第20話 白塔の陰と犠牲の論理
宿屋『フクロウの止まり木亭』のロビーは、薄暗いランプの光に沈んでいた。
煤けた壁、擦り切れた絨毯、そしてカビと埃の匂い。王宮の絢爛豪華なサロンとは対極にあるこの場所で、第三王子アルフレッドは、場違いなほど背筋を伸ばして座っていた。その姿は、泥水の中に咲いた蓮の花のようで、周囲の薄汚さを際立たせると同時に、彼自身の高潔さを浮き彫りにしている。
「……古代兵器、と言ったね」
吾輩は茶を啜りながら、少年の言葉を反芻した。
「はい。王家の古文書には『神の落とし子』と記されています。かつてこの世界を焼き尽くし、文明を一度リセットしたほどの力を持つ、禁断の巨兵です」
アルフレッドの声は静かだったが、そこには深い憂慮と、隠しきれない恐怖が滲んでいた。
「兄上……国王陛下は、魔王軍の侵攻に焦りを感じておられます。そこへガストンがつけ込んだのです。『神の落とし子』を蘇らせれば、魔王など恐るるに足らず、と」
「毒を以て毒を制す、か。……聞こえはいいが、その毒が強力すぎて、自分自身まで蝕むとは考えんのかね」
「私もそう進言しました。しかし、今の兄上には届きません。ガストンの甘言に惑わされ、あろうことか、罪もない子供たちを犠牲にしてまで……」
少年は唇を噛み締め、膝の上で拳を握りしめた。
子供を触媒にする。
なんと忌まわしい響きだろうか。文明というものは、本来、弱き者を守るために発達したはずである。それがいつの間にか、システムを維持するため、あるいは権力者の虚栄心を満たすために、最も弱い者を燃料として焚べるようになったとは。
これはもはや、政治ではない。カニバリズムだ。
吾輩は懐から、あの硝子球を取り出した。
フィラメントの切れた電球。かつてこの世界に絶望した転生者が遺した、科学の残骸。
もしや、その古代兵器とやらも、彼と同じような「異界の知識」によって作られたものではないか。例えば、核分裂を動力とする巨大ロボットだとか、細菌兵器だとか。
魔法というブラックボックスの中で、理屈も分からずに科学の悪魔を呼び覚まそうとしているのだとすれば、それは自殺行為に等しい。
「……愚かなことだ」
吾輩は硝子球を掌で転がした。
「猿がマッチ箱を拾って、火遊びをしているようなものだ。山火事になってから泣いても遅い」
「先生、止めていただけますか」
アルフレッドが、祈るような目で吾輩を見た。
「貴殿の力ならば、あるいは……」
「買い被りだよ。吾輩は、ただの書生だ」
吾輩はそっけなく言った。
「だが、寝覚めが悪いのは御免だ。子供の泣き声を聞きながら飲む茶ほど、不味いものはないからな」
「……!」
少年の顔がパッと明るくなった。
「やってくれるのですね!」
「勘違いするな。正義のためではない。吾輩の安眠と、食卓の平和のためだ」
吾輩は照れ隠しに顔を背けた。
「へっ、素直じゃねえな、爺さん」
壁に寄りかかっていたレイが、ニヤリと笑った。
「で、どうする? 正面から乗り込むか? 相手は王宮だぞ。兵隊の数は万を超える」
「正面突破は下策だ。吾輩は無駄な労働を好まん」
吾輩は杖で床を突いた。
「搦め手から攻める。……レイ、君はこの街の裏側に詳しいと言ったな。白の塔へ潜入する、鼠の通り道くらいは知っているのではないか」
レイは少し考え込み、やがて悪戯っぽく口の端を吊り上げた。
「……あるぜ。王宮の地下水路だ。昔、親父が補修工事に関わってた時の図面が、頭の中に入ってる」
「汚いのは嫌ですよー」
ミナが顔をしかめた。
「文句を言うな。泥にまみれずして、泥中の蓮は掴めんのだよ」
吾輩はミナをたしなめた。
「作戦はこうだ。明日の夜、儀式が始まる刻に合わせて、地下から侵入する。レイが道案内、ミナが露払い。そして吾輩が……ガストンとかいう狐男に、引導を渡してやる」
「了解です! 私の爆裂魔法で、塔ごと吹き飛ばしてやります!」
「それは止めろ。塔が崩れれば、街に被害が出る。……破壊は最小限に、効果は最大限に。それが物理の美学だ」
吾輩は立ち上がった。
「アルフレッド殿。君は城に戻り、普段通りに振る舞いたまえ。我々が動く前に騒ぎを起こしては、元も子もない」
「分かりました。……どうか、ご武運を」
少年は深々と頭を下げ、フードを被り直して去っていった。その小さな背中には、一国の運命という重荷がのしかかっている。
「……やれやれ、大層なことになった」
吾輩は嘆息し、部屋に戻った。
