噂のカノジョ。
「あいつって、絶対男に興味ねえよなー」
そう呟いたのは、2年に進級したばかりで少し浮かれていた、湊人 蓮。
クラス発表のせいもあり、人で溢れかえる廊下。
そこで、さっき1人の生徒とぶつかったのだ。
……………にしても。
「ほんと、可愛げのない奴」
「なに新学期早々、暗い顔してんだよ?」
「お、康平じゃん」
ふっとクールな笑みを浮かべて俺に近づいてきたのは、佐武 康平。
去年から同じクラスで、なんだかんだで一緒にいる。
最初は、少しだけ気難しい奴だったけど……
話してみたら案外いい奴で、出会えてよかったなんて思ってたりする。
「御門 杏由菜か」
「……………見てたんじゃん」
「まあ、俺が話しかけるほんの数秒前だったからな」
そう、俺がさっきぶつかった相手は御門 杏由菜だ。
1年の時、同じクラスではなかったが、噂で彼女のことをよく聞いていた。
──男嫌いで、まともに言葉を交わせた男子が今までにいない。
そんなの所詮噂だろ、とか思ってたけど。
現にさっき、ぶつかったにも関わらず……
「あいつ、俺のことチラ見して行ったんだ」
「根っからの男嫌いなんだから、仕方ないだろ」
「そうかもしれねえけど…」
口を尖らせて言うと、康平は俺を宥めるように肩を叩いた。
高校生活なんて、あっという間に過ぎてくもんだ。
これっきり、御門と関わることなんてもうないだろう。
そう思って、俺はなんとか気持ちを割り切った
つもりだったんだけど。
「は…………まじかよ」
クラス発表の紙を見たのは、その直後のことだった。
俺は、何度も何度も目を擦って確かめた。
だけど、まあ……残念ながらほんとのことのようだ。
***
教室に入って、大人しく席に着くと、その隣に誰かが座った。
俺は小さく息を呑んで、チラリと横目だけを向けた。
「御門、だよな?」
「…………」
「よろしくー…」
名前を呼ばれて振り返ったものの、その後は全くの無反応。
な、なんなんだよこいつ………
自然とあげていた口角が、徐々に下がっていくのが分かった。
「あんたさ、なんで全然話そうとしないんだよ?」
しばらくして、ついに俺の口が開いた。
その口調は、少し怒ってるような形になってしまって…
別に怒ってるわけじゃないけど、ただ単にどうしてそこまで男子と話さないのかが純粋に気になった。
知らないと、このもやもやはきっと取れない。
俺は、御門の返答を静かに待った。
「………」
隣の奴は、ほんとに噂通りの奴だった。
口を閉ざして、何も話そうとしない。
俺の言葉、聞こえてるよな……?
まあ、もう少し待ってみても…
「み、御門さんっ」
と、不意に聞こえてきた女子生徒の声に、俺は思わず目を見開いた。
女子生徒の表情からすると、どうやら初めて話しかけてるようだ。
ああ、馬鹿な奴だな…
学校中に広まってる噂を知ってて、話しかけてるのだろうか。
……………よし。
俺は、何度か御門と女子生徒を見てから、うんと小さく頷くと、席を立ち上がってその女子生徒に向かって口を開いた。
「残念だけど、御門は具合悪いみたいで…」
「湊人君………そうなの」
どうせ言葉を発したりしない奴なんだ。
これぐらいの意地悪、いいよな?
悪く思うなよ、何も言わないのがいけないんだから……
なんて心の中で考えながら、俺は納得する女子生徒に向けて、更に口を開いた。
「…………体調なんて、悪くない」
!!
い、ま………の声って。
驚きのあまり、俺の身体は完全にフリーズする。
頬からは、汗が流れてくのがわかった。
「よかった、ちょっと聞きたいことがあって…」
「ん、どうしたの」
ゆっくりと視線を御門に移す。
相変わらずの無表情さだけど、確かにいま俺の目の前で……
御門は人間と、言葉を交わしている。
でも、それで更に俺の中でもやもやが膨らむ。
いや、冷静に考えれば分かる程簡単なことだった。
だけど、俺にはそんなことを考えられる余裕がなかった。
………………意味わかんねえ。
───グイッ
「!」
俺は、何を考えてるのだろう。
全くさっぱり、自分の考えてることが理解できない。
ただ、隣の席にいた奴の手を引いていることだけ、それだけははっきりと分かった。
***
しばらく廊下を歩いたところで、御門の手が俺の手からすり抜けた。
「あっ…」
無言で連れてきたことに、今更気づいて振り返る。
刺さるような御門の視線に、俺は目を逸らせなかった。
………何やってんだよ、俺!
もやもやしたから、つい………なんて。
全然理由にならないじゃねえかよ!
「あの、これは……だな」
うまく言葉が出てこなくて、俺は口をぱくぱくさせていた。
ほんっと俺、いま最高にかっこ悪いな……
───こんなの、他の奴に見られでもしたら大変だ。
「……………俺、ちょっと気がおかしかったみたいでさ」
ようやく出てきた言葉にも、御門はやっぱり無表情で…
連れてきた理由に興味がなくなったのか、御門は少し呆れた顔をして、近くの階段を降りていった。
「ちょ、理由くらい…」
このまま、行かれるわけにはいかない。
俺は慌てて、御門の後を追おうと足を踏み出した。
───その瞬間のことだった。
目の前で、階段を降りているはずの御門が、段を踏み外すのをこの目で見た。
それは、ありえないくらいにスローモーションで…………
「危なっ…!」
咄嗟に駆け出し伸ばした手は、しっかりと御門の腕を掴み、そのままぐっと引き寄せた。
***
間に合ったか………?
ゆっくりと顔をあげると、その首がズキンと痛んだ。
下敷きになった俺の目の前で、静かに倒れ込んでる御門。
「………怪我は、してないみたいだけど」
こんなことで気失うとか………
ほんと、俺がいてよかったじゃん。
そう思いながら、軽く御門の頭を叩いた。
その瞬間がまるで合図だったように、御門が思いきり起きあがった。
「!!!!!」
状況がのみ込めないのか、目を見開いて俺の目をじっと見てくる。
いや、まあそりゃあいきなりのことだったし、すぐに状況がのみこめるわけないよな。
でも、とりあえず………
「悪い、どいてもらっていい?」
「…………」
周りから見られると、面倒なことになるからな。
───俺はいいとして、特に御門の方が。
笑うと首まで痛むせいで、少し顔が引きつってしまった。
そんな俺の頬を、御門はそっと両手で包む。
…………って、え!??
な、ななななんでそうなるんだよっ。
状況がのみ込めなくなったのは、俺も同じだ。
だって、御門は一体なに考えて……
「!!」
それは、思わず目を見開いてしまう程の光景だった。
目の前の御門が、少しだけ表情を歪ませている。
これはもしかして、俺のことを心配して………?
その瞬間、御門は俺に何かを言おうと、口を微かに開いた。
───ドンッ
「あ、悪い〜」
「ほら早く行こうぜっ」
「待てよー!」
遠くで響く、数人の男子生徒の声。
丁度、歩いてくる人が途切れたその瞬間。
俺は、目の前にいる噂のカノジョと
唇を重ねていた。
ぶつかられた拍子になんて、なかなか難しいですよね。