第一話 墜落(オチオチ)プリンセス! avant-title
第一話 墜落(オチオチ)プリンセス!
目覚めると、天井に大穴が空いていた。
枕に乗せた寝惚け顔が、朝の日差しにひっぱたかれる。天気は快晴。まだ空気は少しひんやりとしているが、きっと昼には汗ばむほどの陽気になるだろう。
きっと今日も、いつもと変わらない平凡な日常が始まる。オレは冷静にそんな未来を予感しながら――
「ぐほうううううぅぅぅっ!!」
血反吐を吐いた。
「が、がはぁっ!! ぐええ……え、ええっと、何だこの状況!?」
身体がやたらと重い。岩に押し潰されたかのように身動きが取れない。咳き込みながら必死に起き上がろうとして、そこでオレはようやく気がついた。
自分の身体の上に、半裸の美少女がのしかかっている。
意識すれば、掛け布団越しにも伝わる生温かい感触がある。柔らかい手応えがある。鼻の奥をくすぐる甘ったるい香りがある。顔を上げれば視線の先に、小麦色の肌に食い込む白い布が見える。それはまるで男の子の純情と股間を刺激するハーレムラブコメの素敵なオープニングシーンみたいな絶景だった。
が、全然嬉しくない。
「ごほっ!! う、うう……お、おい、寝てんのかお前? いいから早くそこをどいてくれ……」
なるほど状況は読めてきた。
要するに今、オレと添い寝しながら何やらグルグルと目を回しているこの謎の美少女は、たぶん空から突然落ちてきやがったのに違いない。
そしてその勢いで我が家の天井をぶち破り、二階の部屋で熟睡していたオレを圧殺しかけたというわけだ。うん、こいつはわりと、よくある話。
「はらひれはらふれほれはられ…………って!! はっ!? ココダレワタドコ!?」
美少女が、お約束だからって手を抜いたようなセリフとともに意識を取り戻す。
「しまったああああああっ!! ごめんなさいごめんなさい!! 生きてますか潰れてませんか内臓に深刻なダメージを受けて吐血したりしてませんかっ!?」
「……お前にはオレが起き抜けにトマトジュースを吹いているように見えるのか?」
「で、ですよねー。地表にクレーターを形成する勢いで思いっきり激突しましたもんねー。うっかり落下中にブレーキかけるタイミングを間違えちゃって……あ、けど先に天井に当たったおかげで上手い具合に減速できたみたいですね。いやー、お互いにラッキーでした。わたしに至ってはあなたがクッションになって無傷ですよ!! まさに奇跡!! これもわたしの日頃の行いがいいからです!!」
「ふざけたこと言ってねぇで、さっさとオレの上からどけって……!!」
オレの上にちょこんと座り直した美少女の尻が、ちょうどオレの胃袋辺りをぐりぐり蹂躙する。それは確かに柔らかいし温かいしいい匂いのするものだが、この状態だと完全に凶器。
「あ、これは失礼。わたし育ちがいいもので、どうしても周囲への配慮に欠けるところがあるみたいなんですよね。よく城の者にも注意されるんですけど、なかなか治らなくって。この間も侍女に『姫様は他人の話を聞いてるようで全然聞いてない』と駄目出しされてですね、もうほんとイラっときましたよ!! 何なんですかねあいつ侍女の分際で!! クビにして露頭に迷わせたい!! ぜひ迷わせたい!! あ、あと出立前にも大臣が『姫は基本的な礼儀作法がなってない』だの『姫の対人コミュニケーション能力には致命的欠陥がある』だの『姫に国の命運を託すしかなくなった時点でもう終わってる』だの散々お説教してきてさー!! もうあの無駄に伸ばしてるヒゲを毟ってやりたくて毟ってやりたくて――」
「いいからどけっつってんだろーがッ!!」
どがっ!――と、辛抱たまらずオレは謎の美少女を腹筋を駆使して跳ね飛ばし、そのままベッドの上から蹴落とした。
「きゃがぴ」
不思議な悲鳴を上げながら彼女は後ろでんぐり返りの要領で転がっていき、そのまま壁に激突する。重しを解いてようやく起き上がると、見慣れたはずの室内の変わり果てた情景が目に飛び込んできた。物はあれこれ散乱しているし、壁は一部が崩壊しかかっているし、窓はガラスどころか窓枠ごとひしゃげて割れているし、照明は天井の大穴の横にかろうじてぶら下がり哀しげに揺れている始末。どう見ても、空から美少女が落ちてきたというより空からミサイルで爆撃されたといった有様だ。
