性格が違うらしい
「やぁレティ。元気そうで良かった」
私が挨拶をするよりも早く、セドリックはそう言った。応接室に入った私へすぐに近づき、そっと頬に触れてくる。
まるで恋人みたいと思う暇もなく、セドリックは私の手首を捕まえて指先をあてた。
「うん、脈も正常だ」
いきなり診察が始まったわ。もしかして、頬に触れたのは顔色を診るためだったの?
ほら、放置されたお父様が苦笑してるじゃない。
予想外な行動についていけなかった私を、セドリックは優しく導いて父親の隣に座らせてくれた。相変わらず、非の打ち所がない完璧なエスコートね。傍目には婚約者を大切にしているように見えるでしょうね。とても婚約者の義務を果たしているだけだと思えない。
危なかったわ。血にまみれた姿で再会した衝撃と、紳士的なエスコートで忘れていたけれど、彼は普通の人よりも桁違いに外見が良い。ちょっとした仕草でも魅力的に見えてしまうから、うっかり見惚れてしまったわ。
私は自分の破滅を回避するために、セドリックとは距離を置かないといけないのに。ちょっと優しくされただけで惚れるなんて、単純な性格じゃ駄目なのよ。会いたいと思う気持ちを抑えておかないと、グリムの餌食にされてしまう。
そんな私の考えなんて知らないセドリックは、父親の向かい側に座った。
「話の途中ですいません。レティシアに会えたのが嬉しくて、つい」
「セドリック様は、本当にうちの娘がお気に入りのようですね」
微笑ましくしている父親には悪いけど、セドリックが私に優しいのは、きっと潤滑な人間関係のための言動よ。気が乗らない婚約だからって、婚約者を無視してもいい理由にはならないもの。聡明なセドリックが知らないわけないわ。
父親が年下のセドリックに礼儀正しい言葉遣いで接しているのは、公爵家の人間だからという他に、王位の継承権があるからね。
セドリックの父親は現国王の実弟。つまりベルレアン公爵家は王家の分家筋よ。王位の継承権は現国王の直系男子のほうが高いから、セドリックの継承順位は低い。でも国の式典や外国から賓客を出迎えるときは、必ず参加する立場なの。
「ええと、どうして私をお呼びに?」
セドリックは私に向かって、嬉しそうにはにかんだ。
なんで私に話しかけられただけで、全力で尻尾を振る子犬のような顔をするのよ?
「いきなり客室に押しかけるのも、失礼かと思ってね。レティに確認したいことがあったし、動けるまで回復したと聞いたから」
「あ……ありがとうございます。でもご心配には及びません。助けていただいたおかげで、怪我もしてませんので」
たとえ義務だったとしても、わざわざ家に連れてきて介抱してくれたことは感謝しているわ。
「もしレティが怪我をしていたら、俺はあの周辺一帯を焼き払っていたと思う」
嫌だわ。穏やかな声で恐ろしいことを言うのね。
ふとセドリックの瞳に影が差したが、すぐに消え去った。目の錯覚だろうか。そう思いたい。返り血に染まったセドリックを思い出して、寒気がするわ。一周目で刺されたお腹が痛む気がするのよ。
私の婚約者、ちょっと物騒すぎる。
「レティシア。お前の体調がいいなら、予定通りに家へ帰ろうと思うのだが。どうだろう?」
父親はセドリックの様子に気づかず、柔和な表情で提案してきた。
一ヶ月ほど前、私たち親子はベルレアン公爵家から夕食会に誘われていた。幸い、両家は良好な関係を続けている。領地にいることが多い私と、王都で仕事があるセドリックが少しでも会えるようにと、両方の親が計画してくれたのだ。
王都の華やかな空気に触れたかった私は、出発の日を楽しみにしていた。まさかその道中で死に戻ったことに気がつくなんて。
「俺としては、このまま泊まっても構いませんよ。どうせまた後日、ここへ来るんですから」
穏やかに微笑んだセドリックが、別の提案をしてきた。
予定されている夕食会は、明後日の夕方だ。公爵家に滞在していたら、移動の手間は省ける。
でもね、他人の家よ。爵位もずっと上よ。王位継承者が二人もいる屋敷で寛げるほど、私は神経が図太くない。それに何より、セドリックと距離を置こうと決めた矢先に、家に泊まるのはよろしくないと思うの。
だからね、セドリック。残念そうな顔で「駄目かな?」なんて言っても無駄よ。私の決心は揺るがないわ。
「もう大丈夫よ、お父様。予定を変更しなくてもいいわ」
母親は明後日の夕方まで、セドリックと会わないほうがいいでしょうね。恐怖心を克服する時間が必要だわ。
「では、明後日。お迎えに上がります」
セドリックは礼儀正しく父親に言って席を立った。
「せっかくだから、この後はお茶でもどうかな?」
これで解散だと思っていた私は、セドリックの言葉で息が詰まりそうになった。
これから適度に疎遠になる方法を考えようとしていたのに、いきなり実践なの?
