第一話 墜落(オチオチ)プリンセス! B-partの2
迷惑げに『異界姫』を見ると、意外にもその表情からは先ほどまでの怯えが消えていた。
「事情はわかりました。わたし、わたしは……自分がクーヤさんに助けてもらうことばかり考えていて、クーヤさんの事情やクーヤさんを想う方々の気持ちなんてまるで意識していなかった。わたしがクーヤさんを好きになるなんて誤解はともかく、突然現れたわたしが疎まれるのは当然です。だってわたしは自分の都合でクーヤさんを……みんなの愛する人を死地に招き入れにきたのですから」
死地。
その言葉に心がざわつく。そうだ、見知らぬ女の為に見知らぬどこかで戦い、ようやく日常へと帰ってくるはずだった弟は、また新しい女に連れられて新しい地獄に赴くことになる。
「しかし、どんなに恨まれても、たとえクーヤさんの命を危険に晒すことになっても、わたしはストラスフィアの王女として救世主をどうしても招かねばなりません。だから、わたしはいかなる妨害にも屈するわけにはいかないのです」
「……そりゃ、お前にはお前の事情があるんだろうけどよ」
「はい。ですから――お覚悟!! とりゃー!!」
「って何で殴りかかってくるのーっ!?」
ばきゃ!――意味不明な流れで『異界姫』のパンチがオレの顔面にクリーンヒット!
腰も入ってないお姫様のへなちょこパンチだったので別にダメージはないのだが、軽く心が傷ついた。
「何で今の会話から物理攻撃に繋がるんだよ!? どういう思考回路してんだお前!?」
「……わたし、城の侍女に言われたことがあります。『姫様は人の話を聞いているようで聞いてないのに、何故か一番大事なことは理解できている。それは姫様の数少ない長所です』と」
「はぁ?」
「テンガさん。今までのあなたの言葉とこの状況からはっきりとわかることがあります。それはあなたがクーヤさんの身を誰よりも案じ、だからこそクーヤさんを奪い合う女性達の存在を心底忌み嫌っているということです」
そりゃそうだ。あいつらの醜い争いのとばっちりを受け、オレの人生がどれほど狂わされてきたか。考えるだけでハラワタが煮えくり返るってもんだ。
「――で、あるのなら。必然的にわたしとクーヤさんを引き合わせたくないと思う人間は、まず誰よりも真っ先にテンガさん、あなたなのではありませんか?」
……あ。
なるほど、そういう話か。
「オレの行動が矛盾しているって言いたいのか?」
「はい。クーヤさんを奪い合う女性達に苦しめられ、それを嫌い、今まさにわたしという新たな女性の登場によって散々な目に合っている……そんなあなたが必死でわたしの手伝いをするなんておかしい。ありえない」
『異界姫』の瞳が強い意思に満ちていく。握った小さな拳は小刻みに震えていた。そこで拳と一緒に震えている感情について、オレは勝手な想いを巡らせる。そこにあるのはオレへの単純な敵意ではないような気がした。
「あなたはわたしとクーヤさんの出逢いを本当は止めようとしていた。その為に……大切な弟さんを守る為にわたしを必死で引き離そうとしていたんでしょう? その気持ちはきっと正しいものです。しかし、それでもわたしはクーヤさんが欲しい!! ストラスフィアの為、与えられた使命を果たす為、たとえそれがどんな苦難の道だとしても、人々に悪女と罵られ恨まれたとしても、それでもわたしはクーヤさんを――運命を求めることだけは止めない!!」
きっと朝日が彼女の身体のあちこちについた金色のリングに反射して、きらきらとその褐色の身を包んでいたからだろう。
そう言ってオレの前に立った『異界姫』の姿は、ひどく神々しく見えた。
「テンガさん、あなたがこれ以上わたしの邪魔をするのなら、わたしは一命を賭してあなたと戦います。だから――」
「……悪かった」
一言、謝罪の言葉を口にして、オレは『異界姫』と一緒に抱えて持ってきてしまっていたノートをもう一度開いた。
そして先ほどの書き込みに追記を入れる。
「頭は悪い。そのうえ余計な知恵を回して自爆する……と」
「ちょっとーっ!? 何書いてるんですかーっ!?」
