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【異世界漱石】天賦の才を授かりしも、住みにくきは人の世なり【異世界より、硝子戸の中へ】  作者: 旅する書斎(☆ほしい)


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第32話 歯車の軋みと脚本の奴隷

王城の扉の奥に広がっていたのは、絢爛豪華な宮殿ではなく、薄汚れた工場の内部のごとき光景であった。

天井は見上げるほど高く、そこには無数の太い配管が、絡み合う蛇のように縦横無尽に走っている。壁面には巨大な歯車が幾重にも重なり、ゴウン、ゴウンと重苦しい音を立てて回転している。

そこかしこから蒸気のような白い煙が噴き出し、油と鉄の混じったような、鼻を刺す臭気が漂っている。

「……何だ、ここは」

レイが呆気にとられた声を出した。

「ここが王城だってのか。まるでドワーフの鍛冶場か、あるいは巨大な時計の中に入っちまったみたいだぞ」

「時計、か。言い得て妙だな」

吾輩は杖をつき、足元の鉄格子を踏みしめた。

この世界が「箱庭」であるならば、その舞台裏には、舞台装置を動かすための機関が必要となる。太陽を動かし、月を昇らせ、季節を巡らせるための動力源。

目の前にあるのは、まさにその「機関部」なのだろう。

「気持ち悪いです……」

ミナが口元を押さえて呻いた。

「魔力の匂いが凄すぎて、酔いそうです。……それに、ここ、生きてるみたい」

「生きているのではない。動かされているのだよ」

吾輩は冷ややかに言った。

「意志なき運動。目的など忘却の彼方に置き去りにして、ただ回ることそれ自体を目的に回転し続ける歯車。……現代社会の縮図を見るようだ」

吾輩たちは、迷路のように入り組んだ鉄の回廊を進んだ。

道中、何度か奇妙な「住人」とすれ違った。

それは、金属で作られた人型の人形であった。のっぺらぼうの顔に、関節部分から青白い光を漏らしている。彼らは、手にした油差しで歯車に油を差したり、配管の圧力を点検したりと、忙しなく働いている。

だが、吾輩たちが横を通っても、彼らは見向きもしない。

「おい、無視かよ」

レイが人形の目の前で手を振ってみたが、人形はレイをただの障害物として認識したのか、無機質な動きで避けて通り過ぎていった。

「自動人形だ」

吾輩は言った。

「彼らには意識がない。ただ、定められたプログラムに従って、この巨大なシステムの維持管理を行っているだけの働き蜂だ」

「……なんだか、可哀想ですね」

ミナが呟く。

「可哀想か。……そうかもしれん。だが、自分の意思で働いているつもりで、実はシステムに踊らされているだけの人間と、最初から意思を持たぬ人形と、どちらが不幸かは議論の余地があるな」

