第二話
加賀見は車から降り、そのレストランに入った。
ホールには落ち着いた上品な雰囲気が漂っている。窓の外から聞こえる波の音が、流される音楽とうまくマッチしている。
加賀見は、窓際の席に座る紺野の元へと向かう。紺野は手元でキーホルダーのついた鍵を弄んでいた。加賀見はその向かいの席に座る。
「よう、メニュー何にする?」
そう言うと、紺野はメニューを差し出した。加賀見はそれを開きつつ、紺野に話しかける。
「先日の暴動の件、参加していた者の大半が現地の人間。それも魔法が苦手だったり、使えない者たちでした」
「魔法を使える人間への妬みか…」
「この大陸では、魔法を使えない者は障害者として差別される。伊島外務大臣が言っていたことは本当だったようですね」
「それより、あいつらが使っていたのは?」
紺野は、右手に持った鍵を握り締め、その手をポケットに手を入れる。
「暴動に参加した人間の3分の1が日本産の軽機関銃を持っていました。その他の人間は木の棒や、小刀などでした」
「日本産か…」
「現在、日本全国の貿易港の調査を進めています」
そこまで言うと、加賀見はメニューを閉じ、呼び鈴を鳴らした。
「どこから出たかは向こうに任せるとして、俺らが考えるべきはどこから入ってきたか」
「大陸にある港のほとんどは日本が管理している。アメリカなどの他国の港はどれも、東太平洋にあるため、日本から船でそこまでいくのはリスクが高い。となると…」
「北都からだろうな」
「ついに魔王軍が動き始めたということですか」
「やっぱ留学を早めて正解だったな。ジャストタイミングだ!」
「正解って…」
話していた二人の横にホールスタッフがやってきて、注文を聞いた。
「ご注文、いかがいたしますか?」
先に紺野が答える。
「お子様ランチのBセットで」
「え?」
「ん?」
〈西暦2045年1月5日15時18分 南都大学第二会議室〉
「だから!奴らが持っていたのは日本製の銃だと言う話じゃないか。今のまま日本を信用し切っているのは危険だ!」
「とは言っても、この大陸には現状、英語を話せる人間が殆どいないんですよ。今から日本以外の陸外国に協力を要請するのは不可能です」
南都大学内の会議室の一つ。理事長室同様、部屋のあちこちに怪しいインテリアが置かれている。1時間ほど前から、この会議室では昨日の襲撃についての話し合いが行われていた。
「そもそも、10年前突然現れたよくわからない奴らに守ってもらうなんて、あなた方にはプライドというものが無いのか!」
「守られているのではなく、協力しているのです。それに、弾丸を防御魔法で防ぐ事ができない以上、今日本と手を切ってしまったらそれこそ魔王軍が有利になってしまいます」
「だとしても…」
「今は私たちの中で争っている場合ではないのではないですか?」
入り口の扉を大きく開け、その男は入ってきた。
「シュバルツ卿、遅かったですね」
江良樹がそうい言う。
「“ダークノワール・ブラックエボニー・オニキス・シュバルツ”です。できればフルネームで呼んでいただきたい」
「ああ、すまん。で、どこに行ってたんだ?」
「3日後に南都大学での特別授業を取り付けてきたのです」
室内がざわめく。南都大学が3日後には授業を再開すると言う事と、そこにダークノワール・ブラックエボニー・オニキス・シュバルツ(以下シュバルツとする)が行くと言う事、どちらも驚くべき事実だったのだろう。
「今は危険なのでは?もう少し後にしても良いでしょう?」
「私は少しでも多くの人に自分の“真骨頂”を広めていきたいのです。そのためなら、少しの危険くらいどうってことありません」
「…まぁ、あなたほどの強さなら万が一の場合でも、対応できそうですね」
「それじゃあ、そういうことで。話し合いを続けてください」
それだけ言うと、シュバルツは自分の席に腰掛け、喋るのをやめた。
室内は静まりかえる。しばらくの後、また先ほどと同じ議題に対しての議論が始まった。
〈同年1月8日6時3分 南都・ハワイ地区住宅街〉
「寝過ぎたな…」
日本から持ち込んだスマホを見ながら、紺野は自分の目を擦る。
南都大学から1kmほど離れたハワイ地区にある貸家の一室で、紺野は朝の支度をしていた。
紺野は、窓を開けて外を見る。すぐそばに砂浜が見えた。だが、その砂浜の先にあるのは青い海ではなく、緑の生い茂った森だった。
「朝飯はハンバーガーでいいか…」
洗面所で軽く口を濯ぎ、鏡で自分の眼球の色を確認する。綺麗な緑色だ。
「よし!いきますか!」
紺野は通学用の鞄を手に取り、部屋を出る。下のフロントで鍵を預け、そのまま、自転車で近くのハンバーガー店まで走っていく。
イン・シーが太平洋に出現した際、その出現場所はハワイ全域とかぶっていた。つまり、ハワイはイン・シーに飲み込まれたのだ。しかし、不思議なことにイン・シーとハワイが被る地点には、元々ハワイ島と大きさも形も全く同じ湖があったのだという。だから、ハワイの施設はそのまま残り、今ではイン・シーの中で数少ない、アメリカが管理する土地の一つとして、以前にも増して観光地として繁盛している。
「けど、海がなくなったのは残念ですよねー」
「それはそれとして、こんなところで時間を使ってていいのか?今日からまた大学でしょ」
