計画を実行するらしい
私とセドリックが疎遠になるには、やはり王都から離れないといけないわ。そこで、セドリックには私と距離を置きたいと思ってもらうの。私とセドリックは冷却期間に突入して、グリムの問題が片付いた頃に関係を再構築するのよ。
「男性にとって嫌なことといえば、仕事の邪魔をすることよね」
職場に突然やってきて、あれこれ質問してくる婚約者なんてどうかしら。きっと鬱陶しいわ。セドリックは責任感がある人だから、仕事も婚約者の相手も手を抜かないはずよ。疲労させる原因の私に対して、好感度が下がるに違いないわ。
いいことを思いついた私は、厨房へ向かった。
思いついた作戦には、調理長の協力が欠かせない。父親が王都へ移動する時に、領地から料理長を連れてきているの。
私が厨房に入ると、料理長と助手がいた。どちらも男性で、料理長は父親と同世代で助手は私よりも少し年上。ちょうど朝食の片付けが終わった頃みたい。
「お嬢様じゃないですか。何かお探しですか?」
「もう小腹が空いたんですか?」
にこやかに話しかけてきた料理長に対し、助手は無邪気に聞いてきた。すかさず料理長の肘が助手の鳩尾に沈みこむ。悶絶する助手には目もくれず、料理長は気にしないでくださいと言った。
ええ、私も気にせず話を進めるわ。助手が軽口をたたくのは、いつものことだもの。
「突然で悪いけれど、婚約者の職場へ差し入れを持って行こうと思うの。手伝ってくれる?」
貴族女性が言う「手伝って」は「代わりにやって」という意味らしいわ。でも私が言う「手伝って」は、言葉通りの意味よ。
料理長は嫌な顔一つせず、快く引き受けてくれた。私が幼い頃から、お菓子作りを手伝ってくれているの。
手伝うって言っても、彼がほとんどやってくれるんだけどね。例えば私がクッキーを焼くと、真っ黒な塊ができるから。生地をこねて型抜きするのは得意なのに、計量と焼くのは苦手だわ。
「今日は何を作りますか?」
「そうね……」
セドリックの職場へ持って行くなら、日持ちするクッキーが最適でしょうね。アイシングで模様をつけると、華やかさが増すの。
でもね、今の私は領地へ帰ることが目的なのよ。そんな好感度が上がるものを持って行くなんて駄目。あえて日持ちしない、迷惑になりそうなものを選ぶのよ。
料理長と相談して作るものを決めた私は、バスケットに詰めて厨房を出た。
セドリックの職場がどこにあるのかは、父親やフルールから聞いている。行き違いになってもいいわ。セドリックを呼び出すから。嫌われる要素は積極的に試していくわよ。
「フルール。出かけましょう」
私は結界の点検をしていたフルールに声をかけた。外へ出るなら、護衛をしてくれる彼女に同行してもらわないと。
「分かりました。どちらへ行くのですか?」
「セドリックの職場へ行くわ」
「え」
フルールの表情が強張った。
「そ、それは護衛の返品でしょうか。それとも私の行動に問題が……?」
「違うから安心して。セドリックに差し入れを持って行こうと思うの」
「あ……差し入れ。良かった……外出の準備をしてくるのです」
安堵のため息をついたフルールは、自身の部屋へ歩いていった。
セドリックに会いに行くと言っただけで、護衛契約の解消だと思うなんて。彼女のような、親しみやすい護衛を手放すわけないじゃない。まだまだ私の言葉が信用されていないってことね。
再びフルールと合流した私は、セドリックの職場へ向かった。王城の隣に騎士団の詰め所があって、その中に職場があるらしいわ。
詰め所の入り口に立っていた騎士は、私がセドリックの名前を出した途端に顔が引きつっていた。さらに私をことさら丁重に扱い始める始末。客人としてもてなしてくれているというより、空腹の熊に遭遇したかのような緊張感があった。
私の機嫌を損ねたら、セドリックが出てくると思われているのかしら。心外だわ。私の言葉でセドリックが動くわけないじゃない。
