幸せな場所にいるらしい
外出について私とセドリックの意見が対立した数日後、私宛てに分厚い手紙が届いた。手紙を持ってきたのは、セドリックの部下という女性だったわ。
彼女、ドロシーは騎士ではなく文官で、事務要員として所属している。本来ならセドリックの副官が持ってくるのが礼儀なんだけど、副官の男性とは面識がないしセドリックに誤解されないように彼女が代表して持ってきたそうよ。
「あの、これって……」
「嘆願書と、同意している者達の署名です」
「た、嘆願書?」
ドロシーは内容について聞き及んでいるらしく、簡単に説明してくれたわ。
どうやら私が実家――メルシェローズ家の領地へ帰りたがっているという噂が流れているみたい。
この前の外出騒動の際、セドリックは町を巡察する自分の部下達にメルシェローズ家の馬車が王都を出て行こうとしたら知らせるよう伝えていたそうよ。でも彼らが実際に見たのは、護衛を連れて移動する私だった。王都を出て行こうとしたところを見つかって、連れ戻されている最中だと誤解してしまったみたい。
運が悪いことに、職場へ戻ったセドリックは落ち着かない様子だった。ときどき、心ここにあらずって感じで考え事をしていたり。
多分きっと私からどんなプレゼントを貰えるのか考えていたのね。でも部下はそんな事情なんて知らない。だから私と仲違いをしたんじゃないかって思った。私が領地へ帰ってしまうと、セドリックが荒れると判断した彼らは、私を引き止めようと嘆願書を持ってきたらしいわ。
今のセドリックは刺々しさが消えているんですって。彼らは私が屋敷に滞在しているからだと思っているけれど、グリムが消滅してループを抜け出せたからだと思うの。もう無茶なことをする必要がないんですもの。訓練だって以前ほど激しくしないでしょうし。
「これは私ではなく皆の総意なんですが……」
一通り説明し終えたドロシーが、言いにくそうに切り出した。
「セドリック様はメルシェローズ伯爵令嬢を大切にしておられるのは間違いありません。その、過保護ゆえに多少の束縛はあるかもしれませんが。傷つける目的で行動を制限しているわけではないと思います」
「ねえ、ドロシーさん」
私は彼女を安心させるために、穏やかに微笑んだ。
「ここには私とあなたしかいないわ。セドリックには内緒にしておくから、本音で話してみない?」
「上司が暇を持て余すと訓練が厳しくなるので、王都にいてください。ときどき上司の仕事を邪魔――いえ、職場を訪問していただけると助かります」
正直ね。はっきり言ってくれる人は好きよ。
私は署名された紙を広げてみた。明らかにセドリックの部下の数よりも多いわ。別の職場の人からもお願いされているのね。
「この前のは、実家へ帰ろうとしたのではないのよ。ちょっとした行き違いなの。だから、あなた達が心配するような事態にはならないわ」
「信じてもいいんですよね……? えっと、信じますよ? あの狂犬――じゃなくて、セドリック様を制御できるのはメルシェローズ伯爵令嬢だけなんです」
ねえ、セドリック。あなたは自分が狂犬って呼ばれているのはご存知?
ドロシーは何度も信じていると言って、帰っていった。絶対、信じてないわ。あの疑いの目は一周目で散々向けられていたから、すぐに分かるのよ。
私が嘆願書と署名に目を通し、鍵付きの小箱に隠したころ、また訪問者がやってきた。今度はレナルドよ。あまり機嫌がよろしくないセドリックもいるわ。
簡単に挨拶を済ませた後、レナルドが早速きりだした。
「実は聖女としての君に協力してもらいたいことがある」
「何かあったのですか?」
私は動揺しそうな心を抑えて尋ねた。聖女、とレナルドが言ったことでセドリック関連の話題じゃないことは察したわ。
「グリムが消滅した影響で、下級の悪魔が各地で行動し始めているらしい。幸い大事には至っていないが、楽観はできないだろう。聖女の補助者として教育した者達の中には、すでに現地へ向かっている者もいる。国民を安心させるためにも、聖女も悪魔の討伐に参加してもらいたい」
今まではグリムがいるから他の悪魔が近寄ってこなかったらしいわ。奇しくも防波堤になっていたグリムが消滅して、この国を狙っていた悪魔が押し寄せてきている。居着こうとしても無駄だって知らせるために、発見したらすぐ駆除しないといけない、ということね。
「まだレティの力を借りるような、厄介なのは来てないよ。俺達だけで対処できるって言ってるのに、この王太子様が聞いてくれなくてね」
ええ、セドリックが悪魔と戦えるのは知っているわ。
「俺が指導している騎士だって、数人で下級の悪魔を倒せるぐらいには成長してるのに」
その騎士さん達、訓練が厳しすぎるって嘆いていたわよ。
レナルドは表情を変えずに、淡々と言い返した。
