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進めないらしい

 ぶつかった衝撃で本が落ちた。相手はセドリックに跳ね飛ばされた勢いで尻餅をつく。


 濃い灰色の髪が芝生に広がった。艶やかで触り心地が良さそうだ。鮮やかなオレンジ色の瞳は、驚いた色を浮かべてセドリックを見上げている。自分と同年代なら、十歳ぐらいだろう。


 子供を交えた交流という名目で連れてこられたガーデンパーティで、暇を持て余していたセドリックは庭を探索していた。彼女も似たような理由だろうか。抱えていた本が読める場所を探して、庭を歩いていたのかもしれない。


「ごめんね。大丈夫?」


 セドリックは急いで少女に手を差し伸べた。怪我をさせたとあっては、面倒なことになる。


「だ、大丈夫……」


 少女はセドリックの手を借りて立ち上がった。若草色の可愛らしいドレスから、汚れを払い落とす。


 セドリックも手伝いたかったが、家族でもないのに少女の体に触れるのはマナー違反だ。代わりに落ちた本を拾い、損傷がないか確認をしてから返した。


「ありがとう」


 控えめに笑った少女のとは対照的に、セドリックは言葉に詰まった。もっと彼女と話したい。名前を知りたい。なんでもいいから、彼女と接点になるものが欲しくなった。


 急に自分の感情が制御できなくなった。顔は笑顔の形に維持できているけれど、大声で喜びたい気持ちと、恥ずかしくて逃げたい気持ちが同時に襲いかかってくる。よく考えてから口を開かないと、少女を傷つける言葉が出てくるのではないか。そんな恐ろしさがあった。


「その本、僕も読んだよ」


 ようやく捻り出したのは、少女が持っていた本についてだった。マナーとしては、少女の名前を尋ねるのが先だろう。だが今のセドリックには、少女の個人的なことに深入りする勇気が出てこなかった。


 本を胸の前で抱えた少女は、瞳を輝かせてセドリックを見上げた。


「本当? 私、まだ半分しか読んでないの」

「そっか。感想を言うのはやめておくね」


 セドリックは気を使ったつもりだったが、少女には逆効果だったようだ。表情が暗くなり、俯いてしまう。


「私……読むのが遅いから、誰かと本の感想を話したことがないの」


 少女が読み終わる頃には、友人たちは他の話題で夢中になっているそうだ。友人たちが散々話した内容を繰り返すことになるので、少女は気後れして話せずにいた。


「一度も? 話題に入れないなんて、面白くなかったんじゃないの?」

「うん……」

「じゃあ読み終わったら僕に教えてよ。僕と話そう」

「いいの?」


 ただの思いつきだったのに、少女には救いになったようだった。ようやく笑顔を見せてくれた。


 綺麗な庭で思ってもいない世辞を言うより、体の内側に満ちてくるものがある。先ほどまでガーデンパーティなんて退屈で、暇つぶしのことばかり考えていたのに、参加して良かったと考えが変わった。


