オリジナル性と描写
まずはじめに述べておくのは、私が作品の善し悪しで好評価を下す上で必須な条件は二つあります。
一つ。少なからずオリジナル性溢れる作風である、ということ。
二つ。描写がきちんと描かれていること、ということ。
この二つの条件が満たされていれば、私はその作品に大してそれなりに好感を得ます。
そしてそれは当たり前の事だと私は思っています。今これを読まれている中にも頷き賛成していらっしゃる方はいると思います。
それ程に小説というものにこの二つは重要なポイントとなるわけです。特に前者は最近ではあまり求められていなくなってきましたが、後者は今でも変わりません。
描写。これがきちんと書けていなければそれは小説ではありません。
例えば最近見られるのは二千文字も投稿されているにも関わらず会話文が八割を締めている、というものです。
まぁ流石にここまでアレな作品は少ないですが、それに近しいような作品は溢れ返っています。
ジャンル的にはライトノベルなんだし、ちょっとくらい描写無くても読めるだろうという考えで書いているのかも知れませんが、それは誤りです。
確かにライトノベルは子供が読みやすいような、好みそうな内容で、描写も柔らかめにしている作品が多いですが、決して描写の少ないような作品は無いに等しいです(残念ながら私が読んできたライトノベルに描写の全く無いような作品が有りましたが)。
とこのように小説(それは一般的な小説から純文学やライトノベルも含む)と描写は今のような時代であっても切っても切り離せないような関係だと私は思っています。