窓の外では、白い塔が夜空に突き刺さるように聳え立っている。
あの中で、今も子供たちが恐怖に震えているのかと思うと、胸の奥がチリチリと痛んだ。
「……先生」
ミナが部屋に入ってきた。
いつもの元気はない。神妙な顔つきで、吾輩の横に立った。
「本当に、勝てるでしょうか。相手は宮廷魔導師長ですよ。それに、古代兵器なんて……」
「勝つさ」
吾輩は短く答えた。
「なぜなら、彼らは『理』を知らないからだ」
「理?」
「そうだ。彼らは魔法というシステムの上であぐらをかいている。ボタンを押せば何かが起きる、その結果だけを享受している。だが、吾輩は違う。そのボタンがどのような仕組みで動き、どのような回路を経て結果を生むのか、そのプロセスを理解している」
吾輩は杖を握りしめた。
「理解している者は、応用が利く。想定外の事態にも対処できる。しかし、思考停止した者は、マニュアルにない事態が起きた途端、脆くも崩れ去るものだ」
吾輩はミナの頭を撫でた。
「安心しろ。……物理は、決して裏切らない」
「……はい!」
ミナは少し安心したように笑った。
翌日。
王都は、不気味なほどの静けさに包まれていた。
嵐の前の静けさというやつか。それとも、ガストンの手回しで、情報統制が敷かれているのか。
吾輩たちは宿に籠もり、鋭気を養った。
日が暮れるのを待つ。
その時間は、永遠のように長く感じられた。
こころの先生が、遺書を書く決意をした時の心境も、このようなものであったろうか。迫り来る運命の時を前に、研ぎ澄まされた感覚だけが、チクタクと時を刻む音を拾っている。
やがて、窓の外が暗くなった。
空には、満月が昇りつつある。
不吉なほどに赤く、大きな月だ。
「……時間だ」
レイが言った。彼はいつもの軽装ではなく、黒い革鎧を身につけ、腰には二振りの短剣を差している。本気モードだ。
ミナも、眼帯を締め直し、杖を抱えている。
「行くぞ」
吾輩は三毛猫を宿の老婆に預け、杖を持って立ち上がった。
猫は何かを察したのか、不安げに「ニャー」と鳴いた。
「心配するな。すぐに戻る」
吾輩は猫に言い聞かせ、宿を出た。
夜の闇に紛れ、旧市街の奥深くへと進む。
レイの案内でたどり着いたのは、古びた井戸の底であった。そこには、城壁の下をくぐり、王宮へと続く巨大な地下水路の入り口が口を開けていた。
腐敗臭と湿気が漂ってくる。
「……また下水道か」
吾輩は顔をしかめたが、文句は言っていられない。
「ここから先は、警備の結界があるかもしれん。慎重に行こうぜ」
レイが先行する。
水路の中は暗く、足元が滑る。時折、ネズミの走る音が響く。
しばらく進むと、前方に微かな光が見えてきた。そして、何やら低い詠唱のような声が聞こえてくる。
「……着いたな」
レイが足を止めた。
頭上には、鉄格子のはまったマンホールがある。
「この上が、白の塔の地下祭儀場だ」
吾輩たちは息を殺し、鉄格子の隙間から上を覗いた。
そこには、地獄絵図が広がっていた。
広い石造りの広間の床には、血の色をした魔法陣が描かれ、その周囲を数十人の魔導師たちが取り囲んでいる。
中央には、巨大な水晶の棺のようなものが置かれ、その中には……黒い金属の塊が鎮座していた。
あれが「古代兵器」か。
一見すると、ただの鉄塊に見える。だが、吾輩の目は誤魔化せない。
その内部には、極めて高度な集積回路と、核融合炉らしき動力源が眠っている。
そして、魔法陣の四隅には、縛り上げられた子供たちが転がされていた。昨日の少女もいる。皆、恐怖で顔を歪め、声も出せないようだ。
祭壇の前には、紫のローブを纏ったガストンが立っていた。
彼は陶酔しきった表情で、両手を掲げている。
「おお、神よ! 今こそ目覚めの時! 穢れなき魂を糧とし、その偉大なる力を我に貸したまえ!」
狂っている。
自己の欲望のために、未来ある子供を、そして過去の遺産を食い物にしようとする、その精神構造が醜悪だ。
「……やるか、爺さん」
レイが短剣を抜いた。
「ああ。……教育的指導の時間だ」
吾輩は杖を構えた。
鉄格子など、物理の前では紙切れ同然だ。
「『破壊』ではない。『分解』だ」
吾輩は鉄格子の分子結合をイメージし、その結合エネルギーをゼロにする。
『天賦の才《分子間力操作・解離》』
音もなく、鉄格子が砂のように崩れ落ちた。
「……!?」
頭上の魔導師たちが、異変に気づいて振り返る。
「今だ!」
吾輩たちが飛び出した瞬間、ミナが叫んだ。
「爆裂!」
ドオォォォォン!
