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海煙の審判  作者: 水前寺鯉太郎


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第1話

レクトール(Lector)について


19世紀のキューバをはじめとする葉巻工場には、作業中の職人たちに文学やニュースを朗読して聞かせる

「レクトール(読書人)」という職業が存在しました。


 彼らが読み上げる物語は、職人たちの教養となり、時には過酷な労働の中の唯一の救いとなりました。

 

 有名な葉巻ブランド『モンテクリスト』の名も、職人たちがレクトールの読み上げる『モンテ・クリスト伯(巌窟王)』に熱狂したことから命名されたと言われています。

 

本作は、現代のレクトールが、最高級の葉巻を愛する「ある男」へ語りかける形で進む、戦国水軍の復讐劇です。

黒煙の目覚め


 しわがれた手元で、琥珀色のタバコ葉が静かに巻かれていく。

 作業台のランプが照らすのは、年季の入った木の机と、部屋の隅に座る初老の男――レクトール(読書人)の横顔だった。部屋を満たすのは、湿った土と、どこかスパイシーなタバコの香り。そこへ、場にそぐわない高級な仕立てのスーツを着た男が、静かに腰を下ろした。お忍びでこの作業場を訪れた、この国の最高権力者、大統領である。

 大統領は胸ポケットから、完璧な曲線を描く太いモンテ・クリストを取り出し、火をつけた。青白い煙が、ゆらりと天井へ昇っていく。

「……待たせたな、レクトール。今夜の物語を聞かせてもらおうか」

 大統領の低い声に、レクトールは眼鏡の奥の目を細め、静かに古い手帳を開いた。

「ええ、大統領。今夜お届けするのは、遠い東の島国、戦国時代の海の物語です。裏切りと、十五年の熟成が生んだ、黒い煙のような復讐の記録を」

 職人の手が、タバコ葉を巻きつける音だけが部屋に響く。レクトールは声を一段落とし、歴史の闇へと潜るように語り始めた。


 時は、日の本の国が戦火に包まれていた戦国時代。

 瀬戸内の青い海を、一隻の関船せきぶねが風を切って滑るように進んでいた。舳先へさきに立ち、潮風を全身に浴びているのは、若き水軍の幹部候補生、鯉三郎こいさぶろうである。

 鯉三郎は、この海域を束ねる水軍の次期船長として、誰もがその将来を嘱望する若者だった。確かな操船術、部下からの人望、そして何より、彼には美しい婚約者がいた。数カ月後には祝言を挙げ、水軍の未来を担うはずの、まさに光り輝く人生の絶頂にいたのである。

 だが、海の下には、常にどす黒い渦が巻いている。

「鯉三郎、次の南蛮船との交易、お前に全権を任せることになったぞ」

 そう言って、鯉三郎の肩を叩いたのは、幼馴染であり、同じく水軍の将を目指す親友の蔵人くらんどだった。蔵人の顔には、親友の出世を心から喜ぶような、爽やかな笑みが浮かんでいた。

 鯉三郎は、その笑顔の裏に隠された、どす黒い嫉妬の炎に気づくことができなかった。

 南蛮船との交易を無事に終え、港へと意気揚々と帰還した鯉三郎を待っていたのは、手荒な縛り首の縄だった。

「控えろ、鯉三郎! 貴様、南蛮の宣教師と結託し、お上の禁じたキリシタンの聖物と火薬を密輸しようとしたな!」

 水軍の総帥の前で、証拠物件として突きつけられたのは、鯉三郎の船の底から発見されたという、南蛮の十字架と硝石の樽だった。身に覚えのない罪に、鯉三郎は愕然とする。

「馬鹿な! そんなものは知らん! 仕組まれた罠だ!」

 必死に叫ぶ鯉三郎の視界の端で、蔵人が静かに俯いていた。その肩が微かに震えている。悲しみに耐えているのではない。ほくそ笑んでいるのだと気づいた瞬間、鯉三郎の血の気が引いた。

 蔵人は、敵対する大名と密かに手を結び、鯉三郎を排除することで、次期船長の座と、鯉三郎の婚約者を我がものにしようとしていたのである。

 弁明の機会すら与えられぬまま、鯉三郎は無実の罪で「禁錮十五年」の裁きを受けた。

 彼が連行されたのは、本土から遥か離れた絶海の孤島、切り立った崖の上にそびえ立つ、海上の監獄砦であった。一度入れば、生きて出た者はいないとされる奈落の底。

 鉄格子の嵌められた冷たい独房に放り込まれた鯉三郎は、重い扉が閉まる音を聞きながら、絶望の叫びをあげた。最愛の両親は、息子の無実を訴える心労の末に命を落とし、婚約者は裏切り者の妻となる。すべてを奪われたのだ。

 暗闇の中で、鯉三郎の目から光が消え、代わりに復讐の炎が宿った。

 十五年に及ぶ、果てなき熟成の時が、今、静かに幕を開けたのである。

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― 新着の感想 ―
キューバの大統領の話? いや、過去の鯉三郎が主人公なのかな? 二人がどう絡んでくるのか予測がつかず、展開が楽しみです。 (・∀・)
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