第14話 鈍牛の如き旅路と鉄の規律
王都への旅立ちは、予想通りというべきか、頗る不愉快な幕開けであった。
朝霧の立ち込める街門の前に用意されていたのは、馬車ではない。車輪のついた木箱のような粗末な小屋を、巨大な爬虫類が牽引するという、前代未聞の乗り物であった。
「地竜車です! すごい、奮発しましたね!」
ミナが歓声を上げて、その怪物の鼻先を撫でようとしている。
身の丈は牛の倍ほどもあり、全身が岩のような鱗で覆われている。口からは二本の角が突き出し、ときおり鼻孔から硫黄の臭いのする蒸気を吐き出す。西洋の博物図鑑で見た、太古の恐竜の生き残りか、あるいは悪趣味な造形家の失敗作といった風情だ。
「……君、これに乗るのかね」
吾輩が顔をしかめると、レイが荷台に酒樽を積み込みながら答えた。
「王都までは馬車で十日の道のりだ。馬じゃあ持たねえよ。こいつなら、荒れ地だろうが山道だろうが、戦車みたいに突き進んで三日で着く」
「三日も、このトカゲの尻を眺めて過ごすのか。気が滅入る話だ」
吾輩は嘆息し、三毛猫を懐に入れて、薄暗い客車へと乗り込んだ。
中は狭く、板張りの長椅子が向かい合わせに固定されているだけである。クッションの類はない。これでは尻の肉がすり減って、骨が露わになるのではないかと心配になる。
「出発進行!」
御者台に座ったレイが鞭を振るうと、地竜はグオオと地底から響くような声を上げ、のっそりと歩き出した。
ゴトゴトと車輪が回る。振動が尻に直撃する。
「やれやれ、文明の利器とは程遠いな。これなら、神田から乗る円タクの方がまだマシだ」
吾輩は杖を抱え、目を閉じた。
動き出すと同時に、窓の外の景色が後方へと流れ去っていく。
見慣れた、といっても数週間しか滞在していないが、あの城壁に囲まれた街が遠ざかる。住めば都と言うが、あの街もまた、去るとなれば多少の感慨はあるものだ。
「師匠、王都ってどんなところでしょうね!」
ミナが窓に張り付いて、興奮気味に言った。
「美味しいケーキはあるでしょうか。それとも、すごい魔導図書館があるでしょうか」
「さあな。吾輩が知っているのは、そこが権謀術数の渦巻く伏魔殿であり、美味い菓子よりも毒饅頭の方が多い場所だということくらいだ」
「もう、師匠ったら。夢がないですねえ」
少女は頬を膨らませた。
彼女の眼帯の下の右目は、昨日の重力崩壊の余波か、まだ少し疼くらしい。時折、無意識に手で覆う仕草をする。それでも、未知の世界への好奇心が勝っているようだ。若いというのは、それだけで一つの才能である。
一方、吾輩はどうだ。
未知への期待など微塵もない。あるのは、これから待ち受けるであろう面倒事への憂鬱と、慣れない旅への疲労感だけである。
「……爺さん、そんなに辛気臭い顔をするなよ」
小窓からレイが顔を出した。手綱を握りながら、器用に酒瓶をラッパ飲みしている。
「王都に呼ばれるなんて、冒険者としちゃあ最高の名誉だぜ。国王陛下に直々に謁見できるんだ。うまくやりゃあ、爵位の一つも貰えるかもしれんぞ」
「爵位などいらん。そんなものを貰えば、のど自慢の審査員のように、一生偉そうな顔をして生きていかねばならん。肩が凝るだけだ」
「へっ、相変わらずへそ曲がりだな」
レイはニヤリと笑って引っ込んだ。
地竜車は、石畳の街道を外れ、荒野へと進んでいく。
道などない。ただの地面だ。揺れが一層激しくなる。
吾輩は懐の猫を撫でながら、ぼんやりと外を眺めた。
赤茶けた大地。奇妙な形をした岩山。そして、毒々しい青空。
