グリムがいるらしい3
私は届いた荷物の前で困惑していた。
送り主はセドリック。中身は王都で流行している焼き菓子らしいわ。ピンク色や水色などの淡い色をした丸い生地に、クリームが挟まっている。花びらを敷き詰めたような焼き菓子は、見た目も華やか。
贈り物をもらえるのは嬉しいけれど、問題は頻度よ。セドリックはほぼ毎日のように手紙や小物、お菓子を送ってくる。お礼の手紙に「気を遣うから贈り物はいらないわ」と伝えているのに。
もしかして、令嬢らしく遠回しに伝えたのが良くなかったの?
「フルール。お菓子、食べる?」
「それはセドリック様がレティシア様へ送ったお菓子なのです。第三者が食べたら呪われそうなので遠慮しておきます」
「呪いって、そんな大袈裟な」
「私はまだ死にたくないのです」
フルールは無表情で焼き菓子を見下ろしている。少し瞳が金色がかっているのは、魔術的な視点で焼き菓子を見ているってこと?
食べるのが怖くなってきたわ。
「毒は入ってないから大丈夫なのです。私の心が、それを食べることを許さないのです」
フルールは拒絶の理由を付け足した。私が考えていることを読んだのね。無理強いしないから大丈夫よ。
「お菓子は後で食べるわ」
私は箱に蓋をした。お腹は空いていないし、今日は外出する予定だから。
せっかく王都へ出てきたのよ。王都でしかできないことをしたい。屋敷に引きこもっているのも飽きてきたわ。
もちろん、グリム対策の練習は毎日続けている。もう隠れているグリムの鱗を見つけられるようになったし、浄化も教えてもらった。結界は別の人が教えてくれるまで出来ないけど。フルールと一緒に作った練習計画は順調にこなせているから、一度ここで息抜きをしようと思うの。
私が警戒すべきなのはグリムとセドリックの動向だけ。グリム対策にはフルールがいるし、セドリックは魔術塔に通っているから会っていない。
絶好の外出日和だわ。
「行きましょうか、フルール」
「分かりました。道中の安全は任せてくださいです」
今日のフルールはいつものローブに加えて、長い杖を持っていた。この杖があれば、グリムの鱗の接近を探知できる範囲が広がるらしいわ。杖の構造も教えてもらったけど、専門的すぎて全く理解できなかった。
私の魔術の知識が浅かったのと、フルールが説明し慣れていなかった結果なのよ。駄目な条件が重なってしまった悲劇、ということにしておいて。
王都の中心地まで出てきた私達は、付近で一番大きな貸本屋に入った。
我が家の領地は食べるものには困らないけれど、娯楽本の流通が弱い。本といえば教養を学ぶためのものと思っている人が多いのが、主な原因ね。私の父親もそうなんだけど、娯楽本は子供向けだって先入観があるみたい。大人の男性向けの本もあるのにね。
この国の人は、よほどの貧困層でなければ文字の読み書きができる。文学が発達する下地があるのに、先入観で成長を阻害してしまうなんて悲しいじゃない?
「お父様に男性向けの本もあると知ってほしいのよ。本の流通が盛んになれば、領地へ戻っても暇にならないわ」
「どうして領地へ戻る前提で話をするのですか? セドリック様は王都に住んでいますし、サン・ベルレアン公爵領は文化芸術に理解があるところです。娯楽に困ることはないと思うのです」
「この婚約がいつまで続くか分からないでしょ。家の都合で婚約が白紙になることもあるんだから」
フルールにはセドリックと距離を置きたい理由を話していない。
「それにね、メルシェローズ領は農業でこの国を支えているけれど、それしかないのよ。私は領地の人達に心が豊かになる経験をしてほしいの。どうせ生きているなら、楽しいことが多いほうがいいわ」
「そのためにメルシェローズ伯爵を説得しようとしているのですか」
「ええ。私が地道に販路を開拓するより、お父様を味方につけて計画に賛同してくれる人を増やすほうが早いのよ」
フルールは感心したように私を見ていたけれど、ふと疑問を呟いた。
「……本を読む人口が増えたら、その中から作家が生まれて、さらに娯楽が増えるとかいう理由じゃないのですね」
この子、鋭いわ。
「まあ、そんな理由もあるわよ。でもね、巡り巡って、私以外にも還元される娯楽だからいいじゃない」
私は良さそうな本を数冊借りて、店から出た。フルールも好みに合う本を見つけたようで、大事そうに一冊だけ抱えている。
「せっかく出てきたんだから、どこかでお茶でもする? この辺りに友達が紹介してくれた店があるのよ。それとも治安の問題がある?」
「王都は騎士団が巡察しているから、昼間は安全なのです。それに行動の決定権はレティシア様にあるのです。とはいえ、休憩するのは賛成なのです」
「決まりね」
どの店に入ろうかと考えていると、テラス席がある店に目が止まった。四人の女性が席についていたが、なぜか皆の表情は暗い。そのうちの一人には見覚えがあった。
ピンクブロンドの柔らかそうな髪と、爽やかな水色の瞳。可愛らしい顔立ちをした、見る人全てを魅了しそうな人物。
あの女性が、次の聖女になるロザリーよ。私を操っていたグリムが、何度も命を狙っていたもの。でもどうして死にそうな顔でケーキをフォークで突いているのよ。隣の子なんて、テーブルに顔を伏せたまま動かないわ。生きてるよね?
「あ。あの人達、聖女の候補生なのです。魔術塔で見ました」
「え? そうなんだ」
ロザリーと一緒にいる人も、聖女と同じ力を持っているということね。
「かなり疲れているように見えるんだけど……」
「セドリック様の特別訓練を受けているらしいのです。あまりにも連携が取れていないらしくて、毎日のように魔術塔の周辺にある森へ出かけていると聞きました」
「えぇ……何それ……」
かなり厳しい訓練なのは予想がついたわ。部下の訓練で容赦しなかった人ですもの。女性相手でも手を抜かないでしょうね。
ヒロイン達の近くを通った時、低い声の怨嗟が聞こえてきた。
「……あの男、手加減ってものを知らないのかしら」
「最後の訓練なんて、三方から波状攻撃が来ましたね……防げるわけないじゃないですか」
「連携の確認だなんて言って、本当は憂さ晴らししてるんじゃないの?」
「いつか絶対に仕返ししてやるわ……」
ねえ、セドリック。聖女の補佐達が本格的に仕事をする前に、闇堕ちしそうなんだけど。
そこそこ混んでいる店なのに、ロザリー達の周囲に座ろうとする客はいない。皆、異様な気配を感じて避けている。
「……フルール。あっちの店へ行きましょうか」
「はい。賛成なのです」
もしセドリックの婚約者だと気付かれたら、グリムの鱗とは違う意味で厄介な展開になりそうだわ。
私は通行人の流れに乗って、早足でその場を離れた。