本日の訓練
「で、隊長は宝石を一個ポーンと出したのよ。その宝石が何とあのスカーレット・ルビー、しかも真紅の涙級の代物ときたもんだ。横から他の男が金を出すが、隊長の出した額には到底かなわない。それで決まり。隊長は釣りもとらずに颯爽と帰っていった……」
部屋から話し声が聞こえている。やれやれ、ウィンセントは昨日の事を話しているようだ。口が軽いのも考えものだ。
「こら、ウィンセント。もう時間だぞ。話はそのくらいにしておけ」
扉を開け、人の輪の中心で話しているウィンセントに注意をする。
「た、隊長!」
「何故驚く。もう訓練開始時刻だ」
俺が部屋に入ると、話し声が一斉に止む。いつも通りだ。
「隊長。二人はどうしたんです?」
「ウィンセント、お前な」
朝一番にそんな事を聞かれるとは思っていなかった。
「まさか、人道に反したような事を――」
「……斬るぞ?」
右手を剣の柄に持っていき、抜刀の体勢を取る。この手の冗談には冷静に返すところだが、何故か自然に返す冗談が出ていた。見れば他の隊員も微妙に驚いている様子だ。
「冗談ですよ。で、どうしたんです?」
「まったく。
少しだけ現金を渡して食材の買出しに行かせてある」
「家の鍵は?」
「俺の家は魔法鍵を使ってある。二人の首輪に家紋を掘り込んでそこに魔法をかけておいた。問題ない」
今の俺の家は無数の魔法結界で防護されている。俺以外の人間は屋敷内に入るには魔法鍵が必要になる。二人には首輪にそれをかけた。
「へぇー。隊長すごいっすねぇ」
「そんなところで感心するな。
ほら、外に出ろ。今日の訓練を開始するぞ」
ちなみに今日は年に一度の分隊全部での模擬戦闘訓練(個人)だ。つまりこの騎士団内で誰が最強かを戦って決めるのだ。
「さてさて、ここで一丁賭けねぇか? 誰が優勝か? 一口銀貨二枚だ」
「賭けは聞こえないようにやれ。団長に知れたら事だぞ」
釘を刺しておくが、おそらく何の抑止力も発揮しないだろう。他の分隊でも行われている事だ。しかも、団長も黙認しているときている。しかし、ウィンセントのレートは高いな。
「俺には間違っても賭けるなよ。途中、二回戦程度で負けるつもりだからな」
「隊長、そらないっすよ。俺、隊長に金貨一枚賭けてんすから」
「大穴、狙い過ぎだな」
俺に掛けるなんて。呆れてそれ以上言葉が出なかった。
「他の隊より劣ってるって思われてもいいんすか?」
この言葉は痛い。成績が最下位の分隊は給金が減る。それは防がないと俺の今後の生活に支障をきたし――は、しないが。昨日は少々使いすぎたし、二人の事もある。家の財産を食い潰すのは俺の望むところじゃないし、金はあって困る事の無いものだ。
「他の人間も頑張るなら、俺は上位を目指そう」
俺がそう言うと、他の人間の顔が凍りついた。この分隊の構成員は、基本的にやる気のない者が多いんだ。
「隊長。俺、やります」
ヴィークが名乗りをあげた。
「そうか。なら、良い成績を出したら、ヴィークには俺から個人的に褒美を出そう。
他の者も、成績優秀だった者には何かやろう」
その言葉を聞いた者たちは、表情が一気に解凍されていき、奇妙なほど元気になった。
「隊長。いいんですかい?あんなこと言って」
「問題ない」
俺は顔を綻ばす。皆は知らないようだが、成績優秀分隊には少しの追加給金が支給されるのだ。
「ちなみに成績優秀者と言うのはベスト十六入りだ」
小声で言っておく。まぁ、基本的に皆俺が作ったメニューで訓練しているのだ。弱い筈はないのだが。
時間になった。今日の訓練が行われる。
全員完全武装で外に出る。俺も余り着ない甲冑と篭手、具足とフル・フェイスの兜をつける。剣は訓練用の重い、刃の無いロング・ソードだ。
余り使い勝手の良くない装備だ。まぁ、量産品の粗悪品。弘法筆を選ばずと言うから、どんな装備でも条件が同じならどうにかなるだろう。
特別誰かに剣術指南をしてもらったわけではないが、書物を読むだけで大分理屈は理解出来る。後は実際に自分で体を動かして体に覚えさせれば良い。簡単な事だ。
外で出番を待ちながら、ぼんやりとそんな事を考えていると、どうにも眠気がくる。欠伸をしそうになってしまった。
「隊長。始まりますぜ」
ウィンセントに言われて意識を会場に向ける。俺の部下の一人が戦うようだ。確か名前はラグラスだ。俺の第二小隊、俺を含めて総勢五名の中でも体格の一番優れた男だ。
「ラングスなら大丈夫だろう」
「ですが隊長……あいつ、極度の上がり性ですぜ」
「多少は命が掛かっているんだ。問題ないだろう。治癒魔法なんて都合の良いものは殆ど無いんだからな」
戦闘が始まった。ラングスは動かない。いや、動けないようだ。遠巻きに見ても分かるくらいに小刻みに震えている。まぁ、一撃喰らえば目が醒めるだろう。
がん!