彼女の杖から放たれた炎が、魔導師たちを吹き飛ばす。
「な、何奴だ!?」
ガストンが狼狽して叫ぶ。
「遅刻してすまんな、ガストン君」
吾輩は土煙の中から、悠然と歩み出た。
「道徳の授業を始めようと思ってね。……まずは、君のその腐った性根を、物理的に叩き直してやろう」
「き、貴様は……ナツメ!」
ガストンの顔が憎悪で歪む。
「よくも神聖な儀式を! 殺せ! こやつらを殺せ!」
僧兵や魔導師たちが殺到してくる。
「相手をしてやんな、ミナ!」
レイが短剣を振るい、先頭の兵士を切り伏せる。ミナも次々と魔法を放つ。
乱戦だ。
だが、吾輩の目は、ただ一点、ガストンと、その背後にある古代兵器だけに注がれていた。
「……無駄だ、ナツメ! 儀式は既に最終段階だ! この兵器が目覚めれば、貴様など塵に等しい!」
ガストンが狂ったように笑い、手元のレバーを引いた。
ゴゴゴゴゴ……!
地響きと共に、水晶の棺が輝き出し、中の鉄塊が脈打ち始めた。
動力炉が起動したのだ。
圧倒的なエネルギー反応。
「……厄介だな」
吾輩は冷や汗を流した。
あれが暴走すれば、この塔どころか、王都全体が消し飛ぶ。
止めるには、どうする。
動力源を破壊するか? いや、下手に手を出せば誘爆する。
ならば、エネルギーの供給を断つしかない。
「子供たちを!」
吾輩は叫んだ。
「レイ、ミナ! 敵はいい! 子供たちを助け出せ!」
「分かった!」
二人が子供たちの方へ走る。
「させるか!」
ガストンが杖を振るう。
「『雷撃』!」
極太の雷が、子供たちを救おうとするレイたちを襲う。
間に合わない。
吾輩は走った。
老体に鞭打ち、杖を放り出して、身一つで雷の前に立ちはだかる。
魔法防御? 物理反射?
そんな小細工をしている暇はない。
「……ぬうっ!」
バリバリバリ!
激しい衝撃が全身を貫いた。
肉が焼ける匂い。意識が飛びそうになる痛み。
だが、吾輩は倒れなかった。
「……爺さん!」
レイの悲鳴が聞こえる。
「……痛いな、君」
吾輩は黒焦げになった着物を払い、よろめきながらも立ち尽くした。
「雷というのは、電気だろう。……電気ならば、アースへ逃がせばいいだけの話だ」
吾輩の足元から、地面に向かって、微弱な放電が走っていた。
自身の体を導体とし、地面へと電流を流したのだ。もっとも、ダメージはゼロではない。全身が痺れて動かない。
「ば、馬鹿な……! 直撃したはずだぞ!」
ガストンが後ずさりする。
「……言っただろう。吾輩は、簡単にはくたばらんと」
吾輩は、痺れる足を踏ん張り、ガストンを睨みつけた。
「さあ、授業の続きだ。……次は『感電』の痛みを教えてやろう」
吾輩は、懐に残っていた最後の切り札、あのエジソン電球を取り出した。
科学の光。
それを、今こそ使う時だ。




