性格が違うらしい3
残念ながら私は健康体だった。昔からあまり風邪を引いたことがない。頑丈に産んでくれた両親に感謝ね。今だけは少し恨むけれど。
セドリックとのデートの日、私は朝から憂鬱だった。
ジーナ達は張り切って私を淑女に仕立てるし、両親はにこやかにセドリックを待っている。そして天気は快晴。どこかで事件が起きたという情報もない。デートの障害になりそうな要素は、一つも見つからなかった。
「とてもよくお似合いです」
鏡の前に立つ私を、ジーナがいい笑顔で褒めてくる。私の心の中とは真逆の輝きだわ。
「この服なら観劇に集中できるわね」
今日は劇場へ行く予定だ。長く座っていても苦しくないように、腹部を締め付けない服装を選んでいる。
髪型はメイドたちの間で全て結い上げるか下半分だけ背中に流すか、激論が繰り広げられていたことを付け足しておくわ。結局は背中に流すほうが主導権を握って、私の髪型は平和的に決定した。
ちなみに私の「適当でいい」という意見は瞬殺されたわ。お嬢様はそんなこと言わないって返されて、それ以降の意見は全て聞かなかったことにされている。自分のことなのに決定権が無いのよ。
「あとはセドリック様を待つだけですね」
「ええ。今日は物騒なことにならないといいけれど」
「お嬢様ったら、またそんなご冗談を」
ねえジーナ。そのセリフ、私の目を見てもう一回言って。あなたが本気で言っているのか、私には分かるのよ。
私の支度が終わってすぐに、セドリックが迎えに来た。彼が予告していた時間ちょうど。体内に時計でもあるのかと聞きたくなるような正確さだわ。
「レティ。迎えに来たよ」
相変わらず爽やかで顔がいい。行き先に合わせて貴族の子息らしく正装をしている。宝飾品はスカーフを留めているブローチとカフスしかないのに、地味になるどころか外見の良さが際立っていた。
私、隣にいても大丈夫なのかな。確実に釣り合ってないと思う。バラを引き立てるために添えられた葉の気分だわ。
「じゃあ行こうか」
セドリックは両親に挨拶をしたあと、私を誘って劇場へ向かった。
馬車の中では無難な会話しかしていない。あわよくば婚約が白紙になるきっかけがないかと期待してみたけれど、そんな甘い話は転がっていなかった。
もう現状のまま、グリムに操られない方法に集中したほうがいいのかしら。
いっそのことセドリックに死に戻ったことを話す?
やめておきましょう。私は人生二周目だから未来に何が起きるのか知っているなんて言ったら、頭の中を心配される可能性のほうが高いわ。もし私がセドリックの立場なら、そうする。
「今日の劇はリュシエンヌ様おすすめの演目ね。流行っているらしいけど、セドリックは観た?」
「まだだよ。一人で行くのは気分が乗らなくてね。どうせならレティと一緒に行きたかったんだ」
さらっと嬉しくなるようなことを言ってくる。不覚にも胸の辺りがきゅっとしたわ。
一周目の私は、こんな風に大切にされていた記憶がない。母親とジーナが亡くなって、心の余裕がなかったせいかもしれないわ。セドリックが新聖女の教育で忙しくなって、会えなかった寂しさばかり覚えているもの。
もしこの先、セドリックが新聖女のところへ行ってしまったら?
寂しくないと言えば嘘になるけれど、今の私には母親とジーナがいる。自分がグリムの道具になるかもしれない未来も知っている。セドリックが仕事で忙しくしているほうが、グリム対策はしやすいかもね。
頭の片隅でそんなことを考えているうちに、国立劇場に到着した。古い歴史を誇る建物だけあって、正面から見ると荘厳さに圧倒される。当時の国王が国内の芸術分野を発展させ、外国に誇示する目的で建設させたのよ。自慢したいという目的はともかく、素晴らしいものが見られそうだという期待を抱かせてくれる外観だわ。
私たちが通されたのはボックス席だった。専属の接客係まで待機している。彼に頼めば飲み物などを持ってきてくれるらしい。今まで一階の席でしか観たことがない私には、珍しくて慣れないことばかりね。
ところでセドリック。どうして私が男性の席係に話しかけられた時に、光が消えた目で見つめてくるの?
