夢を見ない眠り
図書室。
地下に作られた我がファンディアハル家の巨大書物室。禁断の魔法書、外法とされた医学書、果てにはあらゆる分野での人体実験の報告書まで。その数は計り知れず、多岐にわたっている。俺はそんな中、魔法生体書を読んでいた。内容は魔法が及ぼす人体への影響についてだ。
何故、そんなものを読んでいるかと言うと、骨折した腕の早期治療のためだ。流石に一ヶ月もこんな格好をしているわけにもいかない。自分の治癒能力の制限解除は諸刃の剣だしな。
しかし、どの結果を見ても、有効なものが一切無い。あるものは魔法をかけた部分が回復を通り過ぎて過剰再生し、奇形となった。あるものは傷口の壊死した細胞の方が広がり、全身が腐って崩れ滅びた。どれもこれも成功とは言いがたい。
「ふぅ。魔法だけでは駄目だな」
俺が次に手にしたのは、隣の国、ユトランドでかなりの昔に確立されて、もう見る影も無く衰退した魔法を機械と融合させた技術の指南本だ。当然、合法で入手した物では無い。昔、ちょっとした事で知り合った人間に、譲ってもらったものだ。あの国では機械技術が今も少し残っているが、本当に当時からすれば、殆ど見る影も無い。
技術は衰退する事もあるんだ。魔法も最盛期と比べれば衰退している。
そして、その技術には機械の動力として魔力を使用するものと、機械自体に魔法をかけるタイプがある。俺が手にしているのは、後者だ。機械を魔法によって変化させると言う。
以前、俺が一度読んだとき、これに独自の改良を加え、機械ではなく金属に魔法をかける事で、金属の性質を変化させる事が出来るようになった。今回はそれを応用して、金属を意志の無い金属生命体のように変質させ、破損部に合わせて形成し、俺の体に組み込み、成長する金属の骨とする。金属部は、理論上は俺の骨と融合して、俺の一部となる筈だ。
しかし、成功するとは限らない。使う金属にもよる。鉛などの有害物質を含むものは論外だ。そうなってくると、限られてくる。
ミスリル。そう、ミスリルがあった。あれは不純物を一切含まない。単一元素からなるものだ。純度は百パーセントで練成される。練成直後は魔力も含まない特殊な金属だ。それを使えば、魔力探知にもかからない。比重も軽く、練成法によれば水に浮かす事も出来る。今あるのは人間とほぼ同じ比重の純ミスリルだ。魔力をまだ使っていない。
「試す、か」
俺は早速実行に移す。上手くいけば、局部的に体を強化できる。少し分の悪い賭けのようにも思えるが、文句は言っていられない。俺でも骨折を治すのには一ヶ月も掛かってしまう。そんなに待ってはられない。
本を元の場所に戻し、俺は図書室を抜け、今度は魔法実験室に移る。材料その他は揃っている。結果は。ものの二時間程度で出るだろう。しかしそのとき、俺は俺の姿で居られるかどうか。一抹の不安がついてくる。
「ルシア様! どうしたんです?」
一階に戻ってみると、レイが慌てて俺の所へきた。
「何が、だ?」
「だって、お顔、真っ青ですよ」
そういえば、目の前が霞んでいるかもしれない。体温も通常では考えられないくらいに低下しているのかもしれない。一応血止めをしながら行ったが、失血し過ぎたようだ。血が足りなくなっているのかもしれない。眩暈もしている。気分が、悪い。
「血を、流しすぎただけだ。大した事じゃない」
それを聞いて、レイの顔が強張ったように見えた。しかし、俺には何も言わずに、強引に俺の腕を引いて寝室まで引っ張っていく。
「おい、レイ」
「静かにしてください。夕食は、無理にでも食べてもらいますよ。まるで死人じゃないですか、その顔色。造血作用の高まる食材を使って食べやすいものを作りますから」
レイの言葉に、今までにないほどの切迫感を感じさせられた。そんなに顔色が悪いのだろうか。
そのまま俺はベッドに寝かしつけられた。
「安静にしていてください」
「ああ。分かった」
俺は素直にベッドで寝ている事にした。レイはそのまま出て行き、一階へいったようだ。