威力のある一撃が兜に当たる。これで、目を醒ましたろう。
ラングスの反撃が始まる。緊張は解けたようだ。今度から一方的に攻め始める。
「隊長、この分なら勝てますね」
「ああ」
次は誰かと思い、視線を泳がすと、そこには俺の小隊で唯一俺より身長の低い人間、ショウレーンが居た。顔色が悪く青ざめている。
俺は今日が月の何日なのかを思い出し、その原因を導き出した。
ショウレーンの近くまで行き、声を掛ける。訓練を休むように言うためだ。
「ショウレーン。今日の訓練は辞退しろ」
「隊長? 何でですか?」
青い顔で疑問を問う。俺は思わず溜息をついてしまった。
「はぁ、俺には気付かれていないと思っているのか?
今日は、月に一度ある日だろ。無理はするな」
「な! た、隊長?」
ショウレーンは驚く。本気で気付かれていないと思っていたようだ。俺の情報網は万全で、部下の素性は皆割れている。
「そう言うわけだ。隊長命令。そこら辺に座っていろ」
そうこうしている内に、俺の出番になったようだ。
「じゃ、少し動いてこよう」
兜のフェイス・ガードを下げ、リングの上に上がる。相手は第三小隊の猛者との噂がある男だ。『準』優勝候補でもある。
「ルシア殿が相手か。
全力でお相手いたそう」
お堅い奴みたいだ。しかし、どうも俺を買いかぶっているようだ
「こちらも、負けない程度に頑張らさせてもらおう」
訓練が始まる。
先手は相手に譲る。一撃必殺では呆気なさ過ぎる。
振りかぶられた剣が、高速で振り下ろされる。俺には見得ているので紙一重の位置で避ける。
受けたりはしない。こちらの剣が折れたり、俺の腕が痺れるからだ。そして、攻撃の機会というものは、相手の攻撃の後の隙が一番だ。しかし、流石に猛者と言われる事はある。その斬撃は鋭い。威力も十分だろう。避けるのも集中しなければ少し危ない。
そろそろ反撃かと思って様子を見ていると、その攻撃の隙はすぐに見つかった。強く叩きつけすぎて、リングにめり込んで一時的に剣が抜けなくなった。折れなかったのが災いしたな。
俺は後頭部の位置に刃を寝かせた剣の平を叩きつける。――折れるなよ。
「がっ!」
見事に命中。相手は短くうめいて倒れこむ。
「俺の勝ち、かな」
審判をしている者が俺の勝ちを宣言する。喧騒が巻き起こる前に俺はさっさとその場を立ち去る。少しやり過ぎてしまったかもしれない。
「隊長、やっぱり強いっすねぇ」
適当な場所へ戻ってきたら、そこにはウィンセント、ヴィーク、ラグラス、ショウレーン全員が揃っていた。
「どうした? 皆揃って」
俺はちょっとした疑問を投げかけた。
「隊長があの第三小隊のラーゼを瞬殺しちまうから、ついつい来ちまったんですよ」
ウィンセントは面白そうに顔を笑顔にしている。まったく、こいつは何でそういう顔をしているのか。
「いやぁ、隊長のおかげであいつに賭けた奴の分を戴いて、早くもボロ儲けっすからね。笑いが止まらなくって」
ウィンセントが笑顔を浮かべていた理由は分かった。しかし、他の三人もうれしそうにしている。
「隊長が本当は強いんだって事が、他の隊に連中に証明できました!」
ヴィークが興奮しているようだ。俺は他の隊ではそんなに評判が悪いのだろうか?
「隊長、は、血筋だけだ、と言う連中が、多いん、だ」
ラングスが、――元から話すのが得意では無いと言う話で――言葉を詰らせながら話す。
「そうか。そう見られても仕方がない。俺は、仕事はするが、それ以外は怠けているからな。別に戦争が起こっているわけでもないし、俺自身はそんなに力が重要だとは思っていない」
実力は、自分の護りたいものを護れるだけ、あれば良い。
「隊長、それって怠けたいんじゃなくて争いが嫌いなだけじゃないの」
ショウレーンが痛いところを突いてくる。言われる前から何となく考えていたが、その通りだ。生来の怠け者と言うわけではない自分の気質、変な所で真面目に仕事をしてしまう。こればっかりはどうにもならない。
「今はそれはいい。ラングス、ヴィーク、ウィンセント。残りの試合、出来るとこまで行け。ショウレーンは大人しくしていろ。
まだ、続くからな」
そう。一回戦が終わっただけ、まだ続きが在る。俺も、頑張って準優勝ぐらいはしないとならない。一度やってしまったんだ。他の人間をぶちのめしても、もう結果は変わらないだろう。
久しぶりに良い気分になってきた俺は、自分の中に、これも久しぶりにやる気と言う名の活力が出てきたのを感じた。こうなったら、本当にいけるところまでいってやる。