あまりの迫力に、接客係が急いで逃げていったわよ。私も体の震えが止まらないんだけど。
「……セドリック?」
「うん? さっきの接客係が気に入らないなら、永遠に排除するよ」
「そういう意味じゃないから。排除しなくてもいいわよ」
永遠に排除するって、どういう意味よ。深く考えたくないわ。
「レティはお気に入りの役者はいるの?」
セドリックは接客係が消えた方向を向いたまま尋ねてきた。
声音は柔らかいのに、目の光は消えたままだ。私は危険な兆候を感じ取った。
「い、いいえ。実はあまり観劇したことがなくて、役者の名前すら知らないの」
「もし気に入った役者がいても、追いかけるほど熱中しないでね」
私の顔にかかっていた髪をセドリックがそっと払った。なんだろう、この普通ならときめく仕草なのに寒気がする感じは。熊の前足が目の前にある気分だわ。
私が男優の名前を挙げたら、その人の首を斬り落としに行っても不思議じゃない。もしくは、落とされるのは私の首かもしれない。婚約者を裏切った代償として。
「セドリック以上に魅力的な人がいるとは思えないわ」
そう答えると、セドリックから不穏な気配が消えた。うっすらと頬を染めて目を逸らされ、こっちまで恥ずかしくなってきた。
なんだか別の危険な扉を開けたような気がするけど、怖いよりはマシだわ。それに本心だもの。今のセドリックは婚約者の義務で付き合っていると感じさせない。私に好意を持っていると思わせるほど、セドリックは演技が上手い。
劇の内容は王道のグリム討伐を主にしたものだった。でも今まで公開された劇と違っているのは、討伐へ向かう二人の騎士と女性の魔術師の恋愛が含まれているところ。結末の予測がつかない三角関係が、人気の理由らしい。
私はすぐに劇の世界に惹き込まれ、幕が降りるときまで現実を忘れていた。
「来てよかった……」
特に舞台装置に魔術を使っているのは斬新だったわ。主に視覚効果を狙ったものだけど、戦いの迫力が全然違う。あれを一度経験してしまうと、これまでの舞台なんて棒を振り回す踊りにしか見えない。
「かなり集中していたみたいだね。喜んでくれたかな」
「それはもう! この劇を見るためだけでも、王都へ来た甲斐があったわ」
劇の最中はセドリックのことを忘れていた。ボックス席に座っていたんだし、観劇中に喋っても他の客に迷惑をかけないのにね。私が夢中で劇を見ているから、セドリックは気を遣って沈黙してくれたんだろう。
本当に、どうしてこんな素敵な人が私の婚約者なのかな。
「ごめんなさい。劇しか見ていなかったわ」
「いいんだよ。君の笑顔が見られるなら、何度でも連れて行くよ」
ほら、そんな思わせぶりなことをさらっと言う。反則だわ。なんでこう息をするように自然に出てくるのよ。
劇場の外へ出た私たちは、宝飾品を扱う店に来た。王都へ来た記念に買ってくれるらしい。
最初は断ろうとしたのよ。グリムの脅威が去るまで、セドリックとは距離を置く気でいるから。形に残るものをもらってしまったら、今日のことを思い出してしまう。でも切なそうな顔で「駄目かな?」て聞かれて、陥落したわ。
現段階で恐ろしいのは、姿が見えないグリムよりもセドリックね。下手な精神攻撃なんかよりも私の行動を狂わせてくる。
「いらっしゃいませセドリック様。本日はいかがいたしましょうか」
店に入ると、すぐに店主らしき老齢の男性が声をかけてきた。店の雰囲気に相応しい、上品な佇まいだ。
「婚約者に贈り物をしたくてね。手頃なものを探しているんだ」
セドリックは慣れた様子で希望するデザインを伝えた。
別室へ案内され、希望に合いそうなものを店員が持ってきた。大きな宝石が付いていたらどうしようかと思ったけれど、普段着に合わせても違和感がないような小さなものが並んでいる。セドリックはどうやって知ったのか、ほとんどが私の好みに合うデザインだった。
「可愛い……こんなにあると迷うわ」
「全部買ってもいいよ。それとも店ごと買う?」
「面白い冗談ね」
冗談よね?
