎたのよ。あたしが殺した後に、あんたらの通達とやらが来たらしいじゃない。それでどうしろって言うのよ? 殺した男を生き返らせろ、とでも?」
「そんな理由が、ベラルディに通用すると思うか? 彼は大層ご立腹なんだ。ラジシルが捕まらないのなら、その代わりが必要なんだよ」
「その代わりを、何であたしが引き受けなきゃならないのよ」
「それは、」
視界の隅で、曲刀を持った男が素早く動く。
「お前がラジシルを殺したからだ。メリニスをコケにした、その落とし前を付けるんだよ」
あたしに対峙しつらつらと話を続けるこの短刀の男は、あたしの気を引く囮役なのだろう。
擬似奇跡使いにも注意を向けるが、立て続けに擬似奇跡を発現させたためか、相当に消耗している様子だった。これなら、とりあえずは問題なさそうだ。
あたしはテーブルの下から腕を伸ばすと、対峙している男の股間に短刀を突き立てた。
何かを話していたはずの男は、奇妙はうめき声を発するとそのまま白目を向いて仰向けに倒れる。
それを合図にしたように、曲刀持ちの男がテーブルを飛び越え躍り掛ってくる。
急ぎ腕を引き戻しつつ曲刀を躱したつもりが、目測を誤り右肩が鋭く引き裂かれた。
次々と繰り出される曲刀の一撃への回避を試みるが、そのことごとくが僅かに躱しきれず、全身に傷が増えていく。
一番新しい頭部の切り傷から流れ出る血を乱暴に拭いながら、あたしは奇妙な違和感を覚えていた。
目に見えている距離感と感覚的に感じられる距離感に、ズレが生じている。そのズレが、あたしの動きを鈍らせていた。
こちらの一撃は相手に届かず、相手の一撃は躱すことができない。
致命傷は避けられているものの、このまま血を流し続ければ不利になるのは目に見えている。
原因は、そう考え始めた時、疑似奇跡使いのことを戦力外とみなしていたことに気が付いた。
曲刀の動きを追いつつ、疑似奇跡使いを探す。
視線を忙しなく動かすも、前方にはその姿が見当たらない。
あたしは体力の消耗を度外視し、曲刀を避けるために大きく体を左右にひねる。
その甲斐あって、疑似奇跡使いを見付けた。ちょうどあたしの真後ろになるよう位置取りしながら移動していたらしい。体をひねった際、視界の隅に捉えることができた。
あたしから隠れるようにしていたところを見るに、疑似奇跡使いが力を発現させている可能性が高い。
ならば、まずはそちらを何とかしよう。
あたしは曲刀持ちに向け、加減気味に左手に構えた短刀を投げつけた。
曲刀持ちはそれを難なく躱すと、素早く距離を詰める。
そのままの勢いで繰り出された曲刀の一撃をわざと左肩口に受けると、その刃を左手で掴み取った。
突然のあたしの行動に、曲刀持ちの動きが封じられる。
その隙きを逃さず、あたしは右腕を大きく伸ばし、握りしめた短刀を広く水平に薙いだ。
そして、確かな手応え。
疑似奇跡使いとあたしのおおよその距離、そして、侵入時に確認した背格好から首の位置に当たりをつけての一撃。
賭けといえば賭けだったけど、何とか上手くいったようだ。
あたしの後ろに潜んでいた疑似奇跡使いは、首から盛大に血を吹き出し、辺り一面を血の海にしながら、その中へと倒れていった。
「残り、一人」
言いつつ、あたしは目の前の曲刀持ちの腹部を蹴り飛ばした。
男はその衝撃に耐えることができず、曲刀の柄から手を離すとそのまま数歩後退る。
あたしは血塗れの左手から曲刀を引き剥がすと、そのままそれを右手に構え、一息に男へと肉薄した。
男は予備の剣を引き抜くも、それを振るうことはなかった。
それよりも早く、あたしの一撃が男の首を跳ね飛ばし、血の雨を降らせたからだ。
あたしは全身血塗れになりながら、大きく息を吐いた。
左手は痛みで感覚を失い、全身切り傷だらけ。出血も続いているから、次第に体力も奪われている。さらに、家は今にも焼け落ちそうな状況だ。
「最悪だわ。夢なら覚めて欲しいくらいに」
呟いてみても、何も変わる様子はなかった。
あたしは大きくため息を吐くと、今一度全身に気合を入れて、その場を後にした。
とりあえず、ティトルのところに向かうのが一番だろう。
何より、血を流したせいでひどくお腹が減っていた。