私、アドリブは苦手なのよ。
「レティシア、私は妻の様子を見に行ってくるよ」
父親はそう言って、セドリックへ私を差し出した。
二人の邪魔はしないからね、という心の声が聞こえた気がするわ。今だけは空気を読む有能な父親を恨みたい。
「今日は天気がいいから庭へ行こう」
私は今まで受けた淑女教育の成果を発揮して、にっこりとセドリックに微笑んだ。大丈夫。まだ顔は引きつっていないわ。
「ええ、喜んで」
親切にしてくれる相手に向かって、距離を置きましょうなんて申し出るのは心が痛むけれど。
長い目で見れば、ここで縁を切っておくことが最善なのよ。私は自分が知らないうちに操られて、グリムを解き放ってしまうかもしれないから。新聖女を襲ってグリムを解き放った悪女の婚約者という汚名は、セドリックに背負わせたくない。
私とセドリックは一緒に庭へ出た。
庭師が丹念に手入れをしている庭は、季節の花が咲き乱れている。散策目的で設けられた庭は、ドレスでも歩きやすいように、レンガの小道が作られていた。
王都で散策できるほど広い庭を持っているのは、貴族の中でも上位貴族ぐらい。王都の我が家にも庭はあるけれど、散策じゃなくて鑑賞目的だから狭いわ。
庭に出た私たちの後ろから、メイドが茶器を持ってきた。まるで私たちが二人で会うことを想定していたような早さね。
「レティ? それとも何か心配ごとでも?」
口数が少ない私に、セドリックが話しかけてきた。
人のことをよく見て気を遣ってくれるところは、一周目でも今でも同じ。でもね、その優しさは私じゃなくて、聖女になることを不安に思う令嬢に向けるべきだと思う。だって彼女がいないとグリムの封印が維持できないんだから。
「ええ、心配事というか……」
大丈夫だと言いかけた私は、セドリックを遠ざける絶好の機会じゃないかと思った。
「私たち、このまま婚約していてもいいのかな、と」
「なぜ?」
「私とセドリック様では釣り合っていない気がするんです」
「誰かに言われたの?」
すっと空気が冷えた。
セドリックは顔を笑顔の形に維持しているけれど、目が笑っていない。仄暗い空気を漂わせたセドリックが、テーブルの反対側から私を見ている。下手な脅しよりも怖い。
私、もしかして竜の尻尾を踏んだ?
異様な気配を感じたメイドは、そっと紅茶が入ったカップを置き、失礼にならないギリギリの速さで屋敷の中へ戻っていった。
待って逃げないで私を一人にしないで。この展開にしたのは私だから自業自得なんだろうけど、一人は心細いのよ。
「い、いえ……誰かに言われたわけではなくて……」
「じゃあ、なぜ?」
「伯爵家の私から見ると、ベルレアン公爵家は家格が高すぎて」
「家のことは心配しなくてもいいよ。両親は君を歓迎している。もし家のことで君を悪く言う人がいたら教えてね。俺から説得するよ」
その説得は武器を携行して行うものだったりする?
