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裏があるらしい

 フルールが騒動に気がついてレティシアの部屋に駆けつけたとき、セドリックが彼女をベッドに寝かせていた。


「セドリック様。一体、何が……」

「鱗だよ。屋敷に入り込んでいた」


 感情の起伏に乏しい声は、フルールの恐怖を煽った。

 セドリックは愛おしそうにレティシアの頬を撫でてから、フルールのところへ来た。


「す、すいません。私、護衛なのに」

「ああ。今回は君の失態じゃない。俺がレティを一人にした。どうしても今の段階で、こいつを始末しておきたかったんだ」


 セドリックはフルールにジャムの瓶を見せてきた。外側を覆っていた紙が外され、黒い蝶のようなものが見えた。蝶は何かを叫んでいる。細い腕で瓶を叩き、外へ出ようと足掻いていた。


 瓶の蓋には、フルールがレティシアに教えた封印がしてある。グリムの鱗を採取した時のために、練習してもらっていたものだ。まだ魔力の分布に甘いところはあるが、簡易の封印としてはよくできていた。


「これ、鱗が集まったもののように見えるのです。でも普通の鱗とは違うような。どうして……この屋敷の結界は完璧なはずなのです」

「ただの集合体じゃなくて、擬似人格を持った鱗だからだよ。俺とフルールが屋敷に使った結界は、ただの鱗が入らないようにするものだ。これは例外」

「セドリック様は知っていたのですか? こんなのが存在するって」


「うん。知っていた」

「だったら、どうして対策しなかったのですか。普通の鱗よりも、ずっと強いのです。こんなのがレティシア様の意識を侵食したら、私達では何もできません」


 セドリックは瓶を目線の高さに合わせた。


「知っていたから、様子を見ていたんだ。これはね、とある遺跡で何十年も眠っていた個体だよ。今回はいくら遺跡を探しても見つからなかった。見つからなかった時は、レティの近くを見張っていれば絶対に現れる」


 フルールは途中からセドリックが何を言っているのか分からなくなった。彼は黒い蝶の行動を予測しているかのような口ぶりだ。


「さあ、フルール。仕事だ。今から言う魔法陣を描いてくれ」

「は、はい。あの、レティシア様は……?」

「魔力を消費しすぎて眠っているだけだよ」


 ひとまずレティシアの無事を確認できたフルールは、安堵のため息をついた。


 指示された通りに床へ魔法陣を描き、セドリックから離れる。セドリックは魔法陣の上でジャムの瓶を開け、黒い蝶を解放した。黒い蝶は勢いよくセドリックへ向かって飛んだが、魔法陣の外周より外へは行けなかった。


「なんだよこれ。どうしてこんな酷いことをするの? 出して! お願い、出してよ!」


 黒い蝶は目に涙を浮かべて懇願してきた。同情したくなる顔と仕草だ。


 フルールは瞳に魔力を込めて、観察眼の魔術を使った。妖精が使っている幻覚が薄れ、可憐で儚い蝶は枯れ枝に変化したように見えた。蝶の声にも耳障りな雑音が混ざる。これで黒い蝶を助けようなんて思えない。


「今から聞くことに答えろ」


 セドリックが黒い蝶へ命令した。左手は腰の剣に添えている。


「お前はいつから存在している?」

「分からないよ。ずっと昔から。小さな鱗の欠片を食べたら、たくさん考えられるようになったんだ。もっと賢くなりたくて、動物も食べたよ」

「それだけじゃないだろう。お前からは死人の臭いがする」


 光の筋が魔法陣の上できらめいた。剣を抜いたセドリックが黒い蝶の羽を切り落とす。羽は床の魔法陣に触れる直前、塵となって消えた。


「痛ああああっ! やめて! 殺さないで! 痛いよぅ」

「六十年ほど前に、王族の遺体が消える事件が起きた。死産した赤子だ。遺体が消えたのは神殿の安置所から墓へ移動させる直前。棺に髪の毛の一部だけが残されていたらしい。お前、遺体を食べたな?」