セドリックが普段いる執務室へ案内してくれた騎士は、私と目線を合わせようとしなかった。中にいた騎士に私を引き渡すと、逃げるように持ち場へ帰っていった。
この腫れ物扱い、一度目も経験したわ。もちろん嫌われ者として、だけど。今回のような恐怖の対象ではなかったわ。
私を出迎えてくれた騎士は、セドリックは修練場へ行ったと教えてくれた。
「定期的に隊長が指導する日があるんですよ。まだ始まったばかりなので、ここで待つよりも見学されたほうが退屈しないでしょう」
詰め所にいた騎士とは違って、彼は私を普通の令嬢として受け答えしてくれたわ。ある程度、セドリックへの耐性がついているのでしょうね。
連れてきてもらった修練場は、王都にある我が家の屋敷が丸ごと入りそうなほど広かった。遠くには建物を模した障害物や的がある。使用目的と場所が明確に分かれているのね。
修練場にいた騎士は十人ほど。出入り口の近くで、複数人で剣を打ち合っている。隠れてこっそり見学していると、一人だけ実力が突出している人物に気がついた。
ええ、セドリックだったわ。襲いかかってくる騎士を華麗にかわし、足払いをかけたり、隙だらけになった相手の背中に体当たりしている。
ねえ、その右手の木剣は何のために持っているの? 王都で流行っている装飾品かしら。それとも珍しい形の杖?
「そんな隙だらけの剣術で、グリムに対抗できると思っているのか?」
冷たい声でセドリックが言った。聞いているこちらの背筋が伸びるような声音だ。ただ冷酷なだけじゃない。堂々とした態度のセドリックには、無条件で従いたくなるような引力がある。
隊長という役職についているのは、本当だったのね。私と一緒にいるときとは、まるで表情が違うわ。もちろん一周目でも、こんな顔を見たことがない。
セドリックから目が離せなくなっている私に、フルールが控えめに声をかけてきた。
「あの……レティシア様? 差し入れを持って行かないのですか?」
「えっ!? そ、そうなんだけど、でも」
もう少し、今のセドリックを見ていたい。そう思うのは何故かしら。
「レティ? 隠れてないで、出ておいで」
あら。見つかってしまったわ。身を乗り出しすぎてしまったのね。
素直に出てきた私に、セドリックは優しく微笑んだ。
その変化が別人すぎて、地面に転がっている騎士さんが驚いているわよ。二度見したり、自分の頬をつねったり、それぞれの方法でセドリックの変化を受け入れようとしている。
「誰だあれ……」
「しっ! 聞こえるぞ」
気持ちは分かるわ。私だって前知識がなければ、同一人物だって思わないから。
「ごめんね。こいつらの訓練を始めたばかりなんだ。ちょっと待っててくれる?」
「ええと……」
頑張れ私。ここでセドリックの言いなりになっていたら、計画が台無しになるわ。
「セドリック」
私は精一杯の笑顔を浮かべて、名前を呼んだ。
人前でセドリックを呼び捨てにするのは初めてよ。もちろんマナー違反。礼儀作法の先生がこの場にいたら、きっと別室へ連れて行かれて説教が始まるわ。
「どうしてもセドリックの顔が見たくなって……」
待てと言われたけれど、遠慮なくセドリックに近づいた。
私ね、ちゃんと小説で学んでいるのよ。急に押しかけてくる恋人は迷惑だって。しかも、どうでもいいような理由で訪問するなんて最低の行いよ。
「差し入れを持ってきたの。受け取ってくれると嬉しいな」
私はバスケットの蓋を開け、中身をセドリックに見せた。
中身は定番のお菓子じゃなくて、バゲットに薄切りにした肉を挟んだ、労働者向けの料理よ。多めに作ってきたけれど、一人一つぐらいは行き渡りそうね。
さあ、私を少しだけ嫌いになって。そして王都を離れることに同意して。
のちの展開を期待している私に対し、セドリックは左手で顔を覆った。
「……レティ」
「駄目だった?」
帰ってくれ、と言われたら成功よ。
顔を上げたセドリックは、とろけるように優しい笑みを浮かべた。
「レティ。そんなに俺のことを……分かった、急いで片付けるから、待っててね」
片付ける?