また『異界姫』がノートを奪おうとパタパタ手を伸ばしてくる。オレもまた『異界姫』が届かない高さまでノートを掲げ、くすりと笑った。
「いや悪い。本当にお前がそんなことを気にする奴だとは思ってなかった。見くびってたよ」
「答えになってませんよ!! 結局、わたしをどうするつもりなんです!?」
ぎりりとオレを睨みつける『異界姫』。
オレは、呆れて溜め息をついた。呆れた。誰に? こいつにじゃない。こいつの言っていることは全面的に正しいと認めている自分にだ。
矛盾している。弟の存在を奪い合う身勝手なオダリスク達。弟の生命を死地へと連れ去る傲慢なオダリスク達。オレはそいつらが憎い。憎たらしくて仕方がない。今日、家に帰ってきたら弟はオレと一緒に朝飯を食べて、だらだらと学校までの道を歩いて、退屈な授業をあくびを噛み殺しながら聞いて、きっと夕暮れの空を二人穏やかに眺めただろう。だがそれはもう叶わない。弟が見るのは異世界の空だ。またオレの知らない非日常の空の下に、あいつは連れ去られてしまう。オレだけをこんな壊れた日常に残して。
――けどな。ああ、そんなのは、よくある話さ。
「お前を弟に逢わせてやる。オレの目的はそれだけだ」
その瞬間、『異界姫』はオレの上に墜落してきてから一番の困惑を見せた。オレが嘘を言っていないと感じ取ったのだろう、深い碧の瞳が戸惑いに揺れている。それはまるで潤んだ宝石のように神秘的に輝いて、少し惹き込まれそうになる。
「……どうして、ですか?」
「お前、困ってるんだろ」
ぶっきらぼうに言う。他に言いようがない。
「弟に逢いにくる女は誰だって、最初はそうなんだ。切羽詰まってて、ボロボロで、オレの弟だけが最後の希望とすがる想いでやってくる。それをあとで他のオダリスクどもと同じように暴れ出すかも知れねぇからって無下に邪魔したりできるかよ」
「それは……けど、それじゃあなたはどうなるんです!? あなたはずっと、クーヤさんを奪い合う女性達のせいで苦しみ続けて平気なんですか!?」
「オレの苦労なんて、弟のそれに比べりゃくだらねぇもんさ」
大朱鷺空也。オレの双子の弟。この世界の誰からも愛されて、幾度となくこの世界を救って、けれど何一つ報われることのない、オレのたった一人の弟。
「あいつは弱音を吐かない。どんなにいい女に惚れられても、偉い人に褒められても、あいつ自身はこれっぽっちも幸せになんかならないのに。誰も彼もあいつに頼るばかりで、あいつ自身を誰も助けてはくれないのに。それでもあいつは歯を食いしばって見ず知らずの女の為に何度だって命を懸ける。オレは……せめてオレくらいは、そんなあいつの邪魔はしたくない」
「テンガさん……」
「アカシャ、だっけか? 異界のお姫さん。お前のこともオレの弟は必ず救う。必ずだ。あいつはお前のヒーローで、お前を解放する主人公だ。信じて走れ。そして出逢って恋をして、お前らの物語を始めるんだ。求めれば絶対に辿り着けるはずだから」
オレは適当に道の先を指さした。その先に弟がいる保証はない。だが確信はある。あいつは自分に助けを求める女の涙を決して見落としたりしない。『異界姫』の決意が本物であるのなら、絶対に惹かれ合うのだ。理屈ではなく、それこそ運命の赤い糸に導かれるように。
再び、すぐそこまで女どもの集団が迫ってくる。オレは道の先を指さしたまま、その前に立ちはだかった。『異界姫』はほんの少し迷ったようだったが、すぐに強い眼差しで頷いた。
「わかりました。わたし必ず……救われてきます!!」
おかしな言い方だったが、とても気持ちよく響く声だった。
そして『異界姫』が走り出す。
その背を見送りながら、オレはいつもの感慨に襲われていた。
弟の元にやってくる有象無象の女ども。身勝手でハタ迷惑でオレ達兄弟に不幸ばかり押しつける女ども。だというのに、わかっちゃいるのに、それでも。
彼女達は美しい――。
「ったく、やってらんねぇよなぁ、ほんと」
オレは深く息を吸い、目を閉じて準備に入った。
必殺技の準備だ。
この状況で暴徒と化した女どもを止めるには、これしかない。
「必殺……!!」
ありったけの気合いを込めて、オレは――スマイルした。
「弟の真似ッ!!」
にっこーり!