 フルールは王族の遺体が消えた事件を知らない。きっとこれは一部の王族しか知らされていない出来事だ。国民に知られてはいけない。そう察したフルールは、聞かなかったことにしたかった。


 セドリックが剣先で魔法陣に触れた。黒い蝶は悲鳴をあげて暴れ、助けてと懇願してくる。王家に伝わる聖剣のような、特殊な剣なのだろう。刀身がほのかに光を放っていた。


「どうしてダメなの!? 強くなりたかっただけなのに!」


 茶色くしなびた黒い蝶の体が不自然に動いた。泡が沸き立つように内側から膨らみ、大きさを増していく。膨らんだ黒い蝶は妖精の特徴を失い、床の上に落ちた。


「ひっ……」


 フルールは悲鳴をこらえて後ずさった。


 魔法陣の上でもがくそれは、小さな赤子の形をしていた。体の表面には茶色い鱗が並び、関節が捻じ曲がっている。動くたびに体から茶色の水滴が落ち、湿っぽい音をたてた。


 果物が腐ったような臭いを感じて、フルールはハンカチで鼻を覆った。


 ――もしかして、結界に反応しなかったのは王族の遺体を食べたから?


 取り込んだ王族の力が、結界の識別能力を狂わせたのだろう。黒い蝶は幼く聞こえる喋り方をしているものの、中身は人間を狂わせてきたグリムの鱗だ。鱗が侵食した人間の能力を使う事例は数多くある。


「……邪魔しないで。僕はグリムを助けるんだから!」

「お前はグリムの一部ではないのか?」

「違うよ! 違うこと考えてる。でも目的は一緒! グリムは怒ってる。お前達が邪魔するから」

「だから何度もレティの近くに現れたのか。結界への近道だから……」


 セドリックの呟きには、引っかかるところがあった。セドリックはレティシアを大切にしていると思っていたのに、まるで囮に使っていたような口ぶりだ。


 なぜ何度もレティシアへの接近を許したのか、フルールには理解できない。彼女の友人から鱗を引き抜いた時は、レティシアに危害が及ばないように、入念に準備した上で実行していた。セドリックのグリム対策は、いつも細かいところまで徹底していたはずだ。


「ここから出して! お前に構ってる暇はないんだ!」

「彼女に目を付けた理由は? 聖女になれそうな人材は、他にもいたはずだ」


 黒い蝶は口を歪ませて笑顔らしきものを作った。


「だって、あの子が一番、美味しそうに輝いているんだ。苦しんで堕ちていくところが見たい! 誰にも信じてもらえなくなって、泣いているところ! 傷ついてボロボロになったところを甘やかして、僕に依存してきたら、きっと楽しいよ!」


 うっとりとしている黒い蝶を、セドリックはただ無表情に見下ろしている。フルールには、その静かさが怖い。


「周りにいる人が全て敵になるって、どんな感じなんだろう? 一人一人、あの子の大切な人間を消していくんだ。あの子を起点にすれば、きっと上手くいくよ。それでも、あの子は最後まで綺麗な心のままだろうね。愛されたい一心でもがいて、そして失敗するんだ。笑えるよね。僕ってば天才? 悲劇作家になれるかな? そうだ、君も協力してよ! 面白さは保証するよ!」


 セドリックは答えない。


「あれ? 急に黙っちゃうの? もしかして悩んでる感じ? 貴族のお嬢様が堕ちていくところ、見たくない? そうそう、いつまでも結界で僕を閉じ込めておけると思わないでよね!」


 黒い蝶の片腕が落ちた。


「僕はまだ本気を出してないだけ! その気になれば、こんな結界なんていつでも壊せるんだよ! お前の返事を待っているだけ! ねえ、一緒にやろうよ! 君、絶対に素質があるよ! だって、他の人間とは――」


