倒したいらしい
「皆が待ち望んだ聖女を強盗に襲わせるなんて……」
「新たな聖女様をお迎えする場でも、何を企んでいたのやら」
「ワインに毒を入れたのでは?」
「怖いわ。きっとご自分が聖女になれなかったから嫉妬しているのよ」
私の断罪が始まった時、セドリックはただ見ているだけだった。明らかに冤罪だと知っているくせに。彼らが私の犯罪を目撃したと主張する日は、私とセドリックが会っていた日なのよ。
私はセドリックに会えて嬉しかった。でもセドリックにとっては、どうでもいい時間だったのね。
やっぱり私のことが疎ましかったの?
婚約を解消したかったなら、正直に言ってほしかったわ。こんな風に、大勢の前で追い詰められる前に。
「セドリック様が可哀想……あんな人が婚約者だなんて」
視界が滲んだ。周囲の声が小さくなっていく。
私が悪かったところを挙げるとするなら、グリムに操られたことだけよ。
ふらついた私は、その場に座り込んだ。目眩がひどい。世界が回って、吐き気がする。
床の模様がぐるりと一回転し、暗くなった。
「皆が待ち望んだ聖女を強盗に襲わせるなんて……」
私の耳に、先ほど聞いた言葉が届いた。
「……え?」
「新たな聖女様をお迎えする場でも、何を企んでいたのやら」
「ワインに毒を入れたのでは?」
「怖いわ。きっとご自分が聖女になれなかったから嫉妬しているのよ」
私は自分の足で立っていた。
――時間が戻っている?
立ち尽くす私の肩を、誰かが抱き寄せた。
「それは違う。レティシアは襲撃事件に一切、関わっていない」
「……セドリック?」
ただ見ていただけのはずだった、セドリックが私の味方をしている。
これは幻覚だろうか。追い詰められた私が現実逃避しているの?
それとも孤立無援だったことが、白昼夢だったの?
混乱している私のことなどお構いなしに、状況が変わっていく。
「彼女は全ての犯罪に関与していない。証拠もある」
「協力者がいたんだろう? きっとそうだ」
「メルシェローズ伯爵令嬢以外に考えられないわ。いつも聖女になる令嬢の悪口を言っていたもの」
「君はレティシアと交流があるのか? その悪口を聞いたのは、いつ、どこで?」
「それは……」
私の罪を告白していた令嬢は、具体的な証拠を求められて口ごもった。
「なぜ答えられない? 己の発言に責任を持てないのか」
私の肩に置かれた、セドリックの手に力がこもる。
「メルシェローズ伯爵令嬢を庇うのは、なぜですか。婚約者の汚点を隠そうとしているようにしか見えませんよ」
「違う! 俺は彼女が無実だと知っているから――」
「共犯なのでは?」
私を糾弾していた人々の矛先はセドリックへ向いた。
「……セドリック。もうやめて。何を言っても私の犯行って結論は変わらないわ」
私はセドリックの手を振り払った。
「ごめんなさい。私が婚約者だったせいで、聖女になる人に気持ちを打ち明けられなかったのよね?」
「レティシア……?」
「知っていたのに、あなたを縛り付けていてごめんなさい」
「待って。俺が聖女を? あり得ない。どうして君はそんな勘違いを?」
もう私ができることは一つだけ。
私はグリムが待つ地下へ向かった。グリムの望みなんて叶えてあげない。グリムに一番近いところで、ずっと妨害してあげる。セドリックがグリムを倒しやすいように。
***
また嫌な夢を見た。今度は一周目の記憶に、余計な創作が混ざっていたわ。やけに現実味を帯びていたから、混乱したけれど。
あのまま夢を見ていたら、私はグリムかセドリック達に殺されていたでしょうね。
「とりあえず、最悪だわ」
寝て疲れたのは初めてよ。
起き上がった私はストールを肩にかけた。魔力は回復している。連日のように魔力を消耗していたせいか、体内で生成される量が増えている気がするわ。
ジーナの手を借りて着替え、結界を使う練習を始めた。