先ほどの実験結果から言うと、成功は成功だった。しかし、とんでもない副作用を出してしまった。おそらく。俺の左腕、肘から先、手首までは完全に成長するミスリルになっているだろう。下手をしたら、手の骨も金属化している。
局部麻酔を腕にかけ、大きな静脈、動脈を傷つけないように切開し、骨の折れた所までを露出させ、そこに処置をしたミスリルを埋め込み、同化・融合をさせた。すると、突如ミスリルは俺の骨を浸蝕、構造を変換し、金属部を増大させていった。結果、ものの十秒足らずで何の痛みも無くその部分は全て成長するミスリルに変わってしまった。
俺はそれを確認し、傷口を縫合した。
手首から先もミスリルに変わっているかもしれない。肘から上、肩までは変わらないようだ。自分の体だ、感覚で分かる。
あの変化速度から考察するに、生体的な機能をそのままに、金属がそれを代替したと考えられる。骨格の構造を残し、生体である骨の内部、外部の分子結合を組み変え、同質のミスリルに変質させたと考えるのが妥当だろう。ミスリルが生体金属へと変質し、俺と同化したんだろう。
しかし、恐るべき副作用だ。もうやらないほうがいいだろう。
そこで思考を打ち切り、窓から外を見る。夕暮れ時になっていた。
「帰ってきてから半日、あそこに居たのか」
自分でも驚く長さの時間、地下に篭っていたようだ。しかし、レイは俺が出てきたときに出入り口にいた。つまり、ずっと待っていた?
「まさか、そんな…」
否定しようとして、俺は否定できなかった。レイの性格なら、やりかねない。そう、思ってしまったから。
俺は、血が足りないせいか、意識が朦朧としてしまったのだろう。簡単に眠りについてしまった。
俺が意識を失って眠り、次に起きたのは午後六時だった。とりあえず、生きている。怪我の治癒に体力を大分削られて、体が衰弱し始めている。血も足りていない。あの時ほどでは無いが、結構危険だ。
「ルシア様。夕食ですよ」
「ああ。分かった」
レイが俺を起こしにきた。俺は素直に起き上がり、一階の食堂にレンと共に向かう。足取りが少し怪しい。目も霞みがちだ。体が重い。階段を下ろうとしてバランスを崩した。危うく一階まで転げ落ちるとこだった。
それを見かねて、レイが俺の体を支えている。情けない話だ。
食堂には、食事を並べていたレンがいた。
「あ、ルシア様。
腕、平気?」
心配そうに俺の顔を覗き込みながら、レンが聞いてくる。
「ああ。血が戻れば大丈夫だ」
俺の答えに、レンは安心したようだ。笑顔を見せる。何とかして頬だけはこけさせないようにしないと。異常がくっきりと顔に出れば、二人が心配する。
そこで、俺は自分が死ぬかもしれないと言う事よりも、二人に心配を掛けたくないという方が、優先されている事に気がついた。考えの根本から、変わってきているようだ。
そうして、俺はレイとレンが作ってくれた、俺の為の料理を残さず食べた。体は分かっているようだ。一刻も早く回復するためには、外部からエネルギー源を摂取しないといけないと言う事が。
その後、後片付けを二人に任せ、今日は体を拭き、着替えただけにした。だから、二人には今日は自分たちの部屋で寝るように言ったのだが、どうしても聞かず、結局今夜もまた、三人で寝る事になった。俺は嫌では無いが、二人がどうだか分からない。
だが、俺は二人の体温を感じられるのが嬉しかった。気分的な問題と、俺の体は、一人では体温が異様に下がってしまっていて、迂闊な事をすると低体温症を起こしてそのまま体温を失って死にかねない。それでなくとも、血を無くし過ぎて、いつ失血死してもおかしくはない筈だ。書物でしか読んだ事の無い事だったが、自分の体で体験すると、よく分かる。
非常に、気分が悪い。頭は重く、体はだるい。末端部は感覚が希薄で、心臓の鼓動さえも、時々聞こえなくなっているような気がする。
まともな思考が出来るのが、奇跡的だ。
俺はその後、馬鹿みたいな事を寝付けないと言う事で延々考えて、その末に、結局あっさり意識を飛ばした。
「おはようございます。ルシア様」
