グリムがいるらしい
友人のジョゼが主催した茶会は、仲がいい令嬢だけを招待した個人的なものだ。服装も簡単でいいと言われたけれど、やはりある程度の基準がある。
私は鏡の前に座らされて、ジーナ達の手で令嬢らしい格好へと変身させられていた。
「茶会の格式を考慮して、髪はリボンで質素にまとめます。装飾品はセドリック様から頂いたネックレスでよろしいでしょうか?」
私が返事をする前から、ジーナは例のネックレスを箱から出している。もう決定事項じゃないの。私が反対をしても正論を並べて却下をしてくるわ、きっと。
「……ジーナ。セドリック様から何かを言われたの?」
「お嬢様の身の安全が一番、という認識を共有しただけです」
魔獣の襲撃時に、私が首を突っ込んで危険な状況になったせいね。自分勝手な行動で大勢に迷惑をかけたわ。余計なことをする前に隔離しておけ、ということでしょう。
支度を終えてジョゼの家へ向かうと、参加者の半数がすでに到着していた。友人しかいないから、面倒な挨拶を省略できて楽ね。
一周目では、彼女達は私と一緒に新聖女のいじめに加担していた。本来は誰かを害するような人達じゃない。私を起点にして、彼女達もグリムの鱗に侵食されていたのよ。きっと。
護衛としてついてきたフルールは、乗ってきた馬車のところで待機している。彼女が何も言わなかったということは、グリムの脅威はないということ。今回は私のせいで友人がグリムに侵食される事態は防げそうね。
「ねえ、レティのところは大丈夫なの?」
席につくなり、隣になったイレーヌから質問を投げかけられた。
「大丈夫って、何が?」
「フォール家のロザリーとかいう子が、セドリック様とよく会っている噂が流れているわよ」
ロザリーは新聖女と同じ名前ね。彼女は聖女の力を伸ばすために特訓中のはずだから、セドリックと一緒にいても不思議じゃない。一周目がそうだったもの。
聖女になれそうな女性が見つかったということは、まだ公表されていない。聖女はグリムに狙われているから、ロザリーが十分な力をつけるまで、人知れず保護する予定なのでしょう。ここで私がロザリーのことを喋ったら、台無しになってしまうわ。
「仕事で何人かの令嬢と会うって聞いているわ。だから心配するようなことはないの」
聖女がいないと、グリムに支配されてしまうからね。魔術塔にいる補佐達には、頑張ってもらわないと。セドリックには彼女達の教育を頑張ってもらわないと。
「その噂なら、私も聞いたことがあるわ」
今度は別の友人が参加してきた。
「彼女が狙っているのはセドリック様だけじゃないわよ。どんな方法を使ったのか、魔術塔に出入りして、あのクロード・ノエや王太子に言い寄っているとか」
「でもどうしてロザリーが? 私、あの子とは遠い親戚なんだけど、魔術師だったなんて聞いたことないわ」
「家族に魔術師がいても、中へ入ることはできないらしいわね。入り口で弾かれるんですって。もしかしたら許可証を偽造――」
「私達が憶測で話しても、真相なんて分からないわよ。みんな揃ったことだし、お茶にしない?」
ロザリーの話が過熱しそうになったとき、ジョゼがさりげなく会話を遮った。
「そうよね。レティが納得しているなら、いいのよ」
友人達は曖昧な噂を続けるより、ジョゼに同意して話を終わらせた。ところがイレーヌだけ、納得できない顔でテーブルに視線を落としている。
「本当にレティは納得しているの? いくら仕事とはいえ、婚約者に誤解されるようなことをするなんて。絶対におかしいわ」
「イレーヌ?」
「ロザリーはきっと婚約者の座を狙っているのよ。レティとセドリック様が不仲になって婚約が白紙になれば、自分が割り込めると思っているのね。そうなった時のために、今から自分を売り込んでいるのよ」
イレーヌの様子がおかしい。顔は私のほうを向いているのに、どこか遠くを見つめている。話しかけてきた時とは違い、口調も平坦なものになっていた。
ジリジリと鎖骨の辺りが熱を帯びた。セドリックがくれたネックレスが発熱している。熱くはないが、護符が反応しているのだと思うと不安になってきた。
イレーヌの目がネックレスを見た。感情が消えていた顔に、苛立ちが現れる。