他にやることがないのよ。私が聖女だと自覚したわけじゃない。相変わらずセドリックは何を考えているのか不明だし、部屋の外で何が起きているのか分からない。そういった諸々の事情に抑圧されて、私は今ものすごくイラついている。
誰にも向けられない、向けてはいけない苛立ちを練習で発散していると、ものすごく成長できるみたいね。結界を何枚も重ねることまでできるようになったわ。
手始めにセドリックを結界に閉じ込めてみようかしら。すぐに破られてしまうと思うけれど、彼を驚かせてみたい。
ジーナが私に来客を告げてきた。
「セドリック様がお見えです」
「そう。お通しして」
「かしこまりました」
ジーナが扉を開け、セドリックが入ってきた。
展開していた結界のうち外側だけ解除すると、割れたガラスを踏み締めるような音がする。
「やあ、レティ。元気だった?」
「ええ。それなりにね」
「これは……レティがこの結界を?」
セドリックは私の周囲にある結界を観察しながら言った。興味深いのか、決して触れようとしない。
「暇だったのよ。誰かさんのお陰でね」
「ごめんね。怒らないで」
困ったように笑っているけれど、絶対に誤魔化されないわよ。
「レティ。久しぶりに外へ出ない? レティが協力してくれたから、グリムの鱗は格段に飛散量が減ったよ」
「魅力的な誘いね。ジーナ、コートを出してくれる? セドリック様が贈ってくれたものがいいわ。花の飾りがついているものがあったでしょう?」
「……かしこまりました。お持ちします」
ジーナは部屋を出る直前に、私の方を見た。少し不安げな視線だけをよこし、何も言わずに扉を閉める。彼女は本当に優秀ね。
「外はもう安全なの?」
「あらかた片付けたからね。あとはレティ達聖女が封印の強化をして終了。レティ。協力してくれて、ありがとう」
「どういたしまして。でもね、私はあなたに協力した覚えはないわ」
「レティ?」
私はセドリックから距離をとって、結界の数を増やした。
「あなたは誰?」
「レティ、どうしたの?」
目の前の人物は結界に触れそうなほど近づいて、そこで歩みを止めた。
「聞き方が悪かったみたいね。あなたがセドリックじゃないことは分かっているのよ。あなたは人間? それともグリム?」
「急にどうしたの?」
「あなたが偽物なのは気がついているのよ。私はセドリックからコートの贈り物なんてもらってない。本物のセドリックなら、否定したはずよ」
セドリックの姿を借りた侵入者から、表情が抜け落ちた。
「このまま騙されていれば良かったのに」
セドリックの姿が歪む。水を被ったように頭から形が変わっていく。銀色の髪は緑色を帯びた黒髪へ。顔も目つきが鋭い男のものへと変化した。服装は高位の神官が着ているものと同じ。
もしかしたら、この人はグリムに心を侵食された神官かもしれない。
「どれほど結界を重ねても無駄だ」
男の手が結界に触れた。
結界が壊れていく。
男にとって、私の結界は飴細工と同じだわ。触れて、握り潰せば簡単に砕けるのだから。
「この部屋にはグリムが干渉できない結界があったはずよ」
「一度の攻撃で侵入できなくても、幾度と繰り返せばいいだけ。どんな結界だろうと、いつかは壊れる」
私は後退しながら結界を追加していった。男が壊した以上に作ったけれど、無駄な足掻きだったわ。他に有効な手段を思いつく前に、壁に背中が当たった。
結界が残り一枚になったところで、男の歩みが止まる。
「期待しているのか?」
「……何を?」
「あの男が来ることを」
セドリックのことでしょうね。
「無駄なことだ。あのメイドに助けを呼びに行かせたのだろう? 馬を使ったとしても、報せが届いた頃には侵食が終わっている」
「それはどうかしら」
自信たっぷりに言ってやると、男は結界に触れようとした手を止めた。
「なんだと?」
「あのセドリックが無策なわけ、ないじゃない。私を守るための手段が、この部屋だけだと思う?」
