第一話 墜落(オチオチ)プリンセス! C-part
「――というわけで、無事にストラスフィアは救われたのです!!」
天井に大穴が空いている。
その向こうに広がる空は、もうすっかり朱に染まっていた。
部屋は未だに荒廃したまま。いや、あのあと他の多くの女どもにも侵入、蹂躙されたらしく朝よりも絶望的な有様になっていた。かつて窓だった場所から吹き荒ぶ風が身も心も冷やしていく。
「いやー、それにしてもクーヤさん、マジカッコよかったですよ!! もうチョーサイコーですよ!! 何なんですかねあれ、見た目はテンガさんと同じはずなのに、全然オーラが違いますよね!! 人間って中身から滲み出る本質の差であれほど印象が変わるものなんですね!!」
目の前で喋り続ける『異界姫』も、今朝とはまるで別人のようだ。
頬を染め、身体を妖艶にくねらせながら弟のことを語るその姿に、つい数時間前に感じた幼さはなかった。恋は少女を一瞬で女に変える。
「正直わたし、テンガさんのことも結構素敵だなって思ってたんです。別れたあの時、わたし密かに感じてました。このままクーヤさんと出逢って救われたとしても、わたしの初めての恋の相手はテンガさんなんだろうなって。……いやはや、ほんっと男を知らない小娘の考えって危険ですよねー!! あやうく大切な初恋をどうでもいい男に捧げちゃうところでしたよっ!!」
うわぁ、こいつ、ぶん殴りたい。
心の底からそう思うが、残念ながらそれは叶わない。
何故ならオレは今、全身包帯ぐるぐる巻きで寝かされていて身動き取れないからだ。
「本物を知ったあとだと、あんなに輝いて見えたテンガさんが粗悪なバッタもんにしか感じられませんもんね!! 存在自体が著作権侵害みたいな!! ああ、こうしているとクーヤさんにそっくりなのにクーヤさんじゃないテンガさんのことが、何だか理不尽に憎たらしくなってきます!! わたしはこんなにクーヤさんと一緒にいたいのに、何で目の前にいるのがこんなでき損ないの偽物なのかっ!! なるほどー、今朝わたし達を追いかけていたみなさんも、こういう気持ちだったんですねー。わかるわー」
はい、これでめでたく『異界姫』アカシャ=ストラスフィアさんもオダリスクの仲間入りと。
慣れてますよ。ええ慣れてます。この数年間の何が地獄だったのかといえば、その本質は命の危険だの生活の破壊だの、そんな程度のことではまったくない。
目の前に次々と現れる美少女達!
最初はオレにも優しくていかにも脈ありそうな気配!
それが弟に惚れた途端に態度急変!
あんなに可愛かったあの娘がドブネズミを見るような目でオレを見てる!
――それこそが、もう何年も続いているオレの平凡な日常だ。
「あ、別にだからってテンガさんへの感謝を忘れたわけじゃないですよ。そんな大怪我までさせてしまって心の底から申し訳なく思ってるんですよ。ただ何と言いますか……ああ、恋って理屈じゃないんだなぁ……って」
ぽわわん――と、少女マンガの点描背景みたいな空気を漂わせる『異界姫』。いいからお前、もうさっさと帰れ。
「ああそうだ。それとテンガさんにお聞きしたいことがあったんですけど、女性達に追われている時にテンガさんが言ってた『オダリスク』って一体何のことだったんですか?」
ああそれ、聞きたい?
聞いたら怒るぞ。女どもは大体怒るんだ。非常に適切なネーミングなのに。
オダリスク。それは、ハーレムの女奴隷のことだ。
いや最後まで聞け。殴るな。変態痴漢最低と罵るな。女奴隷といっても別にいやらしい意味じゃない。きちんとした芸術用語だ。
そもそも『ハーレム』ってのは中世イスラム社会にあった女宮『ハレム』のことで、語源はまあ聖地とか禁じられた場所とか、そういった男子禁制の場みたいな意味合いらしい。
中世イスラムの『ハレム』は、日本における大奥に似た王室の世継ぎを絶やさない為のシステムで、甘い幻想など入る余地もない極めて政治的な場所だったらしい。同時に世継ぎさえ産めばどんな身分の女でも成り上がれる、女達の野望の舞台でもあった。
そう、奴隷の身分に生まれた女でも、『ハレム』にいる限りは奴隷じゃなかったのさ。
貴族の女も、奴隷の女も、等しくたった一つの座を巡って争い合う女の戦場。それが本来の『ハレム』ってわけだ。
だから、そこには『ハーレムに囚われた女奴隷』なんてものは存在しない。
『オダリスク』はな、妄想なんだよ。妄想。ヨーロッパのインテリがな、イスラム社会の『ハレム』の存在を知って、色々と妄想しちゃったのよ。まあ、溜まってたんだろうなー当時のヨーロッパ人。妄想を爆発させて数十人の全裸美女が風呂でキャッキャウフフしてる絵画なんかを大量に描いちゃってたわけ。ルーブル美術館とかに今でも飾ってあるんだけど、どれもこれも普通にエロい。思うにあれが今現在、巡り巡って日本で『ハーレムもの』と呼ばれるようになった想像力の原点なんだろう。
ありもしない非現実的なハーレムヒロイン像と、どこまでも現実的な女の実像。それが『オダリスク』って言葉に込められる二重の意味ってわけさ。
だからオレは、弟に群がってくる現実離れした、しかしどこまでいっても現実的な女達のことをオダリスクと呼ぶことにしている。
「――甘っちょろい空想か、世知辛い真実か、お前は一体どっちのオダリスクなんだろうな?」
と、丁寧に説明してやったのに、『異界姫』はいつの間にやらオレの前から消えていた。
どうやら階下に弟が戻ってきたらしい。嬉々として階段を駆け降りていく『異界姫』の声がする。他にも幾人か女達が集まって、今朝の凄惨な争いなどどこへやら、誰もが仲良さそうに無垢な少女の声で笑い合っている。満たされた女達の幸福そうなお喋りはいつまでも続き、ご近所から世界へと満ち、壊れた部屋にもこだまする。
ああ、これぞまさしくハーレムの響き!
「…………って!! ざけんじゃねえよ!! せめて天井塞いでけっ!! この腐れオダリスクどもがああああああああああああああああああああっ!!」
オレが独り見上げる空は、そろそろ漆黒に染まり始めていた。
◇ ◇ ◇
オダリスクランキング!
順位未定(新人)
『異界姫』アカシャ=ストラスフィア(推定14~16)
戦闘力 ? 影響力 E 女子力 B
危険性 C 現実性 D 将来性 A
容姿・特徴
蒼髪碧眼 小麦肌 露出過多 金環アクセ 胸大きめ
性格・備考
頭は悪い そのうえ余計な知恵を回して自爆する
意志の強さと覚悟の深さには表向きの態度だけでは測れないものあり
特技・能力
『墜落』
空から女の子が降ってきた――という男子永遠の憧れを物理攻撃に変換する無慈悲な能力。
基本は異世界からの移動手段らしいが原理・応用など詳細は不明。
ちなみに『crush』は墜落する、衝突する、押し潰す、派手に事故る、ハードディスクがお亡くなりになるといった意味を持つ単語だが、『crush on you』と言った場合はまったく違う意味になる。勿論、だからどうしたということはないのだが。