草枕の旅路のように、風景を絵画として切り取ろうと試みるが、どうにも色彩がけばけばしくていけない。この世界には、わびさびという概念が欠落している。
「……退屈だ」
吾輩は呟いた。
本を読もうにも、揺れが酷くて文字が踊る。寝ようにも、尻が痛くて眠れない。
これならば、いっそ自らの足で歩いた方が、精神衛生上よろしいのではないか。
そう思った時である。
ガタン! と大きな音がして、車体が跳ね上がった。
「きゃっ!」
ミナが悲鳴を上げて、吾輩の膝の上に転がり込んできた。
「……痛いな。君、急に抱きつくのは淑女のたしなみではないぞ」
「す、すみません! 舌を噛みました……」
ミナが涙目で舌を押さえる。
車は急停車した。
「おい、どうしたレイ」
吾輩が窓から声をかけると、レイが舌打ちをしているのが見えた。
「チッ、野盗のお出ましかよ。……ツイてねえな」
前方の岩陰から、ぞろぞろと男たちが現れた。
薄汚れた布を巻き、手には剣や斧を持っている。十人、いや二十人はいるだろうか。
「へへへ、止まれ止まれ! 通行料を払ってもらおうか!」
下卑た声が響く。
どこの世界にも、働かずに他人の上前をはねようとする輩はいるものだ。冒険者ギルドの連中といい、この世界の労働倫理はどうなっているのか。
「……面倒だ。轢いてしまえ」
吾輩は冷淡に言った。
「おいおい、爺さん。いくら地竜でも、あんな人数に囲まれたら無理だぜ。……しゃあねえ、少し運動するか」
レイが棍棒を担いで飛び降りた。
「私も行きます! 爆裂魔法の錆にしてやります!」
ミナも杖を掴んで飛び出していく。
吾輩は、やれやれと首を振った。
彼らは戦うことが好きらしい。血の気の多いことだ。
吾輩は、三毛猫を長椅子に残し、杖を持ってゆっくりと外へ出た。
乾いた風が吹いている。
野盗たちは、レイとミナを見て、嘲るような笑声を上げた。
「なんだぁ? 飲んだくれとガキかよ」
「お、後ろから爺さんも出てきたぞ。介護施設かここは?」
どっと笑いが起きる。
吾輩は、彼らの顔を一人一人観察した。
貧相な顔だ。栄養が足りていない。目だけがギラギラと欲望に光っている。彼らもまた、この歪んだ世界の被害者なのかもしれない。
しかし、同情はしない。
他者の自由を侵害する者には、それ相応の報いがあってしかるべきだ。
「……君たち、道を開けなさい」
吾輩は静かに言った。
「我々は急いでいる。無駄な殺生はしたくない」
「ああん? 寝言は寝て言えよ、ジジイ」
リーダー格らしき男が、斧を振り回しながら近づいてきた。
「身包み剥いで、その地竜も置いていけ。そうすりゃあ、命だけは助けてやるぜ」
「……話が通じんな」
吾輩は嘆息した。
言葉が通じない相手には、物理で語るしかない。それは、この世界に来て学んだ、数少ない真理の一つである。
「レイ、ミナ。下がっていろ」
「え? でも師匠……」
「いいから下がれ。……準備体操にもならん」
吾輩は杖を構えることなく、ただスッと右手を上げた。
狙うのは、彼らの足元ではない。
彼らの頭上にある、巨大な岩山だ。
風化して今にも崩れ落ちそうな岩塊が、絶妙なバランスで乗っかっている。
「『てこの原理』だ」
吾輩は呟き、その岩の支点となる部分に、ほんの僅かな力を加えた。
『天賦の才《ベクトル操作・一点》』
ゴゴゴ……。
地響きがした。
「な、なんだ?」
野盗たちが空を見上げる。
次の瞬間、数百トンはあろうかという巨岩が、ゆっくりと傾き、そして落下した。
ズドォォォォン!!
