封印があるらしい
セドリックは予告通り、私に会うために屋敷へ来てくれた。ただし、少し厄介な同行者付きで。
玄関で出迎えた私は、この場にいるはずのない人物を見て顔が引き攣りそうになった。伯爵家の屋敷には似つかわしくない、高貴な雰囲気を振り撒く男性がいる。従者の服装をしているけれど、どう贔屓目に見ても変装になっていないわ。
もちろん彼のことは知っている。直に会ったわけじゃなくて、肖像画と伝え聞く特徴で。
彼はレナルド。この国の王太子よ。銀色の髪と真夏の青空のような瞳の人物は、どこかセドリックと雰囲気が似ている。だって従兄弟だもの。
「君がセドリックの婚約者か。話は聞いている」
私と目が合ったレナルドは、穏やかな声でそう言った。地に足がついた態度、というのかしら。次期国王の立場に相応しい内面が身についていた。
王家に伝わる聖剣は、今日は携行していないみたい。グリムを斬ることができる剣なんだけど、さすがにお茶会には必要ないもの。
「お、王太子殿下。初めまして、レティシアと申します」
私、笑顔を維持できているかしら。高貴な人をお迎えするなんて初めてだから自信がないわ。
「セドリックは婚約者を紹介する気がないようだが、悠長なことを言っていられなくなってね」
「レティ、俺は反対したんだよ。いきなり訪ねたら迷惑になるからって。それを、この王太子様は聞かなかった」
「先触れもなく訪問したことは謝罪しよう。だが、急を要する事態が迫っている。公にはできないから、こうしてセドリックに頼んで連れてきてもらった」
「あれのどこが依頼なんだか……完全に脅迫していただろう」
セドリックは心の底から嫌そうだった。セドリックに言うことを聞かせられる人がいたのね。覚えておくわ。
事情はともかく、玄関で聞く話じゃないのは察した。
「謝罪なさることはありません。詳しいことは部屋の中でお伺いします。どうぞ、こちらへ」
私はセドリックと会うために準備していたサロンに二人を案内した。
サロンへ入ったすぐ後に、執事とメイドが茶器を持ってきた。急な王族の訪問にも関わらず、我が家の使用人達は慌てずに行動してくれているみたい。
我が家にあるカップの中でも、一番高価な物だわ。王城で使われているカップに比べたら劣るでしょうけど、今はこれが精一杯。伯爵家に王太子が来るなんて、普通なら有り得ないことだもの。
私の隣には、当然のような顔をしてセドリックが座った。
もしかして、私が王太子に失礼な態度をとらないように見張るつもりなの?
好意的に考えるなら、失敗する前に教えてくれるってことよね。大勢の前で失敗するより被害は少ないけれど。真横に教師がいるみたいで落ち着かないわ。
自己解決した私は、レナルドが話し始めるのを待った。レナルドは私とセドリックを興味深そうに観察した後、紅茶が入ったカップを持ち上げる。紅茶の香りを楽しむように顔に近づけ、ゆっくり味わっていた。
お茶を飲むだけで様になるって凄いわね。
「セドリックは、よほど君のことが心配らしい。聖女の補佐名簿に、君の名前を記載しなかった」
「グリムの鱗に侵食された人間がどこにいるのか見分けられない現状で、全ての能力者を明らかにするのは危険だと言ったはずだよ。分散して保護しようと提案したのは、レナルドだ」
従兄弟という間柄だからか、セドリックは気安くレナルドに言い返している。
「それでも俺には教えてくれても良かったんじゃないか?」
「教えただろう」
「聞くまで喋らなかったくせに、よく言う」
レナルドは苦笑してカップをテーブルに置いた。
二人の会話を聞いていると、まるで私も聖女の補佐とみなされているみたい。グリムの鱗を消滅させられるけど、聖女と同じことをしている実感はないわ。
「メルシェローズ伯爵令嬢。協力してほしいことがある」
「私にできることなら……」
「グリムの封印を強化してもらいたい」
私が?
グリムの鱗を消滅させることじゃなく?
「既に知っていると思うが、グリムの封印に多数の亀裂がある。グリムに操られた被害者が増えているのは、そのせいだ。色々と対策を講じているが、いつまで保つか分からん。封印の補強に携われる人材は、一人でも多く欲しい」
今、封印の補強には王家も協力しているらしい。でも聖女のように広範囲を補強できず、じわじわと綻びが広がっている。一人一人が補強できる範囲は狭くても、人数で補いたいようね。
「どうして私なのですか? 私は封印を使ったことがありません」
グリムの鱗を消滅させてくれ、なら喜んで協力したわ。自分にも出来る確信があるから。でも大元のグリムに同じことができるなんて、大それたことは思っていない。
なにより、私を破滅させた元凶には近寄りたくなかった。
「使ったことがなくても、素質はある」
レナルドは納得してくれなかった。
「グリムの鱗を見つける聖女の瞳と、消滅させる浄化の習得速度が、他の補佐よりも早い。教育係の魔術師によると、昨日は町で浄化をしてくれたそうだな? 弱い鱗だったとはいえ、何度も浄化をしても平気なのは聖女くらいだ」
そうなの?