「……嘘だな」
私の精一杯の虚勢は、あっさりと見破られた。
「本気で対策をしているなら、侵入した時点で何かしらの魔術や罠が発動しているはずだ。だが、いまだ沈黙している。どこかの地点へ向けて連絡用の魔術が飛んだ気配もない。ただの時間稼ぎだったようだが、無駄だ」
「――いや、無駄じゃないよ」
最後の結界が砕けた。でも男が私を捕まえる前に、横から伸びてきた手が男を殴りつけた。
襲撃を察知できなかった男は、受け身をとれずに絨毯の上を転がる。男はすぐに起き上がって腰に下げていた短剣に手をかけたけれど、引き抜くことはなかった。めまいがするのか、足元がふらついている。
男を殴った人物が誰かなんて、顔を見なくても分かるわ。
「……セドリック」
「待たせてごめんね」
全力で走ってきたのか、セドリックの呼吸が荒い。でも髪が乱れて汗をかいていても、爽やかさを失っていないのはさすがね。
心臓が痛いぐらい脈打っているのは、セドリックの見た目に惑わされているというより、唐突に自分を殺した相手が現れたからだと思うわ。ロマンスよりも恐怖のほうが強いみたい。
「セドリックが言っていた通りね」
この部屋に閉じ込められたとき、セドリックがグリムに襲撃される可能性を教えてくれた。もしセドリックが私の結界について喋ったなら、それは偽物だって。
鳥肌が立ってきたわ。セドリックの予想が当たったよりも、自分が誰かの思惑通りに動かされているから。まるで一周目のよう。
「貴様、もう来たのか」
「しつこく結界に攻撃してくる敵がいるのに、放置するわけないでしょ」
「屋敷の周囲に飛散させた鱗はどうした」
「消したよ。数を増やしても無駄だったね」
私には飛散していた鱗の量は分からないけれど、すぐに片付けられる量じゃないことは、男の態度で察したわ。
「あの量を、一人で……? 貴様、人間か?」
失礼ね。人間よ。たぶん。私が疑っていることを言葉にしないでほしいわ。
セドリックは私を後ろに庇うと、いつの間にか持っていた剣を男へ向けた。
「俺一人の手柄じゃないけどね。さて、レティを怖がらせた責任をとってもらおうか。楽に死ねると思うなよ」
あら、物騒なセリフが聞こえた気がするわ。
ねえ、セドリック。なんだか貴方の背後からドス黒い影が現れたような気がするんだけど。私の目がおかしくなったのかしら? 疲れが溜まっているのかもしれないわね。
でもね、私を襲ってきた男の人が絶望的な表情で後退りし始めたのが気になるわ。一体、彼には何が見えているのでしょうね。
「レティ。ちょっと仕事を片付けてくるから、ここで待っていてくれるかな? すぐに終わらせるよ」
終わらせるのは彼の命かしら。肯定されるのが怖くて聞けないわ。
「え、ええ。待っていればいいのね……?」
セドリックは私の髪に口付けを落とした。不思議ね。彼は愛おしげに触れてくるけれど、私は首に刃物を向けられた気がして動けない。足が震えてきたわ。
私達が話している間に、男は普通に立てるまで回復していた。密かに魔術を使おうとしていたみたいだけど、素早く距離を詰めたセドリックが剣を振ると呆気なく倒れた。呼吸はしているみたいだから、死んでいないと思うわ。
いつの間に男のところまで移動したの?
「セドリック。その人は人間なの?」
「人間だよ。鱗に侵食された神官。ずっと行方不明だったんだ」
セドリックは男の片足を掴んで、部屋の外へ引きずっていく。
「広い場所へ行こうか。ここから先はレティに見せるものじゃないからね」
二人の姿が完全に見えなくなってから、ジーナが入ってきた。
遠くから叫び声が聞こえてきたんだけど、きっと幻聴よね。
「ねえ、ジーナ。さっきここにいた人は、セドリックの形をした別の生命体よね?」
「レティシア様。そういうことにしておきましょう」
ジーナは慈愛溢れる眼差しでそう言うと、心が落ち着く薬草茶を淹れてくれた。




