封印があるらしい2
グリムの封印は王城の地下深くにある。この地下の空間は、元はグリムが作った巣穴だったらしいわ。歴史書には、初代の聖女達はグリムが巣穴に戻ったときを狙って封印したって書いてある。その上に城を建てたのは、グリムを監視するためだそうよ。
王族が封印の上に住んでいるのは、聖女ほどではないけれどグリムに対抗できる人達だから。王太子が持っている聖剣はグリム専用に鍛えられたものだし、他にも秘密の道具があるって聞いたことがあるわ。
一周目の私は、グリムに操られて地下の迷宮に侵入した。地下はグリムが自力で封印を解いた時に備えて、罠が仕掛けられている。でも人間の私には無効だったわ。人間用の罠もあるはずなのにね。
国民には封印の具体的な場所は秘密にされている。だから死に戻った私も、封印のことを知らないふりをしないと――そう思っていたんだけど、二周目の封印は様子が違っていた。
セドリックとフルールに守られて王城へ来た私は、何もない部屋に通された。
調度品どころか、窓もない。扉は金属製で分厚く、城の兵士が四人がかりで開けていた。壁や床、天井は白く光沢のあるもので塗り固められている。室内に入ると、何かしらの魔術が使われている感覚がした。鳥肌が立つ腕をさすりつつ見回したけれど、私には魔術の種類や目的が分からない。
「この部屋は、何のために作られたの?」
一緒に入ってきたセドリックに尋ねてみると、グリム対策だよとあっさり教えてくれた。
「グリムを外へ出さないための仕掛けだね。この王城全てがグリムを閉じ込める封印になっているんだよ。全盛期の力を取り戻したグリムには破られるだろうけど、迎え討つ時間は稼げるね」
「城も封印の役目があったの?」
知らなかったわ。地下だけだと思っていた。
「ここ、ものすごく複雑な魔術が使われている気配がするのです。見ているだけで酔いそうなのです」
フルールが私の袖を掴んで目を閉じた。
気持ちは分かるわ。魔術を詳しく知らない私ですら、異様な空気を感じて息苦しくなってきたから。
「遅れてすまない。出発しようか」
開けっ放しになっていた扉からレナルドが入ってきた。今回はグリムを斬ることができる聖剣も持っている。聖剣の柄についている宝石は、魔術の効果を増幅させることができたはず。
一周目は聖剣から嫌な気配がしたけれど、今はなんとも思わない。グリムの鱗がついていないせいかもね。
「まずは全員、これで目を覆ってくれ」
レナルドは白い布を渡してきた。広げると金糸で刺繍がしてある。目のような模様と、魔術に使う文字が並んでいた。
どう結べばいいのか迷っていると、フルールが私の目を覆うように巻いてくれた。
「グリムと目を合わせると、誘惑されてしまうのです。これはグリムの邪眼を遮ってくれる道具なのです。絶対に取らないでください。もし外れてしまったら、目を閉じてください」
目隠しをしても周囲は見えていた。グリムの誘惑を遮りつつ、視界を確保するために開発したのでしょうね。
ふと、これが完成するまで何人が犠牲になったのかと思った。私が考えても出てくる答えじゃないけれど。
レナルドは部屋の中心に立つと、細い鎖がついた水晶を垂らした。
「これから何度か転移する。君達はそのまま動かないように。異空間に取り残されたくないだろう?」
レナルドの説明で、胃の辺りが締め付けられる感じがしたわ。転移魔術に失敗して行方不明になった人がいるって、色々なところで聞いたことがある。子供向けの物語とか、魔術の歴史とか。詳細が不明な場所に一人で放り出されるなんて、絶対にお断りよ。
セドリックもフルールも、平然とした顔で立っている。転移魔術の安全性を信用していないのは、私だけみたい。
「大丈夫だよ。すぐに終わるから」
セドリックは私の心を見透かしたようなことを言う。優しく手を繋いできたのは、不安を解消させるためかしら。転移魔術への不安とは違う意味で、心拍数が上がってきたわ。
床に魔法陣が出現した。レナルドを中心に、私達全員が入れる大きさね。魔法陣からの光が強くなって、周りの景色が歪んだ。
風景画のキャンバスを歪めて絵の具でいたずらをしたら、似たような光景になるでしょうね。立っていられなくなった私を、セドリックが支えている。反対側にいるフルールも、いつの間にか私の腕を掴んで支えになってくれていた。
転移は私が酔う前に終わった。二人がいなかったら、倒れていたかもしれない。
私達は両開きの扉の前にいた。両端にはフルールと同じローブを羽織った魔術師がいる。フードを被っているので顔は見えにくいけれど、鼻や顎で判断すると二人とも中年の男性のようね。
魔術師達はレナルドが聖剣を見せると、扉から離れた。レナルドが扉に鍵を差し込み、扉の表面に白く光る輪が現れた。続いて輪に沿って文字が生まれ、内側へ向かって模様が生成されていく。
