私は貴女の家庭教師です
どうぞよろしくお願いします。
ラルヌーン王国。
温暖な気候と肥沃な土地に恵まれた小国である。周りは山脈と海に囲まれ、戦争とも縁遠い。そんな奇跡のようなこの国を人は『楽園』と呼んだ。
「ここですか。」
一人の少女が呟いた。
歳は十四、五という所か。青みがかった銀髪を高めのポニーテールに結び、柘榴のような赤い目をした彼女は一つ深呼吸し、歩き出した。
塀に蔦が這い、庭は荒れ、外壁は汚れてくすんでいる―周りからお化け屋敷と言われるボロボロの大きな屋敷に向かって。
「やだ、ここも大変な事になってる!」
屋敷の中では一人の少女が走り回っていた。
彼女の名前はレイチェル・タンドマーク。歳は十五。肩程の長さの美しい金髪を適当に一つにまとめ、ぱっちりとした大きな碧の瞳をくるくるさせている。
そんな彼女は今、工具を手に持ち屋敷の修繕を行っていた。
「ああ!この間崩れていた壁を塗り直したばかりなのに、今度は天井に穴が空いているわ!…うぅ、屋敷の修繕が追いつかないよぅ……。」
そんなことを呟きつつ手頃な台に登り、手慣れた様子で天井に板を打ち付けていく。よく屋敷の中を見てみると、壁の色が違ったり床に板が渡してあったりと涙ぐましいまでの努力のあとが垣間見られた。
レイチェルはタンドマーク辺境伯代行をしている正真正銘の貴族である。ただしびっくりするほど貧乏の上、頭には『名ばかり』と形容される貴族だ。
タンドマーク領はラルヌーンには珍しい痩せた土地と国境の山脈の一部、幾つかの山が存在する土地だった。突出した産業はなく、資源も無い。なんとか人々が飢えず食べていくのが精一杯の地。地元の人間は『忘れられた場所』と揶揄している。
それでもタンドマーク家は、この地を守るため日々奔走していた。それが自分達の成すべき事だと信じて。レイチェルもそうだった。
しかし悲劇は起きる。
十年前にレイチェルの両親―辺境伯とその妻が、事故により亡くなってしまった。
それを機に親類縁者は家の僅かに残された金をかき集め、持ち逃げしたのだ。さらにその様子を見て、使用人も見限り家から逃げ出した。その頃のレイチェルは幼く、そんな大人達をただ見ているしか出来なかった。
今のレイチェルは短期の仕事をして日々の生活費を稼ぎ暮らしていた。それでも充分とは言えず、彼女が一人で暮らしている広大な屋敷の修繕費は全く足りない。その為今日も自分で屋敷の修繕しているのだ。
「…よし、天井終わり!次は、」
―リンゴーン
「………え?…誰?」
突然玄関の呼び鈴の音が聞こえた。
「…はい、どちら様でしょうか?」
レイチェルは大きな両開きの扉越しに声をかけた。この屋敷を尋ねてくる人は彼女の亡くなった両親の友人の一家くらいしかいない。しかも今日は彼等の訪問日では無い。
(ど、泥棒とかだったらどうしよう?…うちにもうお金になりそうなものは無いのに。)
そんなことを考えつつ、相手の返答を待つ。少し間が空き、少女の声が聞こえた。
「此方はタンドマーク辺境伯のお屋敷で間違いございませんか?」
まさかタンドマーク家を尋ねて来たのが少女らしいということにレイチェルは驚いた。彼女は思わず、その驚きのままに扉を豪快に開け放った。
「それは淑女らしい行動ではございません。というより、使用人はいらっしゃらないのですか?」
青みがかった銀髪と柘榴のような赤い目を持った少女は、淡々とした口調で無表情にいい放った。
「えっ、と…?」
困惑するレイチェルを余所に少女は話を続けた。
「初めまして。私の名前はミリーナ・マグナス。家庭教師組合から派遣されて来た『家庭教師』でございます。」
ミリーナは完璧な目上の人に対する礼を取り、レイチェルを赤い目でまっすぐ見詰め、
「今日から私は貴女の家庭教師です。以後お見知りおきを。」
そう言った。