第7話
鉄の棺、泥の祝杯
職人が、灰皿に溜まった吸い殻を静かに片付けた。
大統領は、新しい葉巻に火を灯すと、目を細めてレクトールを見やった。
「……いよいよだな。十五年の歳月をかけた、仕上げの時だ」
大統領の指先が、テーブルを規則正しく叩く。
「最も高い場所へ昇らせておいて、一気に床を抜く。これほど残酷で、これほどカタルシスのある見世物はない」
「ええ、大統領。男が信じていた『最強の盾』が、自分を沈める『重り』に変わる瞬間です」
レクトールは、冷ややかに澄んだ声で、物語の幕を上げた。
堺の港は、かつてない熱気に包まれていた。
波止場には数千の民衆が集まり、色とりどりの幟が風にたなびいている。今日は、蔵人が全財産と領民の汗を注ぎ込んで造り上げた、日の本初の鉄甲船『天王丸』の進水式であった。
その隣には、海煙こと鯉三郎が自ら建造した、一回り小ぶりだが洗練された鉄甲船『不知火』が、鏡のような水面に優雅に浮かんでいた。
「見よ、この威容を! これこそが、我ら水軍の新たな夜明けだ!」
蔵人は、金糸を贅沢にあしらった直垂に身を包み、勝ち誇った顔で民衆を見下ろしていた。その隣には、豪華な衣装を纏わされながらも、今にも倒れそうなほど青ざめたお露が立っている。
鯉三郎は、自身の船の甲板から、静かに蔵人を見つめていた。
その瞳には、十五年前の怒りも、悲しみも、もはや映っていない。ただ、冷徹な職人が、自ら仕掛けた機械が作動するのを待つような、静謐な殺意だけがあった。
「……時が来たな」
鯉三郎が小さく呟くと、進水の合図である法螺貝の音が、港中に鳴り響いた。
巨大な『天王丸』を支えていた盤木が外され、船体が轟音と共に滑り出す。
民衆から割れんばかりの歓声が上がった。船体が海面に触れ、大きな飛沫を上げる。
蔵人は、自らの勝利を確信し、両手を広げてその歓声を浴びた。
だが、異変は一瞬だった。
海面に降りたはずの『天王丸』が、本来なら浮き上がるはずのところで、ぐらりと不自然に傾いだのだ。
「……何だ? どうしたというのだ!」
蔵人の叫びをかき消すように、船体の底から「ギギギ……」という、金属が引き裂かれるような不吉な音が響き渡った。
船底の鉄板に仕込まれていた、目に見えぬほどの微かな「ズレ」。
それは、海水の水圧がかかった瞬間に、巨大な亀裂となって口を開けるように計算されていた。鯉三郎が授けた「精緻な設計図」の正体は、自重によって自らを破壊する、精密な自壊装置だったのだ。
浸水は一気に進んだ。数千トンの鉄を纏った巨体は、浮力を失えば、ただの巨大な石塊に過ぎない。
「浸水だ! 船が沈むぞ!」
乗組員たちの悲鳴が響き、歓声は瞬時に悲鳴へと変わった。
蔵人が呆然と立ち尽くす前で、栄光の象徴であった『天王丸』は、無残な音を立てて船尾から海中へと引きずり込まれていった。
わずか数分の出来事だった。
港の浅瀬に、無残に首だけを突き出した状態で着底し、泥の中に沈んでいく鉄の城。
その光景は、権力に目が眩み、民を犠牲にしてまで築き上げた蔵人の野望の、あまりに惨めな終焉を象徴していた。
静まり返った港に、一隻の小舟が近づく音がした。
鯉三郎は、平然と浮かぶ自らの船から、泥にまみれた蔵人を見下ろした。
蔵人は、濡れた直垂を震わせ、形相を変えて叫んだ。
「海煙……! 貴様、私をハメたな! この設計図は偽物だったのか!」
鯉三郎は、ゆっくりと頭の頭巾を脱ぎ捨てた。
逆光の中に浮かび上がったその顔を、蔵人は、そしてお露は、息を止めて見つめた。
「……偽物ではない。その船は、お前の『欲』そのものだ、蔵人。重すぎて、浮くことすら叶わなかったのだ」
鯉三郎の低い声が、静まり返った海面に響き渡る。
「十五年ぶりだな、親友よ。地獄の底から、お前を迎えに来たぞ」
お露が、その場に泣き崩れた。
蔵人の顔から血の気が失せ、膝ががくがくと震え始める。
大統領は、手元の葉巻を灰皿に押し付けた。その顔には、最高に満足げな笑みが浮かんでいた。
「……さあ、レクトール。物語の結末を見せてくれ」




