プロローグ 闇い過去
俺は傍に誰かを置くのが嫌だった。
俺は誰かに居られるのが嫌だった。
だから俺は、一人を選んだ。選んだつもりだった。
それが勘違いだったと思い知らされるその時まで。
それが自分の強がりだったと気づかされるその時まで。
何時だったか、俺は自分の中で毒づく事を覚えた。四歳か五歳の頃だ。それが早かったのか遅かったのか、自分一人では分からないが、そのおかげで周囲の人間には良い子だと思われていた。不平不満を外に漏らさず、自分の中で処理できたから。
だから、更に自分は一人で十分だと思い上がっていた。
考えが根底から覆されたあの時まで。
「父様、母様。もう、起きないんだね」
僕は誰に言うでもなく、両親の物言わぬ冷たい屍が横たわる部屋で、呟いた。家には両親の葬儀の為に親戚の殆どが集まっていた。中には国王の使いと言う人間も居たけど、それも含めてだけど、僕はさして気に留めていなかった。こう言う時、いつもは煩わしいと思う使用人達が役に立つ。対応は彼らに任せていた。
両親は、僕には余り関心を寄せてくれなかった。だからかどうかは知らないが、ともかくそれも理由の一つとなっただろう。僕は他人に関心を持てなかった。すでに、諦めていたのだろう。だから、繋がりの殆ど無かった両親が死んだって、殊更悲しくも何とも無かった。無関係の不特定多数の人間が、世界中で死んでいると言う事が、たまたま真横で起こっただけだ。それ以上でも、それ以下でもない。あるのは、両親と言う名の他人の死、その事実だけ。あるのは、そうとしか感じていない、自分の心。
「あんたは、両親が死んだってのに、涙一つ見せないんだな」
「ああ。僕は悲しくないから。
君も、相変わらず言葉が男みたいだね」
「あたしは良いんだよ」
何時の間にか、従姉が開いた出入り口に寄りかかっていた。男みたいに喋る従姉。僕はこの従姉も煩わしかった。馴れ馴れしい上に、来る度に何かと僕に構ってくる。僕は、放って置いて欲しいのに。独りにして欲しいのに。
「これから、どうする気?」
「僕は独りで居る。誰も要らない」
これは決めていた事。両親から独立できるようになったら家を出るつもりだったが、それが少し早まっただけ。この家が丸ごと僕の物になっただけ。
その他は、何一つ変わらない。
その事意外、変化は無い。
「そうか。なら自由にいきな」
それだけ言って出ていった。
僕は、自分の事は自分で決める。これからはそうしなければならない。その為に、後見人の話も断った。親戚の人間で良い話を聞ける者は居ない。人の築いた財産を食い潰すのが目的の連中に。それを理解して、その上で財産を差し出すほど、僕は子供ではないし甘くも無い。
この間も、頭が今一つ足りていないが父親の弁護士をやっていた男を完全に論破してしまった。当然、あの男との契約も切った。
僕は、屍二つが横たわっている部屋を出て、中庭に出た。日差しが眩しい。
「本当に、後見人は必要ないかね」
そんな僕に、声を掛けてきたのは親戚の一人だ。先ほど僕のところにきていた従姉の親で、この人の家は、家計が火の車だと言う話だ。その為か、しつこく食い下がってくる。いい加減、うんざりしてきた。
「はい。僕は大丈夫です。所属する騎士団と小隊も決まっていますし、後見人を必要とするほど、子供ではありません」
僕の言葉に親戚は苦虫を噛み潰したかのような顔をした。僕をたかだか十四の餓鬼だと思って金を毟り取る魂胆だったのだろうが、僕が予想以上に出来ていたので、辟易しているのだろう。
こちらとしては、そろそろ引き下がって欲しい。これ以上やられると、流石に我慢できかねるからだ。この程度の人間なら、再起不能にする自信もある。だが一応親戚で、目上の人間だ、余り派手な立ち回りは、僕自身の首を絞める結果になりかねない。
「わかった。君には本当に必要ないみたいだ。私から他の者に言っておこう。
だが、何か困ったら、私の所に着なさい」
「はい。ありがとうございます」
どうやら引き下がってくれたが、あくまでしつこい。恩着せがましく私から言っておくなどと言っていたが、結局は他の親戚が僕に取り入れないようにする為だ。それに自分の所にこいと言っているのは僕が困ると仮定して、そうしてから後見人にでもなる魂胆だろう。本当に、人間とは欲にまみれると何処までも堕落していくものらしい。
これが、僕が人間の汚い内面を、再認識した時だった。
両親が居なくなった十四歳最後の日。親戚一同が葬儀を済ませて帰っていった翌日。僕が十五になって間もなく。
両親が居なくなった。それで困る事は、特筆するほど無かった。当面というか、無駄に豪遊を続けない限り不足するという事が殆ど無い資産。働く場所は王立治安騎士団の第二小隊。喧騒の中で訓練をする日々。誰かと特別親しくなる事はしないつもりだ。特別な情など育てるべきではない。自分の中のどこかが、そう告げている気がしたから。
親戚一同にも冠婚葬祭等の避けられない行事以外では、僕と、この家に係わらない様に強く願っておいた。何時また取り入ろうとする輩が出てくるか、全く予想出来ないからだ。財産が少なく、家計が火の車な人間が、少ない親戚の割りに数がある。面倒事はこちらから避け、関わらないのが得策だ。折角歴代が残してくれた財産を、そんな事でわざわざ散財するつもりなど、さらさら無いのだから。余計な期待はさせない方が良い。
僕は一人。そう、一人でいいのだ。他には何者も要らない。
昔から一人で居る事を選ぶ気がしていたので、家事全般は使用人に無理を言って頼み込んで覚えたので自分で出来た。だから、何一つ困る事は無かった。
無かった筈だった。
本当に、僕一人でも、何一つとして困る事など無かった筈だった。
「坊ちゃま。本当に、私達全員を解雇なさるおつもりですか?」
「ああ。僕は一人が良い。一人でも困る事も無い。食事は作れる。洗濯も出来る。掃除も出来る。問題は無いだろう?」
「しかし…」
「就職先もあるだろう?もう、僕の事は忘れてくれ」
僕は僕がこの家に生まれてから、僕をずっと見ていた執事にそう言い渡した。
「わかりました。どうか、御元気で」
元執事はそう言って一礼し、屋敷から消えた。何か特別感情を持ったわけではなかったが、明日から家の中がとても静かになるんだな。なんて、漠然とそんなことを考えていた。
その日まで居た使用人全員を解雇し、広い屋敷にたった一人になった。
その後、一年が過ぎた。十六になった俺は、その十五から十六までの一年の間で、一人称を僕から俺に代えていた。そして一年たって、ある事件に巻き込まれて以来、気が付いた。人間は――いや、俺は一人では居られないらしい。徐々に俺の中に寂寥感が込み上げてきて、ある日気が付いたら、俺は一人、部屋で泣いていた。悲しくて泣いたのではなく、寂しくて泣いたのだ。
兎は寂しいと死んでしまうらしい。それは正解かもしれない。寂しさは人をも殺せる。俺はそれを実感した。
だけど今更誰かを呼ぶわけにもいかなかった。だから、また俺は一人で居た。あの日まで。
たった、一人で……。この、ただ広いだけの、この屋敷に……。