悪役令嬢だったらしい
救出劇って、もっと心がときめくものだと思っていたわ。私が知っているのは、女性の危機に颯爽と現れた騎士が敵を倒すような、ありきたりな物語しかないけれど。
まさか自分が同じ状況に放り込まれるなんてね。現実は血生臭くて、ときめきよりも恐怖で体が震えると知っていたら、憧れを抱くこともなかったわ。
「大丈夫? レティは馬車の近くにいてね。すぐに終わらせるから」
そう言って私へ微笑んだのは私の婚約者、セドリック・ド・サン・ベルレアン。相変わらず完璧な気遣いとセリフね。返り血が盛大についた彼の服と剣が視界に入ってこなければ、夢見心地で頷いていたところよ。
「……これ、夢だったら良かったのに」
残念ながら現実だったわ。つねった頬が痛い。
まず私は、馬車で王都へ向かって移動している最中に、自分が死に戻っていると気が付いた。
子供の頃から違和感はあったのよ。何かを忘れているような、どこか見覚えがあるような、そんな感覚。でも気のせいだろうと特に気にしていなかった。見覚えがあって当然よね。だって時間が巻き戻って、同じことを繰り返しているんだから。
思い出したきっかけは、たぶん大きく揺れた馬車に頭をぶつけた衝撃。頭の中にかかっていた霧が晴れて、一周目の人生が高速で流れてきた。
その直後よ。魔獣の群れに襲われたのは。
馬車の外では、すでに護衛たちと狼魔獣達との戦闘が始まっていた。悲惨に終わった人生を思い出して嘆く暇もない。
ちょっと進行が早すぎない?
こっちは一周目の人生を思い出したばかりで、まだ今の自分との比較が終わってないんだけど。
恐る恐る鏡をのぞいて「過去に戻ってる!?」とか、メイドに今日の日付けを確認する作業とか全部すっ飛ばして、いきなり生命の危機だなんて展開が早すぎる。
ともかく、私はまだ死にたくない。魔術なら多少の心得はあった。
馬車に同乗していた母親とメイドの制止を振り切って、私は護衛の加勢をすべく馬車の外へ出た。何もしないまま魔獣に喰われて死ぬより、抵抗して怪我をするほうがいい、なんて素人考えで浅はかだったわ。まさか戦闘中でもお構いなしに、一周目の記憶が浮かんでくるなんて。
私は昔のことを思い出しながら魔獣を倒せるほど器用じゃない。呪文の詠唱が中途半端になって、情けない火力の魔術しか出てこなかった。
でもね、ロウソクの火ほどしかない火球といえど、狼魔獣の注意を引きつけるには十分だったわ。
当然よね。鼻先に当たったんだから。いきなりビンタを喰らわされたら、私だって腹が立つわ。
攻撃が当たってイラついた狼魔獣は、標的を私へ変えた。間の悪いことに、私と護衛の距離は離れていて間に合いそうにない。いくら魔術が使えるからって、素人が護衛と同じように戦えるわけがないのよ。そんな単純なことを忘れるほど、私は混乱していたらしい。
二周目の人生はこれで終わりかと覚悟を決めたとき、絶好のタイミングでセドリックが数人の騎士を率いて助けに来てくれた。
まあ、トラウマになりそうな光景のおまけもついてきたけれど。
セドリックが離れてすぐ、私の近くに魔獣の頭部が降ってきた。額に角がある狼だ。斬られたばかりの首からは、まだ鮮血が流れていた。
一拍遅れて、セドリックが倒した魔獣のものだと気がついた。この魔獣の首は私の胴体よりも太いのに、剣だけで斬り落とす人間がいるとは思わなかったわ。私は魔獣の虚ろな目から視線を逸らした。
私に生首を見せつけてくれたセドリックは、死んだ魔獣には目もくれず、別の狼型魔獣へ走り寄った。また剣で倒すのだろうと予想した私を裏切るように、左手をかざす。魔獣は動きを止め、体の内側から爆散した。
待って。何なの、その魔術。あまりの凶悪さに、周りにいた護衛達も引いてるわよ。
私の荒れ狂う心情なんて知らないセドリックは、手際よく魔獣を屠っていく。
剣が翻る度に撒き散らされる血飛沫と、赤黒く染まった地面を見ないでいるためには、自分の目を閉じるしかない。でも目を閉じると、魔獣が斬られる音が鮮明に聞こえてくる。
全ての脅威が去ったあと、セドリックは真っ先に私がいるところへ戻ってきてくれた。心配そうな顔で私の名前を呼んだセドリックは、一分の隙もなく格好良かったわ。彼がいる空間が輝いているように見え、私は不覚にも胸が高鳴ったぐらい。
ええ、血まみれの姿じゃなければね。私も幸せな夢を見ていられたのよ。
セドリックは一目で人の心を惹きつけてしまう外見をしている。少し癖のある銀髪と紫色の瞳、優しい顔立ちかつ高身長という、俳優になってもおかしくない要素を持っているから。
それもこれも、戦いとは無縁のところでの評価よ。彼に憧れている女性がこの光景を見たら、きっと青ざめた顔で目を逸らすでしょうね。
「レティ。大丈夫?」
セドリックは心配そうに、座り込む私へ手を差し伸べた。その手には、ところどころ赤黒い点が散っている。錆びた金属に似た臭いを感じた気がして、その手を掴むことをためらってしまった。
「あの、セドリック……?」
「うん?」
小首を傾げて続きを待つセドリックは、外見の格好良さと可愛らしい仕草が絶妙に混ざり合って素敵だった。
しつこいようだけど、彼の服や剣を赤黒く染める血に目を向けなければの話よ。
「怪我、したの?」
特にひどい胸元を指さして尋ねると、セドリックはようやく自分の服を見下ろした。
「大丈夫。これ全部、返り血だから」
言うと思ったわ。爽やかな笑顔との差に頭痛がしてくる。
セドリックは恥ずかしそうにうつむいた。
「ちょっと魔術の加減を間違えて、魔獣を爆発させたのが失敗だったかな?」
まるで好きな人の名前を告白したような初々しい顔で、肝が震え上がるようなことを言わないでほしい。魔獣を爆発四散させるような魔術なんて、私は知らない。聞いたこともない。
ふと周囲を見れば、護衛や騎士たちはセドリックがいる方向をあまり見ないように戦闘後の後始末をしている。みな青ざめた顔で、集めた魔獣の死骸を焼き払っていた。
気持ちは分かるわ。
いきなり現れたかと思えば、光が消えた瞳で魔獣を屠る人には、なるべく関わりたくない。うっかり余計なことを言って怒らせてしまったら、魔獣と一緒に爆破されそうだもの。
「もう大丈夫だよ。一緒に王都まで行こう」
ね、と優しい声がする。
私は。
メルシェローズ伯爵家の令嬢、レティシア。
目の前にいるセドリックの婚約者。けれどその婚約が結婚まで進むことはなく、悪魔の封印を解く道具にされて、セドリックに殺された。
私が知っているセドリックは、婚約者の義務だから私と付き合っている態度だった。こんな、心から心配して助けに来るような関係じゃない。
そもそも、彼は私の危機をどうやって知ったのだろうか。
一度に一周目の記憶が蘇った衝撃と、脅威から助かった安堵から、目の前が暗くなっていく。
私はここで気を失ったらしい。
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