 もっと少女のことが知りたい。セドリックは近くの木陰を指差し、少女を誘った。


「ねぇ。向こうのベンチに座らない? 君が他にどんな本を読んでいるのか、興味があるな」

「パーティに参加しなくてもいいの?」

「いいよ。退屈だったし。君も暇だったから、ここにいるんじゃないの?」


 事実だったのか、少女は笑いながら頷いた。本で口元を隠し、あのベンチは駄目だと言った。


「あそこは静かすぎるわ。いつパーティが終わったのか、分からないの。こっちに来て」


 少女は返事を待たずに歩きだした。誰にも見つからないのは、低木の茂みが良い目隠しになっているからだろう。迷うことなく進む少女は、何度もここへ来ているに違いない。


「詳しいんだね」


 ようやく少女がセドリックを振り返った。


「ここ、私の親戚のお家だから」


 主催者の親族であるらしい。セドリックは主催者の名前を頭の片隅に思い浮かべた。


 到着したのはガーデンパーティの会場すぐそばだった。大人の背丈よりも高い生垣の向こうから、談笑が聞こえてくる。ここならパーティが終わればすぐに気がつくだろう。


「まだ自己紹介をしていなかったよね? 僕はセドリック・ド・サン・ベルレアン。君の名前を教えて」

「レティシア・ド・メルシェローズよ。友達にはレティって呼ばれているわ」

「じゃあ僕もレティって呼ぶね」


 セドリックはレティシアの名前と家名を心の中で繰り返し唱え、しっかりと覚えた。


 二人で話した時間は、そう長くなかった。レティシアと会ったのがパーティの終盤だったせいだ。満足できなかったセドリックは、レティシアと手紙を交換する約束を取り付け、未練を残したまま帰宅することになった。


 その夜、両親に呼ばれて書斎を訪れると、見合いの話を持ちかけられた。


 貴族は早いうちに婚約を取り付けるのが常識となっている。公爵家に生まれたセドリックも、いつか来ることだと思っていた。


 ――残念だな。


 気が合う友人とは違う存在を見つけたばかりなのに、もう疎遠にする理由ができてしまった。婚約者に浮気だと勘違いされないように、レティシアとの思い出は心の奥底へ封印しなければいけない。


 誰にも知られることなく、死ぬまで。


 それが貴族の義務だと理解していても、受け入れるには時間がかかりそうだった。


「セドリック。急いで決める必要もないのだが……」


 父親はそう言うが、セドリックは早く決めてしまいたかった。レティシアから目が離せなくなる前でないと、きっと彼女の婚約者を恨んでしまう。


 机の上に並んで置かれた釣書には、絵姿も添えられていた。


「届いている縁談のうち、問題ない家を選んである」

「確か、今日のガーデンパーティに参加していた家からも届いているわよ」


 母親が何気なく言った言葉で、心臓の鼓動が速くなった。じわじわと体温が上がっていく。


「どれですか?」


 母親は釣書の中から、いくつか抜き出しながら家名を読み上げていった。


「――これで最後ね。メルシェローズ伯爵家」

「メルシェ、ローズ……」

「名前は何だったかしら?」


 釣書を広げた母親の隣で、セドリックは絵姿を見つけた。濃い灰色の髪と、オレンジ色の瞳は合っている。


「彼女の名前はレティシアで間違いありませんか?」

「え? ええ、そうよ。知っていたのね」

「パーティで意気投合して、終了時間までずっと話していました。手紙を送ると約束をしたんです」


 セドリックはメルシェローズ家から届いた釣書を父親へ差し出した。


「婚約するなら、ぜひ彼女と」


 両親は反対しなかった。もっとも、この場には二人が納得した縁談のみ持ち込まれているのだから、どれを選んでも賛成してくれただろう。


 メルシェローズ家からも色良い返事をもらい、セドリックとレティシアは晴れて婚約者となった。


 しばらくは手紙で交流していたセドリックだったが、徐々に好意以外の感情を抱くようになった。きっかけは友人たちの会話だ。異性への好意を揶揄われるところを目撃してから、気持ちを素直に出すのが照れくさいと思うようになっていた。


 いつしか、レティシアへの手紙に感情を込めるのを止めてしまった。


 彼女のことは出会った時から好きだったが、セドリックはそれを表に出したり、愛情表現をするのを避けていた。友人たちに知られたくない。特定の誰かに恋をしていることを秘密にするのが、大人なんだと思い込んでいた。


 要するに、自分はあらゆる意味で子供だったのだ。


 ある日を境にレティシアが外へ出なくなったときも、特別に何かをした覚えはない。時が経てば、元気を取り戻すだろうと思っていた。だから聖女を守護する役目を与えられたとき、報告書のように簡潔な文章で知らせた。受け取ったレティシアが、どう思うかなど考えもせずに。


 自分が思い描いている理想的な大人の行動を選択して、上手く世間を渡り歩いている気でいた。上辺だけ似せた行為で上手くいくはずがない。結果として、レティシアがグリムに侵食されていると気がつかなかった。


 せめて自分だけは、彼女のすぐそばに立っていないといけなかったのに。

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