「聖女が悪魔の討伐に関わっている事実が必要だ。悪魔に国を荒らされていると、周辺国に付け入る隙を与えることになる。国の守りと悪魔討伐を並行して行えると知らしめるのが肝要だ」
「それは理解している。でも、聖女への過度な期待はしてほしくないな。聖女でなくても悪魔は倒せるんだ。下級悪魔との戦いで疲弊したところに、グリムに匹敵する悪魔が現れたらどうするんだよ」
使い潰されるのは嫌だけど、傍観しているのも目覚めが悪いわね。
「セドリック。私のために言ってくれるのは嬉しいけれど、私は自分にできることをするわ」
「レティ!」
ええ、きっと反対するわよね。でも私だって自分の意思があるのよ。
「私は自分だけ安全なところにいるのは、私自身が嫌なの。自分に悪魔を浄化できる力があるのに、悪魔の被害に遭っている人を見殺しにするのよ? 聖女の肩書きまで持っているのに」
みんな、聖女がいれば悪魔が現れても安心だと思っているわ。私はその期待を裏切ることはしたくないの。
「悪魔が現れたなら倒す。それが聖女になった私の仕事よ。何もしない聖女は、怒りを買いやすいわ。せっかくグリムに殺されずに済んだのに、今度は悪魔の被害者から恨まれて断罪されるわよ。扇動された人達がどんな行動に出るのか、セドリックなら知っているでしょう?」
一周目で私を追い詰めた人達の全てが、グリムに操られていたとは思えない。きっと周りに流されて行動していた人もいたはずよ。
「それにね、私一人で悪魔の相手をするわけじゃないんでしょう?」
セドリックは言葉の意味に気がつかなかった。軽く首を傾げて続きを待っている。
「セドリックは私を守ってくれる?」
「もちろん」
「じゃあ悪魔がいても大丈夫ね」
「大丈夫ねって。レティ……」
やっぱり簡単には引き下がってくれないわね。レナルドは面白そうに私達のやりとりを見ているだけ。あちらが提案してきたことだけど、セドリックの説得はしてくれそうにない。
悪魔の討伐は、私が屋敷の外へ出る理由になるわ。セドリックが私を大切に守ってくれているのは知っているけれど、監禁生活までは望んでいないのよ。
私は事前にフルールやジーナに協力してもらって、セドリックを説得するセリフを考えていた。
「セドリック。国内に悪魔がいて、いつ襲われるか分からない状態で結婚式なんてしたくないわ」
我ながら効果的な言葉だと思ったのよ。思いついた当初はね。セドリックには効きすぎたみたい。両手で顔を覆って黙ってしまった。
「レティ」
「な、なに?」
顔を上げたセドリックから、不穏な気配がするわ。私、今度こそ竜の尾を踏んだかもしれないわ。
「国内の悪魔を一掃したら、レティは安心できる?」
今から殲滅してくるとでも言い出しそうね。
「そ、そうね。自分の目で悪魔が消えるところを見ないと」
「じゃあ連れてくるよ」
悪魔を?
正気なのかしら。
彼のことだから、グリムのように瀕死の状態で連れてくるのでしょうね。そのうち彼自身が悪魔として断罪されそうだわ。
「駄目よ。セドリックの負担が大きいし、それに……」
それに。この後どう言えば挽回できるのかしら。
私は苦し紛れに言葉を捻り出した。
「セ、セドリックと、色々な場所へ行ってみたいわ。ほら、新婚旅行みたいで素敵じゃない?」
旅行感覚で悪魔を殲滅する夫婦なんて嫌だわ。
「えっと……新婚、旅行……」
セドリックの不穏な空気が消えた。まだ結婚していないよ、なんて冷静なツッコミは返ってこないわ。完全に言葉選びを間違えたけれど、もう後戻りはできない。
「あ、うん。それだったら、いいかな……とりあえず、近隣の町へ行ってみる? 悪魔が原因かもしれない怪現象が発生しているらしいよ」
そんな、食事に誘うような軽さで言うことじゃないわよ。
ともかくセドリックは私が聖女の役目を果たすことは受け入れてくれたらしい。セドリックが同行する、という条件付きだけど。
今までの私はグリムに侵食されないようにするのが目標だった。そのためにセドリックと距離を置こうとしたけれど、半分ぐらいは無駄な努力だったわ。これからも、こんなやりとりが続くのでしょうね。早々に対策しないと私の自由がなくなるわ。
細かい予定は後日、正式に話し合うことになった。私は二人を見送ると、さっそく友人達へ手紙を出すことにした。内容はもちろん、束縛してくる性格の恋人と上手く付き合っていく方法よ。
私一人で悩むことなんてないわ。セドリックが厄介な性格なのは、もう皆が知っているのよ。だったら友人に対処法を相談しても、協力してくれると思うの。
***
セドリックが馬車で王城へ戻る最中、メルシェローズ伯爵邸が見えた。門の近くには今日も人々が集まっている。この国を救った聖女を一目見ようと集まっているようだ。