カウンター席で呑気にハンバーガを食べる紺野に対して、その店のマスターであるナシータは、半ば呆れたようにそう質問する。
「大丈夫ですよ。心配ならナシータさんが占ってみてくださいよ」
「はぁ、私だって暇じゃないんだぞ…」
そう言いながらナシータは紙コップを一つ取り出し、その中にサイコロを3つ入れる。そしてしばらくカウンターの上で混ぜた後に、紙コップを取り除き、そのサイコロを確認した。
「遅れるな」
「マジか…」
「マジだよ、ほら急げ。代金は後でいいから」
ナシータはハンバーガーを頬張ったままの紺野を店の出口まで押していった。
「いってらっしゃい!」
「…いってきます」
〈同日7時11分 南都大学2ーB教室〉
「おはようございます…」
紺野は小さな声でそう言いながら、教室に入る。ナシータの占いどうり、紺野は遅刻をしており、教壇にはすでに伊澤先生が立っていて、ホームルームを行っていた。
「…紺野くん…後で遅刻の理由については聞きます…席に座って…」
伊澤先生は小さな声でそう言い、またホームルームを再開した。
(しくじった。まさか自転車をどこに停めるかでこんなに悩むなんて…)
紺野は教室内に霧岾がいないことに気づいた。おそらく、あの時の怪我が丞相になったのだろう。紺野は少し申し訳なくも思いながらも自分の席に座る。
「そうだ…今日の一限目は…この前襲撃のせいで来れなかった…ゲスト講師の人に、来て貰ったから…特別授業です…」
「そういえばあったなそんな話も」
「それじゃあ…えっと…入ってきてください」
伊澤先生がそう言った瞬間。教室のドアが開く音が大きく響いた。その音がしたドアの方を見ると、そこには一人の男が立っていた。
「皆さん初めましてぇ!私が今回のゲスト講師をさせていただく、ダークノワール・ブラックエボニー・オニキス・シュバルツだ!ぜひフルネームで気軽に呼んでくれ!」
教室内がざわめく。大半の生徒が、シュバルツに不信感を感じたようだ。それも当然だろう。全身黒いビジネススーツで、手には赤い薔薇の花束を持っているのだ。いかにも胡散臭い見た目をしている。
「…それじゃあ…あとはよろしく…お願いします」
伊澤先生は、そう言うと、部屋を出ていってしまった。代わりにシュバルツが教壇に立つ。
「それでは早速、皆さん闇魔法というのは知っていますか?」
シュバルツのその問いかけに、山内が手を挙げた。
「確か、全属性魔法とも言って、すべての魔法の技法の総合だと…」
「まぁ、世間ではそのように認識されていますが、実際には違います。闇魔法は技法の総合ではなく、数ある技法の内の一つでしかないと私たちは考えています」
シュバルツは黒板に何かを書き始めた。
とある人物は、魔法を裁縫のようなものだと話していた。布を縫うように繊細な操作が求められ、慣れるまでは多くの失敗をする。不器用な状態から次第に速く美しくできるようになっていく。
「すべての炎・水・風・雷・土・光、全てを掛け合わせて作り出した魔法は一見闇魔法のようです。ですが、実際はただの魔力の塊…基本魔法の強化版でしかない。闇魔法は、今までとは全く違った技法なのです!」
裁縫に様々な縫い方があるように、魔法にも様々な技法があり、それにより作られる魔法全く違ったものになる。
「そんな闇魔法の研究を、遥か昔から一族で行ってきたのが、我がシュバルツ家です」
シュバルツがそこまで言ったところで、山内が声を上げた。
「あ、思い出しました。確かこの前闇魔法の真骨頂を発見したって話題になってた…」
「そう!今回の授業は私が見つけた真骨頂について、みんなに伝えていきたいと思ってね」
そこまで言うと、シュバルツは自分の持っている花束から一本抜き取り窓際に置いてある花瓶に差した。
「すみません、質問があります」
「おお山内さん。発言をたくさんしてくれるね。私のフルネームを言えたらいいよ」
「え、あえっと…ブラック・ダークノワール・エボニーシュバルツ?」
「不正解。私の名前はダークノワール・ブラックエボニー・オニキス・シュバルツだよ…ちゃんと覚えようね。で、質問は?」
「良いんですか?あの、ずっと思ってたんですけど、真骨頂というのはその人物が出せる最も高度な魔法を使っている状態のことですよね?闇魔法の真骨頂というのはおかしいのではないですか?」
「良い質問だね。私は、自分の真骨頂が闇魔法の中でも最大だという確信を持っている。だから闇魔法の真骨頂なんだよ」
「なるほど…」
山内は、少し疑問の残った顔をしながらも、なんとか
「さて、早速だけど百聞は一見にしかず!グラウンドに行こうか」
シュバルツは、一人でドアから出ていく。生徒たちはワンテンポ遅れてから慌てて着いていく。その中で、紺野だけは席から動かずに、教室に残った。
「そういや、グラウンドの場所教えて貰ってなかったよなぁ」
「教えてあげようか?」
「ん?」
その声は教室の一番後ろにあるドアからだった。紺野はその方向を見る。
彼女は、ドアの淵にもたれかかりながら紺野の方を見ていた。海外のものだと思われるパーカーをブカブカに着ていた。
「グラウンドまでの行き方。わかんないんでしょ」
紺野は少し考えたあと、黒くなっていた自分の目を黄色に戻し、答えた。
「じゃあ、よろしく」