轟音と共に、土煙が舞い上がる。
岩は野盗たちの目の前、わずか数メートルの位置に落下し、地面を深くえぐった。
衝撃波で、彼らは木の葉のように吹き飛ばされた。
「うわああああ!」
「助けてくれぇ!」
彼らは腰を抜かし、あるいは失禁し、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
誰も死んではいない。
ただ、圧倒的な「質量」の恐怖を植え付けただけだ。
「……ほう。なかなか良い音だ」
吾輩は、舞い上がる土煙を見上げながら言った。
「重力と位置エネルギー。この単純な変換こそが、最も効率的な威嚇になる」
「……爺さん、あんたまた派手にやったな」
レイが呆れた顔で戻ってきた。
「道まで塞いじまったじゃねえか。どうすんだよ、これ」
見れば、落下した巨岩が街道を完全に遮断している。地竜車が通れる隙間はない。
「……しまった」
吾輩は頭をかいた。
物理現象は制御できても、その後の交通事情までは計算に入れていなかった。
「壊すか?」
ミナが杖を構える。
「馬鹿。爆破したら破片が飛び散って余計に通れなくなる」
レイが止めた。
「……仕方がない。迂回しよう」
吾輩は澄ました顔で言った。
「急がば回れ、という言葉がある。少しばかり遠回りをするのも、旅の風情というものだよ」
「へいへい。まったく、人使いの荒い賢者様だぜ」
レイは苦笑して御者台に戻った。
地竜車は、道を外れ、荒野の只中へと進路を変えた。
道なき道を行く。揺れはさらに激しくなる。
「……酔いそうだ」
吾輩は青い顔をして、再び車内の長椅子に身を沈めた。
日が暮れる頃、一行は小さな廃墟にたどり着いた。
かつては砦か何かだったのだろう。崩れかけた石壁が、赤紫色の夕陽に染まっている。
「今夜はここで野営だ」
レイが地竜を止め、テキパキと準備を始めた。
枯れ木を集めて火を熾し、鍋を掛ける。ミナが魔法で水を出し、吾輩が……吾輩は座って見ているだけだ。
「師匠、何もしないんですか?」
「吾輩は年寄りだ。敬老精神を発揮したまえ」
「むー。……でも、師匠の魔法なら、一瞬でお湯が沸くのに」
「火は、揺らぐから良いのだ。一瞬で沸いた湯になど、情緒もへったくれもない」
吾輩は言い訳をして、焚き火に当たった。
夜の帳が下りる。
空には、不気味に赤い月と、青白い月が二つ浮かんでいる。
鍋の中身は、干し肉と野菜のごった煮だ。味付けは塩のみ。野趣あふれると言えば聞こえはいいが、要するに貧乏臭い味である。
だが、不思議と悪くはない。
パチパチと薪が爆ぜる音。遠くで聞こえる獣の遠吠え。
そして、隣でハフハフと熱いスープを啜る、このおかしな連中。
「……なあ、爺さん」
レイが、マグカップに入れた安い酒をあおりながら言った。
「王都に着いたら、どうするつもりだ。まさか、本当に王様の軍門に下るわけじゃねえだろうな」
「下らんよ」
吾輩は即答した。
「吾輩は、誰の指図も受けん。王だろうが神だろうが、吾輩の生活に口を出す権利はない」
「だよな。……でもよ、相手は国だ。断れば、タダじゃ済まねえぞ」
「その時はその時だ」
吾輩は、夜空を見上げた。
「智に働けば角が立つ。だが、角を隠して丸くなれば、転がされてどこかへ連れて行かれるだけだ。吾輩は、角を立てたまま、石のように其処に居座るつもりだよ」
「……石のように、か。頑固なこった」
レイは笑い、酒を飲み干した。
「ま、俺はあんたについていくぜ。面白そうだからな」
「私もです!」
ミナが手を挙げた。
「師匠が魔王を倒すなら私も手伝いますし、師匠が国と戦うなら、王城ごと爆裂魔法で吹き飛ばしてやります!」
「……君は、少し過激すぎるな」
吾輩は苦笑した。
こころの先生は、自らのエゴイズムに苦しみ、孤独を選んだ。
だが、吾輩の周りには、こうして勝手に集まってくる連中がいる。彼らは吾輩の高踏的な理屈など理解していないかもしれないが、それでも、同じ焚き火を囲んでくれる。
これを「仲間」と呼ぶのは、いささか気恥ずかしい。
だが、まあ、「道連れ」くらいには呼んでやってもいいかもしれない。
「……夜が冷えるな」
吾輩は、三毛猫を抱き寄せた。
猫は温かい。この温もりだけが、確かな現実だ。
「明日は、もう少しマシな道だといいのだが」
「無理だろうな。この先は『嘆きの谷』だ。魔物の巣窟だぜ」
レイが嬉しそうに言った。
「やれやれ」
吾輩は嘆息した。
どうやら、平穏な旅路など、望むべくもないらしい。
だが、それでも車輪は回る。
牛のように遅く、しかし確実に、運命という名のレールの上を。
吾輩は焚き火の炎を見つめながら、遠い王都の空の下に待つ、まだ見ぬ権力者たちの顔を思い浮かべた。
赤シャツのような小悪党か、それとも山嵐のような豪傑か。
どちらにせよ、吾輩の「物理」で、少しばかり驚かせてやるのも、一興かもしれん。
「……そろそろ寝るか」
吾輩は毛布にくるまった。
硬い地面の感触が、背中に伝わる。
住みにくい人の世だが、たまにはこうして、大地に直接寝るのも、悪くはない。
二つの月が、静かに吾輩たちを見下ろしていた。