「け、蹴られたーっ!? 下賤の輩に蹴り入れられたーっ!? 信じられない!! 偉大なるストラスフィア聖王家の王女に対し何たる無礼!! わたしが一体何をしたっていうんですかーっ!!」
「ヒトん家の天井を突き破って部屋を完膚なきまでに破壊した挙句、殺しかけたオレの上に座り込んで無駄話してたからだろうが!! ああもう、いいからお前、ちょっと待ってろ!!」
大声を上げて勢い少しむせる。口元を濡らした血を拭ってから、オレはベッドの下に常備してあった外履きの靴を引っ張り出して履いた。服も最初からこういった事態に備え寝巻ではなく動きやすいスポーツウェアを着用している。伸びをしながら身体のダメージを簡単に確認すると、幸いと言うべきか吐血量のわりには意外と軽傷で済んでいるらしかった。
手櫛で寝癖を整えながら、オレは改めて目の前の美少女を観察した。
服装は胸元と肩を大きく露出させ、スカートにも深いスリットを入れたなかなか扇情的なものだ。スリット部は複数の金色のリングで留められており、彼女自身も腕や太もも、足首などに似たようなリングを嵌めている。適度に焼けた肌色と相俟って千夜一夜物語の踊り子か中東系の神話の巫女のような印象を受ける。
豊かに膨らんだ胸とすらりと伸びた手足からは成熟した女性の色気を感じるが、それは巨乳と露出の魔力に惑わされているからであって注意深く見ればそこかしこに残る幼さにはすぐ気づく。恐らく実際はオレと大差ない、十五歳前後の年齢だろう。きっと服のデザインも含めて、無理に背伸びして色気を出そうとしているのではなかろうか。
髪色は透き通るような淡い蒼。瞳の色はより深い碧。しかし、どちらもふわふわくりくりよく動き、色合いのイメージに反して落ち着きがまったくない。
最後に顔立ちだが――これはまあ、どうでもいいや。美少女は美少女であって、更にその顔の特徴を上げていっても意味なんてない。
特に、このオレの立場においては。
「お前、さっき自分のことを姫だとか言ってたな。つまりお前は異世界から降ってきたお姫様ってことで属性はいいんだな?」
「属性……というのはよくわかりませんが、いかにもわたしこそ天と宙の狭間に浮遊する幻想の大陸、ストラスフィアを治める聖王家が第一王女、その名もアカシャ=ストラスフィア――」
「あ、そういう細かい設定はいいから」
有無を言わさず念を押す。
「質問にだけ答えろ。お前は異世界の姫なんだな?」
「は、はあ。そう言われると確かにそうなりますけど」
アカシャとか名乗った美少女は戸惑いながらも肯定した。
「オッケー。じゃ、お前の呼び名は今から『異界姫』な」
「なっ!? 何ですかそれっ!? そのまんま過ぎるし適当なっ!!」
抗議の声は無視して、オレは足の踏み場を確保しながらどうやら奇跡的に筆記用具が散らばった程度で済んだらしい机の前まで進んだ。その引き出しを開けて一冊のノートを取り出し、挟んであったペンで今見聞きしたデータを書き込んでいく。
「あー、異界から来た奴も姫属性の奴も有り余ってるから少しややこしいかなぁ。まあ異界と姫を組み合わせときゃ、とりあえず混乱はしないか……」
「あ、あの。ちょっと聞いてるんですか? あなた何なんですかさっきから!!」
『異界姫』が文句を言いつつ詰め寄ってくる。だが、それはあくまで無視。オレは一心不乱にノートのチェックを続けた。ここでデータを正確に把握しておかなければ、このオレの生命の安全とついでに世界の命運を左右しかねないのだから仕方がない。
「あのですね、自分で言うのもアレですけどわたしみたいな神秘的な美少女が突然空から降ってきたらもっとこう、どきどきわくわくするべきなんじゃないんですかね? わたし、ほんと自分で言うのもアレですけどめっちゃ可愛いですよ!? 大胆露出とちょっと天然なキャラの合わせ技によってエッチなハプニングとか期待し放題ですよっ!?」
「なるほど、頭は悪い……と」
「ちょっとーっ!! 何書いてるんですかーっ!?」
伸びてきた手をさっとかわして、オレは書き込みを終えたノートを『異界姫』の届かない高さまで掲げた。