ねえ、セドリック。背後の騎士さん達、絶望的な顔をしているわよ。どんな訓練をしたら、ドラゴンの群れに遭遇したような表情になるの?
「何をしている、お前達。すぐに立て。もう一戦やるぞ。俺に剣を使わせたら、レティの差し入れを分けてやる」
セドリックがバスケットの中身を見せると、騎士達の目つきが変わった。飢えた獣と表現するのが近いかしら。今すぐにでも戦いが始まりそうな気配がするわ。
あの、ちょっと理解できない。もしかして、クッキーみたいな定番の差し入れは騎士には不評で、本当は肉が食べたかったの?
「フルール。レティを安全なところに」
「了解なのです」
フルールは私を修練場の壁際まで誘導し、結界を展開させた。
「ねえ、フルール。私、何だか色々と間違えた気がするわ」
「いいえ。何一つ間違えていないのです。セドリック様の好感度を上げる作戦ですよね? 大成功なのです」
私にとっては大失敗よ。
セドリックと騎士の乱闘と見物しながら、私はどこが悪かったのかと一人で反省会をしていたわ。
ああ、私が差し入れた料理を食べられる権利を得たのは、セドリックの他に二人の騎士だったわ。仲間からの怨嗟がこもった視線を浴びながら、美味しそうに食べてくれた。
あんなに美味しそうに食べてくれるなら、もっと作れば良かったわ。
一つ目の作戦は失敗したけれど、まだもう一つの作戦がある。
「ねえ、セドリック。良かったら、あなたの職場を見てみたいわ」
セドリックが隊長なら、部外者に知られたくない機密情報だって持っているはずよ。答えにくい質問をして困らせてやるわ。
ところがセドリックは、爽やかな笑みで即答した。
「いいよ。レティが俺に興味を持ってくれるなんて、嬉しいな」
思っていた反応と違う。
「まずここは王都にいる騎士達が訓練に使うところで――」
戸惑う私を置いてけぼりにして、セドリックが嬉々として説明してくれる。執務室へ移動してからも変わらなかった。机の引き出しが気になるわと言えば、鍵付きのところですら開けて見せてくれる。私に対して隠し事はないと言わんばかりに。
にこやかに私を案内するセドリックは、他の騎士達には衝撃的だったみたい。すれ違う私達を二度見して、引き攣った笑顔で挨拶してくれたわ。
一つ理解できないのは、私を救世主かのように拝み始めたことかしら。
「セーヴルの女神だ……」
「あれがセーヴルの……」
私の記憶が正しければ、セーヴルって地獄の番犬よ。その番犬を唯一、従えることができる存在を、この国ではセーヴルの女神って呼んでるわ。
私の評判が予想していない方向へ転がっていく。一周目とは違う恐怖があるわね。
「セドリック。名残惜しいけれど、そろそろ帰るわね」
「もう帰るの? レティなら長居してもいいのに」
「そんな、悪いわ」
むしろ理解できない理由で崇められるのが怖いわ。
「また今度、ゆっくり会いたいわ」
「レティ……」
名残惜しそうなセドリックと、再び絶望的な表情になった彼の部下達に見送られ、私は屋敷に戻ってきた。
「お帰りなさいませ、お嬢様。いかがでした?」
バスケットを返しに厨房へ行くと、料理長が出迎えてくれた。
「好評だったわ。たぶん、お菓子だとあそこまで喜んでくれなかったと思うの」
「そうでしょうね。昔から騎士への差し入れは肉料理がいいと決まってますから」
知ってたのね。
「さすがお嬢様は婚約者のことをよく理解しておられる。差し入れを持って行くと聞いて、助言が必要かと思いましたが必要ありませんでしたね」
いいえ、必要だったわ。その情報を知っていたら、肉料理なんて持って行かなかったもの。
私は本音を言えないまま、料理長に空のバスケットを返した。