適性があるらしい3
目の前にある瓶の中には、グリムの鱗に似せたものが入っているらしい。私には薄くぼんやりした影しか見えなかった。大きさはだいたい親指の長さほど。これが、ごく一般的なグリムの鱗だ。
「グリムの鱗から人に悪影響を与える成分を抜いたものです。これで見る練習をしましょう。ものすごく弱体化してて、見えにくいと思います。でもこれが見えるようになったら、見える力が身についてきた証拠なのです」
練習の一日目は、ひたすら目の周辺に魔力を集めて見ることから始まった。フルールも同じ練習をしたのでしょうね。どうすれば効率よくできるのか、言い淀むことなく教えてくれたわ。
グリムの鱗を見ることができる人なら、何かしらの影が見える。練習すればもっとはっきり見えるらしいわ。なんの素質もなければ、ただの空き瓶にしか見えない。ジーナにも見せてみたら、彼女は何も見えないと言っていた。
「慣れてきたら、虫の形をしている欠片が見えてくると思います。鱗は人や魔獣の中に入ると結晶化するのです。その結晶を目印に、他の鱗が集まります」
取り憑かれた対象には、さらにグリムの鱗が集まってくる。その数が多くなるほど、グリムによる精神の侵食が進む。身体能力を無理に引き上げられ、私が経験したように、封印を解くための道具として動くようになる。
取り憑かれた人や魔獣が死んでしまったら、グリムの鱗は次の寄生先を探して体から抜け出す。グリムの鱗は聖女の力じゃないと消滅しないと言われていた。
「もし虫以外に見えるものがあったら注意してください。鱗の中でも強くて、消滅させにくいのです」
そういえば私を侵食してきたグリムの鱗は、虫の形じゃなかったわ。
休憩を挟みつつ練習していると、最初の頃よりは虫っぽく見えてきた。六本の長い足と、細長い羽が特徴的だ。
「今日はここまでにしておきましょう。慣れないうちは、見るだけでも疲れるのです」
フルールの言葉がきっかけになったかのように、体が重く感じた。自分で思っている以上に疲れていたみたい。特に目のあたりが痛む。
「お嬢様、こちらを」
ジーナがタオルを差し出してくれた。お湯に浸して絞ったのね。目の上に乗せると、優しい温かさが気持ちよかった。
「明日も同じ練習ですが、大丈夫ですか?」
「平気よ。むしろ早くグリムの鱗を消せるようになりたいわ」
道具にされる可能性が高い身としては、自分を守れる手段は一つでも多く持っておきたいのよ。
「良かった……あっ」
安心したフルールの声が一転した。何か重大な過ちを発見したかのような、焦った声音だ。
タオルを持ち上げてフルールを見ると、彼女は扉の方を向いて固まっていた。
「レティ。順調かな?」
私を気遣う優しい声。セドリックだ。なぜかこっちまで緊張してきた。
「あの……私は席を外しますので、はい」
そそくさとフルールが退室しようとしている。
待って。まだ置いていかないで。心の準備ができてないの。
「おや。もう行くのかな?」
「家の中と近所の見回りへ行ってきます。セドリック様がいるなら、レティシア様から離れていても大丈夫だと思うのです」
「仕事熱心だね。いいよ、レティは俺が守るから、行っておいで」
フルールは早足でどこかへ行ってしまった。ジーナは壁際でお茶の用意をしている。己の仕事に忠実なジーナが、私達の会話に入るようなことはしない。
つまり、私は一人でセドリックの相手をしないといけない。
「……セドリック。仕事は?」
確か忙しくなると言っていたはず。
「レティの顔が見たくなってね、抜け出してきた」
要するにサボったってことよね。
「会いに来てくれるのは嬉しいけど……後で皺寄せがくるんじゃないの?」
嬉しいのは本当。たまに物騒さが表に出てくるセドリックだけど、紳士的に接してくれる。一周目の義務感しかないセドリックはどこへいったの?
それとも、これも一般的な婚約者の行動なのかしら。
「サボったのは冗談だよ。巡察の最中にグリムの鱗を消滅させられそうな人材を見つけたんだ。魔術塔で訓練を受けられるように、各方面と調整をしてきた。予定よりも早く終わったから、時間に余裕ができたんだよ」
「フルールが言っていた人達のこと? 魔術塔に聖女と同じ能力を持っている人を保護しているのよね?」
「そう。フルールと同じく、一部の能力が発現した者だね。でも彼女たちが聖女候補の子を補佐すれば、歴代の聖女よりも堅牢な結界を維持できる。理論上はね」
「聖女様と同じ数の能力を持った人はいないの?」
「一人だけいるよ」
やっぱり新聖女が見つかったのね。きっと一周目で聖女になった彼女よ。また一つ、グリムの脅威が去ったわ。
これからセドリックは新聖女の教育で、会える時間が減るのでしょう。私はグリムに見つからないように、引きこもりつつ護身のために能力を伸ばすわ。
下手に首を突っ込んで、グリムを解き放つようなことはしたくないから。
「レティは今日から訓練を始めたんだよね? 続けられそう?」
「ええ。まだ初日だから断言はできないけど、歴史の授業よりは楽しいわ」
「良いことだね」
爽やかに笑ったセドリックは、細長い箱を手渡してきた。開けてみると、薄青色の花がついたネックレスが入っていた。薄く削った宝石で花びらを作り、満開の薔薇に似せてある。
「素敵……これ、どうしたの?」
「魔術塔で開発した護符だよ。友人の家でお茶会をするんだよね? 屋敷の外へ出るときは、これを身につけてほしいな」
なんでお茶会があるって知ってるの?
家族とメイド達しか知らないはず。誰よ、私の予定をセドリックに教えたのは。
壁際にいるジーナを見ると、そっと目を逸らされた。きっと犯人はジーナね。
「もしかして、服装に合わなかった?」
「い、いえ、まだどの服にするのか、決めてないわ」
「良かった。じゃあ問題ないね」
私がこれを身につけることは確定らしい。可愛くて好みだから不満はないけれど、うまく誘導されている気がするわ。
ふと、セドリックの瞳に影が差した。
「もし他の男から贈り物を渡されたら教えてね。人の婚約者に手を出したらどうなるか、話し合いをしないといけないから」
果たし合いじゃなくて?
素敵な笑顔なのに寒気がする。魔獣の血で汚れたセドリックを思い出したわ。王都の平穏のために、男性からのプレゼントは絶対にお断りしないと。王都で犯人不明の傷害事件が起きてしまうかもしれない。
「……私に関心がある人なんていないと思うけど、覚えておくわ」
「謙遜しなくても、君は魅力的だよ。だから心配なんだ。また会いに来るよ」
セドリックは私の手の甲に口付けた。これを自然な動作でやって、かつ嫌われない人って、すごく限られていると思うわ。
フルールの仕事を指導してから帰ると言って、セドリックは部屋を出て行った。
しばらくして疲れた様子のフルールだけが戻ってきたけど、何があったのかは教えてくれない。
「大丈夫なのです。敵はいませんでした。いてもセドリック様が排除するのです。むしろセドリック様だけで十分なのです……」
よほど恐ろしいものを見たのか、フルールはしばらく肉を見たくないと、青ざめた顔で言う始末だ。
何となく事情を察した私は、ジーナを通じて料理長へ要望を出しておいた。