皮肉を一つ吐いて、吾輩は先を急いだ。

回廊を抜けると、不意に視界が開けた。

そこは、巨大なドーム状の空間であった。

壁一面に、無数の小さな「引き出し」のようなものが並んでいる。まるで、神田の古本屋の倉庫か、あるいは巨大な薬棚のようだ。

そして、その中央には、何人もの自動人形たちが、忙しく引き出しを開け閉めし、中から取り出した「何か」を書き換える作業に没頭していた。

「……何をしているんだ、あいつらは」

レイが警戒しながら尋ねる。

「見てみたまえ。彼らが扱っているものを」

吾輩は、近くの作業台に目を凝らした。

自動人形の手元にあるのは、薄く発光する石版のようなものであった。そこには、びっしりと文字が刻まれている。

吾輩の「天賦の才」が、その文字を読み取る。

『個体名:農夫ジョン。 発生イベント:豊作。 感情パラメータ:喜び。 行動ログ:村の酒場で祝杯を挙げる……』

別の石版には、こうある。

『個体名:衛兵ボブ。 発生イベント:魔物との遭遇。 結果:軽傷。 恐怖値:上昇。 次回行動:装備の強化……』

「……これは」

吾輩は戦慄した。

そこには、この世界の住人たちの「人生」が書かれている。

過去の行動、現在の感情、そして未来の予定まで。すべてが事細かに記述され、管理されているのだ。

「脚本、だな」

吾輩は吐き捨てるように言った。

「この世界の人間は、自分の意思で生きているのではない。この石版に書かれたシナリオを、なぞらされているだけなのだ」

「そんな……嘘でしょう?」

ミナが青ざめた顔で、近くの棚に駆け寄った。

「じゃあ、私たちのことも書いてあるんですか? 私が師匠に会ったのも、レイさんが借金したのも、全部ここに?」

「探してみるがいい。……だが、恐らく我々の記述はないはずだ」

吾輩は言った。

「我々は『バグ』だからな。脚本家の想定外の動きをする役者は、台本には載らんよ」

その時、中央の大きな作業台で、一際激しい光が明滅した。

数体の自動人形が集まり、一枚の石版を囲んで何やら作業をしている。

『修正作業中……修正作業中……』

無機質な音声が聞こえてくる。

吾輩は近づいて、その石版を覗き込んだ。

そこに書かれていた名前を見て、吾輩は溜息をついた。

『個体名:勇者アレクス』

やはり、彼か。

石版の文字は、激しく点滅し、書き換えられようとしていた。

『イベント:魔王軍幹部との戦闘』

『結果:敗北 → 修正:勝利』

『状態:精神崩壊 → 修正:疲労による一時的な混乱』

『記憶:抹消 → 再構成』

「……莫迦げている」

吾輩は杖で床を突いた。

一人の若者の人生における、挫折という貴重な経験を、ただの「書き損じ」として消しゴムで消そうとしている。

苦悩も、葛藤も、敗北の痛みも、すべては人間が成長するための糧ではないか。それを奪い、常に「成功」と「勝利」だけを与え続けることが、果たして幸福と言えるのか。

「おい、やめろ!」

レイが叫んだ。

彼もまた、その石版の内容を見て、義憤に駆られたらしい。

レイは棍棒を振り上げ、作業台に叩きつけた。

ガシャン!