「この奥にグリムが封印されている。準備はいいか?」
レナルドは私に言っていた。この中で青い顔をして立っているのが、私だけだからね。
「問題ありません。いつでも行けます」
自分から封印の強化に参加すると言った手前、大丈夫じゃないなんて言えないわ。
扉に現れた輪は、魔法陣になっていた。光の移動が終わった途端に消え、鍵が開く重い音がした。
「殿下、お気をつけて」
魔術師の一人が喋った。
レナルドは軽く頷き、私達を招く。
扉はレナルドが触れると、ひとりでに開いた。扉を潜った先は、広い部屋になっている。壁や床は砂漠の砂を固めたような色の石だ。部屋の端には等間隔に柱が並び、天井を支えていた。柱の表面には細かい文字が見える。室内にあるもの全てが封印の術式なのでしょうね。
部屋の中央には、光る文字の列が渦巻いている。馬車三台ぐらいなら、楽に入りそうな大きさだわ。
あの中央にはグリムがいる。動く文字列の隙間から、仄暗いものが覗いている気がした。
一周目の私を破滅させた元凶。
操られるしかなかった無力さを忘れたくて、繋いでいるセドリックの手を強く握った。まだ私の体は自分の意思で動くわ。
「レティ。すぐそばにいるから安心して」
セドリックは繋いだ手を口元に寄せて、私の手の甲にキスをしてから離れた。
ちょっと。心の準備をする前に、そんなことをしないで。
悲鳴を上げそうになった私は、令嬢の意地で我慢した。セドリックのことは好意的に思っているけれど、一周目で私を殺した記憶もあるのよ。恐怖と羞恥のどちらを優先させるべきか迷うんだから。
封印は文字列が剥がれかけている箇所があった。
ふわりと文字列の一つが浮かんだ。完全に剥がれてしまう間に、下から浮かび上がってきた文字が覆い被さる。
文字を生成して貼り付けた人物は、封印のすぐ近くにいた。白い神官服を着た聖女。目は私達と同じように、刺繍が入った目隠しをしている。
「聖女様。彼女が以前に申し上げた候補です」
レナルドが声をかけると、聖女は無言で頷いた。
「こちらへ」
呼ばれた私が聖女の近くへ行くと、彼女の首に包帯が巻いてあるのが見えた。
「あなたも杖を握って。今から、私が言う通りにするのよ。グリムは会話の断片から、私達の情報を得ています。必要なこと以外は喋らないように」
聖女の声は小さかった。怪我のせいで声が出ないのかと思っていたけれど、グリムに会話を聞かれないためでしょうね。
私が黙ったまま頷くと、聖女は口の端をわずかに上げた。笑顔を作ろうとして失敗したような表情なのは、グリムの前だから?
「今から教える呪文を何度も唱えながら、杖に魔力を込めなさい。魔力の放出はグリムの鱗を消す方法と同じよ」
言われた通りに呪文を繰り返す私の隣で、レナルドが聖剣を抜いた。切先を上に向け、胸の前で掲げている。彼も呪文を唱えているみたいだけど、私が教えてもらったものとは違う。淡く光った刀身から文字が生まれ、グリムの封印に合流していた。
私が掴んでいる杖にも変化があった。先端の水晶からグリムの封印へ、光の帯が伸びる。聖女が作った一文だけの文字とは、明らかに違う。光の帯は封印にぐるりと巻きつき、文字になって回っていた。
何度か同じことを繰り返してから、私達はグリムの封印がある部屋から出た。
「ひとまず上へ戻ろうか」
来た時と同じように、レナルドが皆を集めて転移魔術を使った。違うのは、聖女がいることだけ。二度目の転移でも酔いそうになったところで目的地に到着した。
「挨拶が遅れたわね。あなたのことは王太子から聞いているわ」
聖女はジルという名前だけ名乗った。家名がないのは、聖女になった時に聖職者として生きる方を選んだからだと聞いたことがある。彼女は複雑な家庭事情で世俗から離れただけ。聖女になった全員が世俗と縁を切る決まりはないのよ。
「レティシア・ド・メルシェローズと申します、聖女様」
私が名乗ると、聖女はようやく人間らしい微笑みを見せてくれた。
「怪我をされたそうですが……」
「歩く程度であれば支障ないわ。封印を補強しに来てくれる人がいるのに、私が同席しないのは失礼でしょう?」
聖女は私の頬に手を添えた。
「あなたには申し訳ないことをしたと思っているのよ。慣例では十分な教育をしてから、聖女の仕事に就いてもらっているから」
間近で対面した聖女は、疲労の色が濃かった。
「あなたが次の聖女よ。魔力の巡り、種類、どれも歴代の聖女と遜色ないわ。でも資質があっても、心身を鍛えなければ力を発揮できない。それにグリムは聖女を狙っている。覚えておいて。あなたの力が増すほど、グリムは手出しできなくなるのよ」
また一つ、グリムに対抗する手段を知ったわ。私が強くなれば、グリムは私を操れなくなる。
次の聖女だと言われたことは、まだ実感が持てそうになかった。