「あっさだよぉ~」
二人の軽快な挨拶で、俺は目を覚ます。
「おはよう。レイ、レン」
時計を見れば、いつもより、二時間も遅い起床だった。だがその分、体は少しだけ回復してくれたようだ。頭の重さは無くなり、体のだるさも消えた。
「顔色が、昨日よりは良くなりましたね」
「昨日は、凄かったんだよ」
二人も俺の顔色が少し戻っている事に、安堵したようだ。
「昨日は、心配かけたな」
二人に微笑みかける。まったく、俺も本当に丸くなったものだ。
微妙な苦笑を交えてしまう。しかし、何時の間にか、二人をすっかり受け入れているこの自分は、嫌いじゃない。
そこで、腕の怪我を見る。切開した部位の裂傷が見えるだけで、動かしても何ら支障は無くなっていた。自分の思うように動くし、中身が金属とは思えない。その裂傷は自然治癒に任せるとして、血は早めに戻さないとならない。この倦怠感はいただけない。どうにもやる気を――元から無いかもしれないが――削がれてしまって全てを面倒くさく感じてしまう。
二人とともに一階の食堂に下りる。そこにはもう朝食が準備されていた。
「今朝は、何だ?」
「あっさりと仕上げてみました」
レイが朝食の説明をしてくれた。トーストと、サラダ、それと材料が何だかわからない特製ジュースだった。
二人で作ったと言う話だが、味はやはり、俺よりも美味かった。
「ご馳走様」
「どうでした?」
「どうだった?」
二人とも味の方を聞いてくる。答えは、決まっている。
「ああ。美味かったよ」
笑顔を見せてそう言ってやると、二人は嬉しそうにする。初めて来た時とは、百八十度違う顔だ。
しかし、今日は出歩けそうも無い。頭が、物凄く重い。だから、今日は二人にこの間言った手紙を書くと言う事を実践してもらおうと思う。
「さて、二人とも、今日は俺がこんな様だから、外出は延期だ。
その代わり、二人には母親に、手紙を書いてもらおうと思う」
「え?」
「本当に?」
「ああ」
二人は疑うように聞いてくる。それほどこの提案が意外だったようだ。顔が驚いている。俺としては良い提案だと思ったんだが。何かあるのだろうか。
「駄目か?」
「いいえ! とんでもない!」
「でも、そんことさせてくれるの?」
俺がもう一度聞くと、本当は凄く連絡が取りたかったようだ。駄目の言葉を全力否定している。
どうやら肉親に連絡を取る事は基本的にさせてもらえないと言われていたらしい。だが、そんな事は知った事では無い。俺は曲りなりにも、爵位こそ無いが貴族に近い立場だ。多少の無理は通す事が出来る。
「ああ。俺は、いや、俺の家名、ファンディアハルはこの国を建国した王の右腕だった。当時の当主は爵位を貰わなかったが、以来この国の騎士では一番の名誉、古代の強力な魔法の掛かった武具を無条件使用できる『魔法騎士』の称号を戴いた者を、数多く輩出している。
そんな家の嫡男だからな。多少の無理は、押し通せるさ」
今まで全く役に立たなかった家名だが、二人を手に入れてから、妙に役立つ場面が増えている。役に立つなら、まぁ、いい。使えるものは、この際とことん使ってやる。今まで役に立たなかった分、な。
俺は心の中でそう思う。
「と言うわけだ。
レンは字が書け無かったな。レイ、代筆してやってくれ。それと、これがこの屋敷の住所だ。返事は、あんまり期待しない方がいいかもしれないが」
「はい」
「やった~!」
二人は手早く後片付けをして、部屋に戻っていった。俺は、中庭に出る事にした。日差しが柔らかい。まだ、暑いほどのものでは無い。一本、大きな葉を広げる気の根元に腰を降ろす。日差しが一段と遮られ、涼しさが増す。
「二人の手紙が出来上がるまで、ここで昼寝でもしてるか」
気分良く、最近ずっとそうだが、何か満たされた感じで眠りにつこうとする。
しかし、睡眠には至らない。まどろみの中、心地よい状態が続く。普段なら簡単にこの状態は終わってしまうのだが、健康状態が不良だからだろうか、中々それから抜け出さない。
ああ、でもこの状態が一番気持ちいい。ずっとこうしていたい。