「君がそんなことを言いだすなんて……まさか、好きな人でもできた?」
「そんな人はいません!」
ここでもし私が名前を挙げたら、その人の首が飛ぶかもしれない。いえ、飛ぶわ。だってセドリックの目が本気だもの。戦ったことがない私でも、殺気というものを感じたわ。
「よかった。君の関心を奪った人がいるんじゃないかと焦ったよ。もしいたら教えてね」
そいつを始末するから――ぼそっと付け加えられた一言が怖い。
婚約を白紙にしようと画策して、架空の恋愛をでっち上げなくて良かったわ。これは死人が出てしまう。
「とにかく家のことは心配しないで。レティなら問題なくやっていけるよ」
「そ、そうですか……」
私は震えている手を誤魔化すために、スカートを強く握った。
やっぱり綿密に計画しないと駄目ね。口から出まかせの言葉なんて、あっけなく数秒で粉砕されたわ。
「ねえレティ」
内心で悔しがる私に、セドリックは頬杖をついた姿勢で言った。
「前回、会ったときに俺が言ったことを覚えてる?」
疎遠になることばかり考えていた私は、セドリックとの約束を今更になって思い出した。
「覚えてます。二人きりのときは他人行儀な話しかたをしないようにと……」
「そうだね。で、どうしてレティは俺の名前に敬称をつけるのかな?」
笑顔が怖い。知ってる。これ、返答を間違えると死ぬやつよ。
おかしいわ。私が知っている一周目のセドリックと、いま目の前にいるセドリックの性格が違いすぎる。猟奇的な一面があったなんて、かけらも知らない。
下手な受け答えをすると、足元を掬われそう。
「そ、それは……」
「それは?」
「久しぶりにお会いして、緊張していたから……」
主に生命の危機的な意味で。
死に戻りを自覚してすぐ魔獣に襲われて、血みどろの光景を目撃したのよ。セドリックが私を刺し殺した相手だったことも思い出したわ。約束したことを忘れてしまっても、仕方ないと思わない?
「緊張?」
「だって、一年ぶりですよ? お礼を言う前に気絶するなんて、情けないところも見られてしまいました。幻滅されてしまったのではないかと……」
「それはない」
いつの間にかセドリックが私の前にひざまづいていた。しっかりと私の両手を握り、真剣な表情で私を見上げてくる。
「俺の気持ちは、何があっても変わらない。それだけは覚えておいて」
顔が良すぎると、かえって毒だと思うわ。白状するけど、私はセドリックの顔が好みなのよ。さっきから動悸が止まらない。
それともこれは殺された記憶からくる緊張かしら。
「レティ?」
「分かりました」
「……レティ」
セドリックは立ち上がって私の顎に指先を添わせた。ちょっと力を入れただけで私は上向かせられ、セドリックと視線が合う。
「わ、分かったわ! あなたと二人きりのときは、敬語を使わない。それでいい!?」
私はセドリックから離れたくなって、ろくに考えずに答えた。この空気から逃げるためには、そう言うしかなかったのよ。
もう一度言うわ。この人の顔は私の好みすぎる。私ね、セドリックに本気で迫られたら勝てないと思うの。これ以上セドリックのそばにいると、雰囲気に流されて自分の意見が言えなくなってしまう。
セドリックは私の言葉に満足したらしい。ようやく私の顔から手を離してくれた。
即席の疎遠計画は、こうして失敗に終わったわ。
しばらく普通の会話を楽しんだ私達だったけれど、セドリックが申し訳なさそうに切り出した。
「名残惜しいけど、そろそろ玄関まで送るよ。明日までに片付けておきたい仕事があるんだ」
セドリックの仕事で知っていることは、王子の補佐だったことだけ。一周目では内務がしやすい服装をしていたわ。でも目の前のセドリックは軍服を着ている。
そういえば私は彼の仕事について、直に質問したことがない。
「セドリック。あなたの仕事って、具体的にどんなことをしているの?」
「説明したことがなかったね。俺はレナルド殿下直属の騎士団にいるよ」
レナルドは王太子の名前よ。セドリックが文官ではなかったことに驚くけれど、王太子直属の騎士団があることも、私は知らなかった。
「王太子直属の騎士団があったの?」
「騎士団といっても、規模は小さいけれどね。文官だけでは手に余ることを実行する、少数精鋭の集団だよ」
私たちを助けに来たのも、仕事のついでだろうか。確かにあの戦いっぷりを見ると、文官よりも騎士だと言われたほうが納得できる。
「普通の魔獣討伐もやっているから、もし怪しいものを見かけたら教えてね。すぐに始末するよ」
キラキラした笑顔なのに、言っていることが血生臭い。この落差とどう折り合いをつけたらいいの?
疎遠にする計画どころか、己の無力さを思い知っただけだったわ。私は敗北感に打ちひしがれながら、両親と共にベルレアン公爵邸を後にした。