8話(現在)
「彼女の脳は特別だった。
彼女には、他の生物の脳の微小管から僅かに漏れ出た物質が見えた」
えーと。
どういうこと?
「彼女には、過去現在未来に至る、他の全ての生物から漏れ出る物質が見えていた」
過去と現在と未来? 大きく出たなぁ。
「微小管から僅かに漏れ出る物質は量子と混在化し、彼女にこの世の過去と未来を見せるに至った。
量子学で言うところの波束の収束、それも限定的な……。
彼女は、観測者だったのだ」
はい? そうなの?
うーん、あれだよね。量子の振る舞いは観測によって確定されるっていう……よく分からないあれ。
彼女が、その観測者だっていうのか。
「そうだ。ところが、彼女はこの世に一人しかいない。
彼女のことを知れば、いつか必ず、誰かが独占する」
いやいやいや、それがお前たちなんだろ。
悪いけど、お前たちが彼女を独占していたようにしか見えなかったよ。
「違う。我々はそれを阻止するために動いていた」
はい?
「未来を収束できる観測者をクラウド化して人類全体で共有すれば、人類は次の段階に上がれると信じていた」
人ひとりを犠牲にして人類を何とかする。
理屈としては分からないでもない。
でも、乱暴すぎるんだよ。そういうことをすると、誰かが傷つくって、なんで分からないんだ。
いらいらする僕を無視して、おっちゃんは喋り続ける。
「これは全人類にとってためになる。それどころか、静かに死んでいく宇宙の未来を変えられる可能性をも秘めている。
……という推測を抱いていたのだよ。
彼女をクラウド化するまでは」
やっぱりな。何かあったんだな。
「彼女をクラウド化した今、私も彼女の機能の恩恵に与れるようになった。
私には過去と未来が見えるようになった。他人の思考が分かるようになった。
君に忠告を出したり、先回りすることもできるようになった。君が転生するのと同じ程度にはね」
なるほど。先回りされていたのか。だから、僕のベッドの傍に突っ立っていたんだな。
あれ? だとすると、僕の目の前にいるこのおっちゃんは『どこの』時間からやって来たんだ?
「『別の私』や『今までの君』を見て、別の可能性が思い浮かんだ。
我々が彼女をニュートリノ走査した際に、彼女を構成する量子情報を傷つけてしまったのではないかと。
その結果、クラウド化された彼女の機能は、未来を収束させるのではなく、未来を消費するという方向性に働いているのではないかと」
未来を消費するかー。さらっと言ってくれるなぁ。
それってさぁ、僕が転生したら、僕の来世が消費されるってことじゃないか。
「タイムマシンを使った空想をすることは?」
ハイ無視ー。頼むから僕の感情を無視しないでくれる?
まー、仕方ないから答えておくか。そーだね、たまには昔に戻りたいとは思ったりするね。
「なら、分かるはずだ。もしも遥か未来にタイムマシンがあるならば、未来人が大挙して現代に押し寄せてくるはずだ。
では、なぜ未来人は来ない? 恐らくは、それは未来の法律で禁止されているか、あるいは」
未来が消滅している?
「そうとも。未来が消滅していて、途切れている可能性がある。
我々が彼女をクラウド化してしまったせいでね」
やっぱりお前らが悪いんじゃないか。
「後悔はしているよ。
我々はタイムマシンを破壊してしまったのではないか。タイムマシンを破壊することで、未来をも破壊してしまったのではないかと」
後悔ねぇ。
とりあえず、他人をマシン扱いするのはなんか違うと思う。
おっちゃんは深々と溜息をついた。
「君に聞きたいことがある。
君は、彼女のことをどう思っている?
彼女は、君のことをどう思っている?」
それは勿論、
……あれ?
僕はふと思った。
そういえば、僕は彼女をどんな目で見てたんだっけ?
義務感? この子がいなくなったら怖くなる?
でも、それは、僕だけが抱いている感情じゃないか。
彼女が僕をどう思っているのかなんて、思いも寄らなかった。
彼女は僕のことをどう思っていたんだろう。
そんなの、考えたことも無かった。
彼女のことを、自分の一部か何かだと思っているんじゃないかと。
この時点で、僕は初めて気づいた。
続きます。