「やあ、みんな!! ぼくの出迎えにきてくれたのかい!! 嬉しいなあ!!」
アスファルトの道路なのにバッファローの群れのような土煙を上げ爆走していた集団が、その笑顔一つで急停止する。
「くっ――」
集団は、まるでそういう一個の生物であるかのように脈動し、そして唸りを上げた。
「くううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううやっ、くううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううんっ!!」
あとは、「うっきょー」とか「はっきゃー」とか「ぎにゃー」とか、日本語を駆使した擬音表現でも追いつかない真っ黄色な金切り声が鼓膜をぶち抜く大音量で響き渡るのみ。
嘘でも大げさでもなく、超音波でガラスが割れる、スズメやカラスが失神する、池の鯉が浮く、微弱な地震が計測されるといった事象が起こり、その瞬間にはたぶん時空さえ軋んでいた。
オレは笑顔を崩さず、彫像になった気分でしばらく立ち尽くしていた。
双子なので、声も笑顔も弟に似せるのは造作もない。いや、そもそもテンション上がりまくってオレを弟と間違えていた連中が大半なのだから、騙すのは簡単だ。
ただし。
「………………にこ」
オレの弟はモテる。
だが、オレはモテない。姿形はそっくりなのに何故かまったくモテない。
オレにはいわゆるモテオーラがないのだ。そしてオーラのない男の笑顔は気持ち悪い。熱狂していた女どもも、徐々に何かおかしいと気づき始める。
「に、にっこー」
「…………………………あれ」
やがて、誰かが言った。
「これ、類似品じゃね?」
――だっ。
「だぁれが類似品だゴラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
あ、もう駄目。忍耐の限界。
もう知らん。あとのことなど知ったことか。罵倒してやる。罵倒してやる。罵倒してやるぞこのバカ女ども!
「てめえら今の今まで見分けついてなかったじゃねーか!! 所詮てめーらはブーブー騒ぎたいだけのブタなんだよっ!! ブタが恋したの何だのほざいても所詮は人間の善し悪しなんか区別つかねーんだろ!! 周りも見えねえで面倒ばっか起こしやがって恋愛スイーツ脳はこれだから社会の害悪なんだよ!! 大体てめえらのほとんどはもう勝ち組にはなれないんだからいい加減、鏡見て速やかに諦めろ!! ブサイクは恋愛市場から撤退しろ!! 自分磨きとか言って化粧でごまかしてもそれ詐欺だから!! 男からしたら天然もの以外は基本的に半値以下じゃないと買う気になりませんから!! 自分の価値を自覚しておとなしく身の丈に合った巣に帰れ!! て・め・え・ら・みたいなドブス性悪ノータリンクソビッチどもにはなあっ!! ぜっっっっったいにッ!! オレの弟はッ!! 婿にやらんッ!!」
言った。言ったぞ。言ってやった。ざまあみろだ。これで少しは正気を失っていたオダリスクどもも冷静に自分の立場というものを認識し直して――。
て――。
あ、あれ、何でしょう、この怖気は。大気が、ぴりぴりと電気を発しているような。
超大型台風が襲来する前の海辺の風を浴びているような。
あるいは、宇宙の星がスーパーノヴァして銀河が裂けてブラックホールみたいな。
とにかく、何か、終わりの予感。
「あ。あっと………………な、なーんてね、ウソウソみんなすっごく可愛いよ!! 超可愛いよ!!世界一可愛いよ!! みんなオレの嫁っ!! 弟のことなんか忘れて今からでもオレのハーレムに入らなぐほおおおおおおおおうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううっ!!!!」
今度は血反吐では済みませんでした