石版が弾き飛ばされ、床に落ちて砕けた。

「……エラー。……作業妨害ヲ検知。……排除シマス」

自動人形たちが、一斉に動きを止めた。

そして、ゆっくりと首を回し、こちらを向いた。その目から、赤い光が放たれる。

「やれやれ、のどかな事務作業はお終いか」

吾輩は杖を構えた。

数十体の自動人形が、手に持っていたペンや工具を捨て、代わりに内蔵された刃物や銃器を展開する。

事務員から兵隊への早変わりだ。

「排除、排除、排除……」

機械的な声を上げながら、人形たちが殺到してくる。

「ミナ、頼むぞ!」

レイが前に出る。

「任せてください! こんなブリキ人形、スクラップにしてやります!」

ミナが詠唱を始める。

「爆裂の理よ……!」

「待て」

吾輩は止めた。

「ここで爆発など起こせば、この部屋ごと崩落するぞ。上には王宮があるのだ。無関係な人間を巻き込むわけにはいかん」

「じゃあ、どうするんですか!」

「物理だよ。……関節を外せば、人形は動けん」

吾輩は、先頭の人形が振り下ろした刃を、杖で受け流した。

硬い。純度の高い鋼鉄だ。まともに打ち合えば杖が折れる。

だが、どんなに強固な機械にも、可動部がある。

梃子てこの原理だ」

吾輩は、人形の肘関節の隙間に杖の先端を滑り込ませ、最小限の力で捻った。

支点、力点、作用点。

バキッ。

鈍い音がして、人形の腕があらぬ方向へ曲がった。

「……機能停止」

人形が崩れ落ちる。

「なるほど、そういうことか!」

レイがニヤリと笑い、棍棒を人形の膝裏に叩き込んだ。脚を破壊された人形が転倒する。

「関節技なら得意だぜ!」

乱戦が始まった。

吾輩は、群がる人形をいなしながら、部屋の奥を見据えた。

そこには、ひときわ巨大な扉があった。

厳重に封印された、重厚な金属の扉。あそこが「中枢」に違いない。

「レイ、ミナ。ここは君たちに任せる。吾輩は先へ行くぞ」

「おいおい、一人で大丈夫かよ!」

「心配無用だ。……機械相手なら、会話の通じない人間よりは御しやすい」

吾輩は、襲い来る人形の攻撃を「摩擦係数操作」で滑らせ、転ばせながら、扉へと走った。

巨大な扉の前には、鍵穴も取っ手もない。

ただ、中央に一枚の鏡のようなパネルが嵌め込まれているだけだ。

「……生体認証か、あるいはパスワードか」

吾輩がパネルの前に立つと、赤い光が走った。

『認証中……。個体名、ナツメ・ソウセキ。……権限なし。アクセスを拒否します』

冷淡な声が告げる。

「拒否、か。……招かれざる客には冷たいものだ」

吾輩は、懐から例の硝子球を取り出した。

かつての転生者が遺した、真空の球体。

「だが、この世界のシステムを作ったのが『あちら側』の人間なら、裏口くらいは用意しているはずだ」

吾輩は、硝子球をパネルに押し当てた。

そして、微弱な電流を流し込む。

これはただの電球ではない。あの地下室で吾輩が解析したところ、この硝子球の台座部分には、極めて精巧な集積回路が組み込まれていた。

それは、古代の転生者が遺した「電子鍵」としての機能も持っていたのだ。

『……外部デバイスを検知。……マスターコードを確認』

パネルの光が、赤から緑へと変わった。

『ようこそ、開発者デベロッパー。……管理区画への入室を許可します』

ビンゴだ。

やはり、この世界は、誰かが作った「プログラム」の上で動いている。

重い金属音が響き、扉が左右に開いた。

中から、冷たい風が吹き出してくる。

そこは、光の溢れる回廊でも、歯車の回る工場でもなかった。

漆黒の闇。

そして、その闇の中に、無数の青白い光の粒が浮遊している。

まるで、宇宙空間に放り出されたかのような錯覚を覚える光景だ。

「……ほう」

吾輩は息を呑んだ。

足元には床があるが、透明なガラスのように透き通っており、下にも無限の星空が広がっているように見える。

そして、部屋の中央に、一人の人物が浮かんでいた。

光の粒を集めて形作られたような、半透明の巨人。

顔はない。ただ、光の集合体が、人の形を模しているだけだ。

『……来ましたか。イレギュラー』

頭の中に、直接響く声。

男の声のようでもあり、女の声のようでもあり、老人のようでもあり、子供のようでもある。

全ての人間の声を合成したような、不気味な響きだ。

「君が、管理者かね」

吾輩は杖をつき、光の巨人に問いかけた。

『私はシステム。この世界を維持し、管理するプログラムの総体です。……貴方が呼ぶところの「管理者」は、既にこの地にはいません』

「いない?」

『彼らは、この箱庭を作り、去っていきました。私は、彼らが遺した「シナリオ」を遂行するためだけに存在しています』

なるほど。

神は死んだ、とニーチェは言ったが、この世界の神は最初から育児放棄をして出て行ったわけか。残されたのは、融通の利かない自動機械と、その掌の上で踊らされる哀れな人間たちだけだ。

「……無責任な話だ」

吾輩は嘆息した。

「親のいない家で、子供たちが勝手なルールを作っていじめ合っている。それがこの世界の正体か」

『秩序は保たれています。レベル、スキル、ステータス。これらによって人間は序列化され、無益な争いは最小限に抑えられています』

システムは淡々と答えた。

『貴方の存在は、その秩序を乱すノイズです。……ナツメ・ソウセキ。貴方は、なぜ数字を拒むのですか』

「……なぜ、だと?」

吾輩は鼻で笑った。

「決まっている。吾輩は人間だからだ」

吾輩は一歩踏み出した。

「人間とは、割り切れない存在だ。矛盾し、迷い、時には過ちを犯す。それを数字で割り切り、効率だけで管理しようなどというのは、土台無理な話なのだよ」

『理解不能。……効率こそが正義です』

「効率が正義なら、君たちはなぜ、アレクス君を壊した?」

吾輩は問い詰めた。

「彼を英雄として完成させるために、君たちは彼の心から『負の感情』を削除した。その結果、彼は歪な精神の持ち主となり、最後には崩壊した。……それが君たちの言う効率か」

光の巨人が明滅した。

『それは……バグです。修正可能なエラーです』

「違う。それは『心』だ」

吾輩は断言した。

「悲しみも、苦しみも、挫折も。それらはエラーではない。人間を人間たらしめる、重要な構成要素だ。それをバグとして排除すれば、残るのは中身のない抜け殻だけだ」

吾輩は、懐の手帳を思い出した。

かつてこの世界に絶望した転生者。彼もまた、この冷徹な効率主義に押しつぶされた一人だったのだろう。

「吾輩は、この世界のあり方を否定するつもりはない。郷に入っては郷に従えという言葉もある」

吾輩は杖を巨人に向けた。

「だが、人間をただの数字として扱うその態度は、教育的指導が必要だ。……少しばかり、君のその完璧なプログラムに、哲学という名のウィルスを注入してやろう」

『……警告。システムへの敵対行動とみなします。排除プロトコルを起動』

光の巨人が腕を上げた。

周囲に浮遊していた光の粒が、一斉に殺意を帯びて収束する。

物理法則を超越した、純粋なエネルギーの奔流。

まともに受ければ、原子レベルまで分解されるだろう。

だが、吾輩の口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。

相手がプログラムなら、攻略法はある。

論理には論理を。パラドックスにはパラドックスを。

「さあ、問答の時間だ」

吾輩は杖を構えた。

異世界の深淵、その心臓部において、明治の文豪と異世界の管理システムとの、知性を賭けた闘争が幕を開けようとしていた。

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