「うぎゃー!! いじわるしないで下さい!! どうしてわたしのことそんないい加減に扱うんですかっ!? あなたがそんな人だなんて思わなかったですよーっ!!」
「そんな人って、お前オレが誰だか知ってるのか?」
そう尋ねると、ノートを奪おうとパタパタ動いていた『異界姫』が急におとなしくなった。目を伏せ、こんなはずではなかったという失望を込めて、ある名前を呟く。
「……クーヤ。オオトキ・クーヤ」
その名を口にすると、『異界姫』は一転して何かを決意した面持ちに変わった。
「そう……そうですね……たとえあなたがどんな人間であろうと、浮遊大陸の救い主として選ばれたことは間違いのない事実。わたしは……あなたとの運命だけを信じてここにきた!!」
そしてオレの目をじっと見据える。彼女の瞳に宿るのは、使命に燃える心の炎か。その炎に焼かれたように、熱く滾った言葉が凛とした音とともに部屋に響いた。
「そう、汝、オオトキ・クーヤ!! あなたこそわたしが探し求めた運命の救世主なのです!!」
「空也はオレの弟だ」
一言、そう返すと『異界姫』は真剣な眼差しのままフリーズした。
そのまま数秒経過。なかなか再起動しないので、もう少し説明を加えてやる。
「――オレの名前は大朱鷺天我。お前が探し求めてる運命の救世主とやらはまず間違いなくオレの双子の弟の、大朱鷺空也のことだ」
「あーっ……」
「ちなみに空也はここ数日留守にしてたんだが、今朝には帰ってくる予定だから。逢いたいならもうしばらく待ってもらうぞ」
「あ、じゃあ待たせてもらえますか? お茶は番茶がいいです」
「その前にまず、オレの上に人違いで墜落してきた件について何か言うことないの?」
「………………ま、間っ違っえちゃったーっ!! 許してきゃぴんっ♪」
「きゃぴん♪――じゃねえよ!! 何だよそれ謝罪どころか可愛いアピールにすらなってねーよ!! 大体てめえ姫キャラのくせにまったくそういうキャラ立てになってねーよ!! いい加減にしろこのド腐れ露出ビッチがっ!!」
「ど、ド腐れ露出ビッチとな!? ド腐れだけならまだしも露出ビッチとな!? 一国の王女に向かってド腐れプラス露出ビッチって、もはや宣戦布告にも等しい暴言!! 外交問題にして社会的に抹殺しますよっ!!」
「してみろやボケッ!! スト何たら言う誰も知らないドマイナーな異界の国にそんな外交能力あんのかよ!? 日本の外務省とパイプあんのかよっ!? 交通手段が落下しかないような底辺国のくせに!!」
「てっ、底辺じゃないですー!! ストラスフィアは天上の王国なんですーっ!! 最近は有名なアニメ映画に出てきた場所にちょっと似てることをウリに日本での観光事業を拡大しようとしてるから交通手段もこれから整備する予定なんですーっ!!」
「現状は整備されてないうえに観光地詐欺じゃねーか!! 大体そんな淫乱ファッションで空から王女を降らせるような国、まともと思えるかっ!!」
「淫乱ファッション!? そ、そんな目で見るなんてこの変態っ!! あー、そういえばさっきおっぱい揉まれた気がする!! どさくさに紛れて肉体を弄ばれた気がするぅー!!」
「揉んでねーけど、今せっかくだから揉んでやればよかったと後悔してるわっ!!」
どうもこいつと会話していても時間の無駄な気がしてきた。少なくとも、大したランキングはつきそうにない。オレは深い溜め息をついてから、改めてノートのページをめくった。表紙に我ながら汚い字で、『オダリスクランキング』と書かれたノートを。
「あーうるせえ。もう謝罪はいいから、とにかく空也が帰ってくるまでにもうちょい質問に答えてくれ。事情によっては空也に逢う手伝いをしてやるから」
「手伝いなんて必要ありません!! ここで待っていればすぐにクーヤさんは帰ってくるってあなたが言ったんじゃないですか!!」
「いや、帰ってはくるんだが……自力で逢うのは不可能だと思うぞ」
うんざりした気持ちでそう告げると、『異界姫』は案の定きょとんとした。
こういう場合の説明は未だに慣れない。一体どう表現したらいいものなのか。オレの弟、大朱鷺空也という存在について。
すると――。
「こーーーーーーーふぉふぉふぉっ!!」
壊れた窓の外から届く、少女の高笑い。