フルールは連続使用しないで、なんて言わなかったわよ。セドリックは難しい顔で黙ってまま、何も言ってくれない。
「グリムの鱗を封印している結界は、内側にあるものを外に出さない性質のものだ。グリムの鱗や攻撃から身を守るためのものとは違う。グリム対策に結界が使える者に集まってもらったが、結界の修復にも携われそうな人材は見つからなくてね」
「聖女様だけでは対処できなくなってしまったのですね」
「もうご高齢だからな」
「グリムの鱗に襲われたんだよ」
じっと聞いていたセドリックが口を挟んだ。咎めるように身を乗り出したレナルドを制して、話を続ける。
「レナルド。協力を得たいなら、誠実であるべきだ。隠し事は不和の元だよ」
「聖女様は大丈夫なの?」
「命は助かったよ。でも急激に魔力が衰えて、封印の修復が追いつかなくなっただけ。国民が混乱するといけないから、公表していないんだ」
セドリックが淡々と話すせいか、余計にグリムの怖さが際立つ。封印を満足に修復できなくなったって、かなり悪い状態よ。
聖女は厳重に守られている。聖女自身もグリムから身を守る手段を持っているのに、怪我を負わされた。じゃあ、学び始めた私なんて、すぐに侵食されて操られるに決まっている。
「セドリック、その言い方では令嬢を怯えさせるだけだ」
「何か問題でも? 絶対に安全だと言いきれないじゃないか」
レナルドはため息をついた。
「聖女の警備は以前よりも厳重にしている。補佐や協力者たちも同様に守っているから、そこは安心してほしい。君にも魔術師の護衛がついているだろう?」
レナルドに協力をすれば、今以上にグリムから守ってくれるらしい。これは私にとって良い流れかもしれないわ。私が封印を強化できるかは未知数だけど、成功すれば鱗が出てこなくなるのよ。
「ねえレティ。レナルドが言っているのは命令じゃないよ。断っても冷遇されたりしないからね」
セドリックは優しいことを言ってくれる。でも私の気持ちはもう決まっていた。
「分かりました。私もグリム対策に協力します」
「……レティ」
隣から仄暗い怖さが漂ってくるけど、私は無視した。
「セドリック。私はグリムが怖いわ」
「だったら、どうして?」
「何もしないでいるのは、もっと怖いの。ずっとグリムに怯えて過ごすよりも、グリムの被害を減らす努力をしているほうが、気持ちが楽だわ」
私はフルールに説明したことと同じ内容を話した。レナルドは私に理解を示してくれたけれど、セドリックは返答を渋っていた。
「早く封印を強化できたら、グリムの鱗が出てこなくなるのよね? あとは蔓延してる鱗を消せば、安心して暮らせるじゃない」
「そこに至るまでが危険なんだよ。レティは自分が狙われてるって知ってる?」
知らないわけがない。一周目の私は、グリムのせいで悲惨なことになったから。
「もちろん知ってるわよ。フルールみたいな魔術師が護衛をしてくれているのに、その理由に気が付かないほど鈍くないわ」
「俺が魔術師を派遣したのは、レティが自衛できるようにするためだよ。グリムと戦うためじゃない」
セドリックは絶対に同意してくれないらしい。心配しているのは態度で伝わってくるけど、今は最大の障害になっていた。彼が同意してくれないと妨害されそうなのよね。
良い案が出てこなくて黙ってしまった私に、レナルドが声をかけてきた。
「俺はセドリックの気持ちも理解している。戦いとは縁がなかった令嬢を危険な場所へ連れて行くわけだからな。そこでだ、グリムに近づく時はセドリックも護衛をするのはどうだろう?」
「え?」
セドリックが?
それ、私がグリムに操られた途端に斬られたりしない?
「要はセドリックの目が届かないところで、令嬢が危険に晒されるのが嫌なんだろう? だったら側にいればいい。もともと聖女が封印を強化する時は、俺やセドリックが付き添う予定だった。問題はないと思うが」
「でも……」
セドリックが迷っている。
若干の不安はあるけれど、今の時点ではレナルドの案以上のものは思いつかない。ここは乗るべきね。
「私は殿下の提案に賛成よ」
「レティ」
「グリムは怖いけど、セドリックが守ってくれるなら心強いわ」
私がそう言うと、セドリックに勢いよく顔を背けられた。
変なことは言っていないはずなんだけど、セドリックの行動心理が読めないわ。
「あー……それなら、いい、のかな……?」
ねえ、どうして私の方を見ないの?
不安になるじゃない。
「どうやら決定したようだな」
レナルドは満足そうにしているだけで、セドリックのことを教えてくれる気はないらしい。そんなレナルドを見て、セドリックはため息をついた。
「レティ、約束して。絶対に一人でグリムと対峙しないって。俺かフルールの同伴なしに王城へ行くのも駄目だよ」
「え、ええ」
たった一人で王城へ行く機会があるとは思えない。でも私は頷いた。
別に、無表情のセドリックが怖かったわけじゃないわ。約束しなかったら監禁されそうなんて、少ししか考えてないわよ。
「ところで、いつからグリムの封印を強化しに行くのですか?」
「明日から始めようか」
「明日?」
レナルドはさらっと答えたけれど、早すぎない?
「申し訳ないが、あまり時間の猶予がないんだ。明日の朝、セドリックを迎えに寄越す」
まさか明日から働くことになるとは思わなかったわ。いくらなんでも時間がなさすぎる。
「君の両親には、僕から説明しておく。セドリックも、それでいいな?」
「……今回は言い負かされておくよ」
悔しそうなセドリックは、明日の準備と補佐達の様子を見に行くと言って、レナルドと共に帰っていった。