「それ、誰に貰ったの? 今すぐ外して!」
「イレーヌ、急にどうしたのよ」
友人達はイレーヌのただならぬ雰囲気に驚いて、動けないでいた。
イレーヌが私のネックレスを掴もうと手を伸ばしてくる。だが花の形をした護符が光り、イレーヌの手を電撃で弾いた。
「きゃあっ」
イレーヌは弾かれた右手を庇い、私を睨む。
「外してよ! 私のことが嫌いなの!?」
「失礼。虫がついているのです」
私の背後から声がした。いつの間にかフルールがいる。
フルールはイレーヌの肩に触れて、小さな声で何かを呟いた。イレーヌの肩から黒く小さな虫のようなものが出てきたが、フルールは顔色一つ変えずに捕まえてジャムの瓶へ入れた。
虫だとフルールは言ったけど、あれの姿はぼやけていた。護符が反応していたし、グリムの鱗に違いないわ。
体からグリムの鱗を抜き取られたイレーヌは、青ざめた顔でフルールを振り返った。
「あ……私、どうして……」
フルールは私たちへ向かって手をかざし、言い聞かせるようにゆっくりと言った。
「顔色が悪いのです。きっと疲れているのでしょう」
ふわりと暖かい空気に包まれた。私以外の友人達は、ぼんやりとフルールを見ている。
「ええと、ここはジョゼ様のお家でしたっけ? 彼女を休ませてあげてほしいのです」
「まあ、大変。イレーヌ、すぐに客室を用意するわ。今の状態で馬車に乗るのは危険よ」
フルールに呼びかけられたジョゼの瞳に光が戻った。フルールに言われた通りメイドを呼び、イレーヌを託す。イレーヌがメイドと一緒に部屋を出て行くと、またぼんやりと夢を見ている顔つきになった。
友人達は黙ったまま、ただ座っているだけだ。
「レティシア様。彼女達の記憶から、先ほどの騒動を消したのです」
「イレーヌに取り憑いていたのは、グリムの鱗だったの?」
「はい。少し強い鱗でしたが、私でも駆除できました」
グリムの鱗に汚染されたら、自分の意思とは違う行動をしてしまう。イレーヌも同じ状態だったのでしょうね。私は彼女を責める気なんてない。フルールがいなかったら、侵食されていたのは私のほうだったのかもしれないのだから。
「フルールはいつ部屋に入ってきたのよ」
馬車のところで待っていると言って、家の中には入っていないのに。
「セドリック様の指示で家の周囲を点検してから、姿を隠す魔術を使って入ってきたのです」
フルールは急いで、悪用はしてませんと付け足した。
「私が隠れていないと、グリムの鱗は出てこないらしいのです」
「セドリックがそう言ったの?」
「はい。あの人は未来が見えていますから」
予想が当たることを比喩した言葉でしょうね。色々と有能なセドリックだけど、さすがにおとぎ話でしか聞いたことがない未来視を習得しているとは思えないわ。
「では、私はレティシア様にハンカチを届けに来たふりをして帰るのです。そろそろ魔術が解ける頃合いなのです」
「……あら、あなたは?」
ぼんやりとしていた友人達の意識が戻ってきた。急に現れたように見えるフルールに視線が集まる。
「わ、私は、レティシア様にこれを」
初対面の令嬢達に注目され、フルールは慌ててハンカチを私へ差し出した。あらかじめ私のハンカチを持ってきていたらしい。見覚えのあるレースがついている。
「どうして魔術師がレティのハンカチを?」
フルールは今更になって気がついたようで、ショックを受けた顔で固まった。
うん、そうよね。ハンカチを届けに来たのがメイドだったら、違和感が無かったのよ。でもフルールはどこから見ても魔術師と分かるローブを着て、身分証の代わりになるブローチも付けている。友人が混乱するのも無理ないわ。
「え……いや、私は……」
「フルールは私の家に泊まっているの」
焦って言い訳が出てこないフルールに代わって、私は助け舟を出した。
「ええと、護身用の魔術を覚えようと思って。ほら、最近は物騒でしょう? セドリック様に紹介してもらったのよ」
「そ、そうなのです。セドリック様の要請で、護衛も兼ねて同性の私が派遣されたのです」
「わざわざ魔術塔の魔術師を紹介するところが、セドリック様らしいですわ……」
「相変わらずレティには過保護……いえ、心配性な人ですのね」