店主の顔色が変わっていないから、冗談だと思うのよ。でもこれまでのセドリックの行動力を見ていると、あながち冗談とも言いきれないわ。
順番に手に取って見ていると、並んでいる中の一つが気になった。好みではないけれど、触ってみたくなる。それなのに嫌な感じもしてくるのだ。
「これはレティには似合わないかな」
セドリックは私の視線の先にあるネックレスを取った。近くで見ると、宝石の中に黒い羽虫のようなものがいる。ところがセドリックが表面をなでると消えてしまった。
見間違いだったのかもしれない。セドリックがものすごく冷たい目で宝石を見下ろしていた気がするけど、怖かったから気のせいってことにするわ。
私は最終的に薄いピンク色の宝石がついたネックレスを選んだ。
「本当に買ってもらっていいの?」
「俺がレティに何かをしたいんだ。気にしないで」
セドリックはそう言って、私の首に買ったばかりのネックレスをつけた。なんだか首元が気になって落ち着かない。鏡に映っている私も、指先で宝石に触れて視線を彷徨わせていた。
そういえば、セドリックから直に贈り物をもらったことがなかったわ。一周目は家に手紙と一緒に届くだけだったから。だからこうしてネックレスをつけてもらったら、体温が急上昇して当然なのよ。
「似合うよ、レティ」
「……ありがとう」
元からつけていたほうは、店員が小さな化粧箱に入れて渡してくれた。
店を出た後は、軽くお茶をして終わった。幸せな気分に浸っていたせいか、紅茶の味は覚えていない。家で飲む味とは違うなと思ったぐらいね。
帰りの馬車の中で、セドリックは名残惜しそうに私の髪に触れてきた。
「レティと一緒にいると、時間が過ぎるのが早いね」
「そ、そうね」
恋人らしいことをする時は、前もって予告してくれないかな。セドリックの顔が好みすぎて緊張するのよ。
私はセドリックと目を合わせることができなくなって、自分の膝に視線を落とした。
「せっかく王都へ来てくれたのに、レティと会える時間が確保できないかもしれない。王都を警備している騎士団に協力することになったんだ」
「そうなの?」
本当は言葉ほど驚いていない。一周目の王都は、私が魔獣の群れに襲われた日から、徐々にグリムの鱗が原因と思われる事件が増えたから。
セドリックはグリムの鱗に狂わされた人や、魔獣が増えていると教えてくれた。
「今はまだ最小限の被害で済んでいるけどね」
「私のことは気にしないで。だって大切な仕事だもの。もし私みたいに魔獣に襲われている人がいたら、助けてあげて」
特に新聖女は絶対に守ってあげてほしい。
「レティ」
馬車から降りる直前、セドリックは私の名前を呼んだ。
「最近の王都は物騒だから、一人で出歩かないでほしい。必ず護衛をつけること。魔術の心得があると、なおいいね」
「魔術師のサラのような?」
今日観た劇の登場人物だ。二人の騎士から想いを寄せられていた彼女は、何度も魔術で仲間の危機を救っていた。
真剣な空気に耐えられなかった私が冗談っぽく言うと、セドリックも微笑んだ。
「そうだね。彼女ぐらいの実力者なら、レティを任せてもいい。でも二人の騎士みたいな護衛は駄目だよ。あれに任せるぐらいなら、レティを職場へ連れて行く」
連れて行かれると困るわ。だって王太子がいるんだもの。
「分かった。気をつけておくわ」
心配性な一面を見せたセドリックに同意した私は、後日になって彼のことを何も理解していなかったと痛感することになった。
セドリックは私のところに女性の護衛を送りこんできたのである。