第一話 墜落(オチオチ)プリンセス! B-partの1
「――飛ぶぞ」
「はひ?」
返事は待たなかった。オレは『異界姫』を抱えたまま割れた窓枠に足をかけ、そのまま一気に空中へと飛び出した。
眼下に無数の女達の白い手が伸びる。白蛇の群れに牙を剥かれる感覚。足を掴まれそうになったが僅かにオレの跳躍が早かった。オレは女どもの蠢く庭と道路の中間、つまりはブロック塀の上へとピンポイントで着地する。抱えた『異界姫』の重さでバランスを崩しかけるが根性で立て直し、そのまま運命のタイトロープへと挑む。
「このまま走り抜けて脱出する!! 動くなよ!!」
「え、ええええっ!?」
お姫様をお姫様抱っこして、オレは全力でブロック塀の上を走り出した。下には未だ道を埋め尽くす女という名の亡者ども。呪詛の言葉と伸びる手がオレの足を絡め取ろうと次々迫る。曲がり角に合わせて急カーブ。向こうの塀まで大ジャンプ。他人の家の屋根に飛び移り疾走を続け、塀に戻ってまた走る。
「ちく、しょう、お前、結構、重い、ぞ……」
「そんなこと言われてもーっ!! うわ!! 下!! 後ろ!! 追ってきてます大漁です!!」
ちらりと見る余裕もない。とにかく今は距離を、時間を稼がなくては。
「あ、あのーっ!! わたしさっぱりわからないんですけどーっ!! わ、わたしはただ自分の世界を救ってもらいたいだけで別にクーヤさんの恋人になろうとかそういう気は全然――」
「みんな最初はそう言うのよッ!!」
「そう言って空也くんに近づいて、助けられれば惚れるのよ!! 私のように!!」
「そう、私のように!!」
「私のように!!」
「何言ってんの私よ!!」
「私だ!!」
「私が!!」
「黙れこの……!!」
『異界姫』の言葉で期せずして背後で同士討ちが再開されたらしい。まったく、女なんて生き物は三人以上集まればカシマシイかミナゴロシかのどっちかしかありゃしないんだ。
「っていうかぁ……この人はテンなんとかさんでクーヤさんじゃないんですよぉーっ!!」
「天我だっての!! それはもうここまで状況が悪化すると言っても聞かねえよこいつら!!」
そうなのだ。このオダリスクどもの最悪な点は、これだけ弟に惚れているだの何だの言いながら、ほとんどの奴がオレと空也を瞬間的には見分けられないことだ。
平常時なら……『幼馴染』ほどイっちゃってるのは例外にしてもオレと弟の区別は簡単につくはずだ。見た目そっくりの双子といっても、仕草も性格も違う。冷静になればわからないはずがない。
だが、今のこいつらにはわからない。弟を独占したい、他のライバルを出し抜きたいという邪念に囚われて当の恋する相手も見えていない。恋は盲目というが、こいつらの目は単に節穴だ。
「――とはいえ、それでもさすがにランキング上位の連中はオレが兄貴の方だとわかっているはず。なのにこの状況を止めようともしない……!! 本当にヤバいのは、そこだぜ!!」
ふいに、嫌な予感がしてオレは急ブレーキをかけた。
ぐわん――と、空気が膨張するような音と焦げつく匂いがする。次の瞬間、一歩先のブロック塀が空間ごと丸く抉り取られるようにして崩壊した。
誰のどんな攻撃かはわからないが、今のは直撃したら確実に死んでいた。
「……新しいライバルの芽は、どさくさ紛れにさっさと消し飛ばしちまおうってわけか。まったく、性格ブスしかいねえのか!! オダリスクって奴にはよっ!!」
思わず毒づいてから、オレは塀を飛び降り周囲を確認した。集団は少し引き離せたが今の攻撃を放った奴は見つからない。抱えていた『異界姫』を降ろし、手を引いて路上駐車されていたクルマの影に二人で座り込む。
「あの、テンガ、さん? 何となく事情は呑み込めてきましたが」
「ああそう、だったら黙ってろ。たぶん、空也はすぐ近くまできているはずだ。合流さえできれば――」
「あのっ!! テンガさん!!」
黙れって言ったそばから大声を出す。こいつ学習能力ないのか?
迷惑げに『異界姫』を見ると、意外にもその表情からは先ほどまでの怯えが消えていた。