「女性の魔術師を選ぶところが特に……」
セドリックの名前が出た途端に、友人達から同情をする目で見られた。おかしいわ。こんなはずじゃなかったのに。
「レティ。悩みがあるなら、いつでも聞くわ」
「そうよ。私たちは友達ですから。ね?」
何かしら、この理不尽な感じ。私が知らないところで、セドリックが何かをしたのは理解したわ。まるで独占欲が強い恋人に束縛されている人になった気分よ。
「レティの事情は分かったわ。フルール・ノエさん。せっかく来たんですから、あなたも参加していかない?」
ジョゼは私の隣、イレーヌが座っていたところに新しいカップを用意した。
「で、でも私は完全な部外者で……」
戸惑うフルールをよそに、友人達は名案だと同意した。
「いいわね。魔術塔のことを聞きたいわ」
「ねえ、ノエってもしかして、あのクロード・ノエの家族?」
「優秀だってことしか聞いたことがないけど、どんな人なの?」
フルールが助けてほしそうに私を見たけれど、それは無理よ。仕方ないじゃない。新しいおもちゃ……じゃなくて話題が飛び込んできたのよ。
「諦めて。こうなったら一通りの情報を話すまで解放してもらえないわ」
「そんなぁ……」
「職務上の秘密に触れることまでは言わなくてもいいから」
「大丈夫よ。私達は魔術のことじゃなくて、魔術師の人柄に興味があるだけだから」
「そ、それが一番、難易度が高いような」
社交的な友人に人見知りのフルールが敵うわけもなく、言いくるめられて茶会に参加することになった。そこから先は、友人達が言葉巧みに知りたい情報を聞き出していく。魔術師について知りたいと言いつつも、質問の内容はクロードに偏っていた。
魔術塔最年少の天才かつ、自分たちと歳が近いからでしょうね。滅多に表に出てこないから、フルールが現れるまで謎の存在だったのよ。実在しているのか怪しい、珍獣みたいに思っていてもおかしくない。珍獣扱いされているクロードは不本意でしょうけど。
魔術塔は国家機密の魔術も扱っているから、関係者以外の出入りは制限されているの。名前と功績だけが知れ渡って、顔は知られていないなんて珍しくないわ。
「兄は魔術以外への興味が薄いのです。友人と呼べる人も少なくて、会話は魔術に関することばかり。もし誰かにお見合いを持ちかけられたとしても、魔術の知識が無い人とは嫌だと言って断ると思います」
茶会の時間は、フルールの愚痴を聞いている間に過ぎていった。友人達にとっては有意義な時間だったようで、フルールは帰り際にまた参加してねと話しかけられていた。
友人達はイレーヌが体調を崩して部屋を出たことは覚えていて、心配そうにしていた。でも彼女からグリムの鱗が出てきたことは忘れてしまったみたい。
帰りの馬車の中でフルールは、イレーヌについて教えてくれた。イレーヌはしばらく別室で休んだあと、迎えに来た馬車で家へ帰ったらしいわ。
「茶会の前日に、セドリック様がイレーヌ様の家へ派遣する魔術師を指名していました。今頃はご自宅で後遺症の有無を検査されていると思います」
「とりあえず安心してもいいのね?」
「大丈夫なのです。問題が発覚しても、セドリック様が責任を取ってくれるのです。いえ、むしろ取ってもらわないと困るのです。どんな手段を使ってもレティシア様を助けろと言っていたのですから」
「どうせなら事前に教えてほしかったわ。友達の性格が急変したから驚いたわよ」
「う……苦情はセドリック様へお願いします。絶対に喋るなと言われましたので……」
グリムは狡猾だからとフルールは言った。罠を張っていると気付かれたら、潜伏したまま出てこない。
隠れているグリムの鱗を見つけて消滅させられるのは聖女か、聖女に匹敵する浄化能力を持った人でないと難しい。
「セドリックはどこまで予想していたんだろう」
彼は私に護符を持たせ、フルールを待機させていた。グリムの鱗を排除した方法が効率的で、未来を見ているという言葉を丸ごと信じてしまいそう。たぶん経験とか事前に集めていた情報で判断したのでしょうね。セドリックならできても不思議じゃないわ。
ふとネックレスの形をした護符を触ると、元通りの冷たい宝石に戻っていた。