もしレティシアが彼らの前に現れたら、すぐに囲まれて熱烈な歓迎を受けるに違いない。そうなると多少の実力行使をしなければ、彼らを引き離すことはできなくなる。レティシアをサン・ベルレアン家で保護したのは正解だった。
セドリックは現状に満足していた。邪魔だったグリムは消滅し、レティシアは生きている。どこからか現れる下級悪魔は鬱陶しいが、レティシアに危険が迫るほどではない。
――今日も可愛かったな。
あまり揶揄うのは駄目だと思っているのに、一生懸命なレティシアが愛おしくて、つい意地悪をしてしまう。
ようやくレティシアと平穏に暮らせる箱庭が完成した。
自分が独占欲が強い性格なのは自覚している。レティシアも薄々気がついていて、束縛されまいと抵抗しようとしているようだ。
セドリックにしてみれば、可愛い反抗でしかない。レティシアに譲歩すると、彼女はセドリックが希望する方向へ転んでくれる。何を考えているかなんて、セドリックには全てお見通しだった。
きっとレティシアは知り合いに相談するだろう。現状への不満を打ち明け、打開策を探すために。今度はどんな言動でセドリックを振り回そうとしてくるのか楽しみだ。
目論見が外れて悔しそうな顔も、素直な笑顔も、全てセドリックだけに向けてほしい。本当はレティシアを完全に隠してしまいたいけれど、彼女が壊れてしまうから我慢している。レティシアを傷つけることは、セドリックの本意ではない。
「楽しそうだな」
一緒に馬車に乗っているレナルドが言った。
「うん。楽しいよ。レティがいるからね」
「呆れるほどの溺愛ぶりだな」
またかと言いたげに、レナルドはため息をついた。
セドリックにとって、レナルドは"まだ"敵ではない。レティシアを一人の女性として丁重に扱ってくれる。秘めた恋心なんて持ち合わせていない。聖女と王太子を結婚させる話が持ち上がった時、真っ先に反対してくれた。いずれこの国を背負おう者として国益を第一に考えるところはあるが、レティシアが嫌がることを強制しない。だから今日もレティシアに会うのは反対しなかった。
「セドリック。お前には助けられてばかりだな」
「レティのこと?」
「それもあるが、悪魔が出現したところへ聖女の補助者として教育した者達を派遣してくれただろう」
「ああ、そのことか」
聖女を派遣しろとうるさい連中を黙らせるために、手駒を使っただけだ。レティシアでなくとも悪魔を消滅させられる証明にもなる。単に口うるさい連中の思惑通りにレティシアが働かされるのが我慢ならなかった。
「聖女一人で国中の悪魔問題に対処するのは不可能だからね。この国にはグリムを研究して対悪魔用の武器を作った実績があるんだから、使わないと損でしょ」
セドリックが行動する基準はレティシアだ。彼女を取り巻く環境が悪くなる前に、不穏な種は根絶やしにする。たまたま悪魔の問題と重なったから対処した。それだけだ。
「無責任な者は、セドリックが玉座を狙っているなどと囁いているそうだ。聖女と俺が結婚しないのが、よほど不満らしい」
「玉座ね。興味ないな」
国なんて面倒なものを手に入れたら、レティシアと会う時間が減る。
「まあ、でも、レティが欲しいって言ったら考えるよ」
「その時は剣を抜く前に教えてくれ。穏便に話し合いから始めよう」
本気とも冗談ともつかない口調でレナルドが言う。
「レティ次第だね」
そうセドリックは答えたが、そんな未来にはならないだろうと思っていた。レティシアは自分が王妃になろうなど微塵も考えていない。言葉の端々に責任感と悪魔への恐怖が感じられるのだ。だからきっと目の前にある聖女の仕事のことで頭がいっぱいだろう。
降って湧いたように突然手に入った聖女の地位なのに、レティシアは職務を全うしようとしていた。その志の高さに、セドリックはますます彼女のことが手放せなくなる。
もしレティシアがセドリックから逃げようとしたら、どんな手段を使ってでも連れ戻す。
馬車が王城の跳ね橋を通り過ぎた。
生きた人間がいる箱庭には手入れが欠かせない。これからも自分とレティシアの世界を脅かすものが現れたら、即座に排斥していく。
――レティ。幸せになろうね。
セドリックは指輪に触れた。
レティシアには一つ嘘をついた。使い方を忘れたと言ったが、本当はしっかり覚えている。もう使うことはないかもしれないが、また使いたくなるような事態が起きたなら、ためらうことなく同じことを繰り返すだろう。
セドリックとレティシアが幸せな世界になるまで、何度でも。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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作者のやる気が出ます
2025/01/18
佐倉 百