 剣が黒い蝶の頭を貫いていた。脳天から刺さった剣は、顎を貫通して床に刺さっている。フルールには、いつセドリックが剣を振りかぶったのか見えなかった。


「よく喋るね」


 セドリックは黒い蝶の背中を踏んだ。


「レティは渡さない。お前に協力もしない。悪魔の思惑通りに、人間が動くと思うな」


 枯れ枝が折れるような音がした。セドリックが足に体重をかけて、黒い蝶を壊している。黒い蝶は泣き喚いて抵抗していたが、魔法陣の中では無駄だった。次第に動きが弱々しくなり、泣き声が小さくなっていく。


 黒い蝶の醜悪さと、セドリックの淡々とした態度の差が、より不気味さを際立たせている。


 フルールは逃げたい気持ちをこらえた。いま部屋を出て行っても、どうせすぐセドリックに呼び出されるだろう。黒い蝶が助けを求めてこちらを見ているが、フルールは顔を背けて見なかったことにした。


 ――許せないのです。


 泣き声には、こちらの庇護欲を掻き立てるものがある。だがあれはレティシアを侵食しようと企んでいた。しかも残忍な方法で、彼女の存在を汚そうとしたのだ。絶対に解放してはいけない。


 レティシアはフルールの気弱さを笑ったり、馬鹿にしなかった。平民の魔術師だからといって、奴隷のように扱ったりもしない。教育実績も何もないのに、教師として信用してくれる。今までフルールが見聞きしていた、傲慢な貴族とはまるで違っていた。


 いつも兄と比べられるフルールが、ようやく能力で評価してくれる場所を見つけた。期間限定なのが惜しい。そう思えるほど、今の仕事が好きだ。


 自分はレティシアの護衛だ。だからレティシアの敵になるものは、全て知っておかないといけない。次はセドリックがいないかもしれないのだ。


 黒い蝶だったものは、完全に動かなくなった。セドリックが剣を引き抜くと、砂のように崩れて消えていく。


「あ。しまった。床に穴を開けちゃった」


 ようやくセドリックの人間らしい声がした。


「これ、誤魔化せるかな?」

「素直に謝罪したほうがいいと思うのです。しらばっくれたり、隠していると心象が悪いのです」

「……ま、そうだよね」


 セドリックは剣を鞘に収めた。


「フルール。魔法陣を消して、これを撒いてくれ」


 瓶に入った液体を渡された。清らかな力を感じる。黒い蝶が触れた床を浄化するための聖水だろう。

 セドリックは眠っているレティシアに近づき、優しく抱き上げた。


「レティシア様、全く起きませんね」

「ゆっくり休めるように、魔術で眠らせたからね。あの虫がわめくことをレティには聞かせたくなかったんだ」


 その言葉には全面的に同意した。他人のフルールでさえ、悪意しかない言葉に気分が悪くなる。


「あの。セドリック様……」


 どうして最愛のレティシアを囮にしたのか。聞きたいけれど、フルールには勇気が出てこなかった。


「……すいません。なんでもないのです」

「賢明な判断だね。この部屋で見聞きしたことは、何があっても喋らないように。そうじゃないと、レティの新しい護衛を探さなきゃいけなくなる」


 比喩でもなんでもなく、セドリックならフルールをためらいなく消すだろう。フルールは直前で質問を取りやめた自分を褒めた。やはり踏み入ってはいけない範疇だ。


「レティは俺の家で保護するよ。この家も悪くないけれど、これから始まるグリムの攻撃には耐えられないだろうね」

「え? ど、どういうことですか? グリムの封印は順調に修復しているはずではないのですか?」

「フルールは魔術塔にいる補佐達の護衛ね。覚えておいて。これからグリムの鱗の飛散量が増えるよ」


 いきなり居心地がいい仕事がなくなったことと、セドリックが言う近い未来の話――どちらから問いただせばいいのか考えているうちに、セドリックはレティシアを連れて部屋から出て行ってしまった。

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