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小説

五味さんの背中を追って住宅街を歩く。


道のりは月曜日と同じだ。


一度見た景色だからか以前ほど恐怖は感じなかったが、これからあの道路を渡るのだと考えると心臓の打つ速度が早くなった。


五味さんの頼みを受けたことに後悔はしていなかったがまだ決心はついていない。


お母さんや先生の激怒する様子が頭に浮かぶ。

 

相変わらず私たちは特に会話を交わさずに歩いた。

歩く二人の距離感も静けさも町並み変わりはなかったが一つだけ違うことがある。


静寂がそれほど苦痛ではないことだ。

一切の会話がなくても不思議と平気でいられた。


何か話さなければ、という使命感もない。


「私が言うのもおかしい話だけど本当にいいの?」

 

学区外に出る広い道路の前に立って五味さんが言う。


「うん。大丈夫」

 

すぐにそう返事をすることはできなかったが今更撤回する気はなかった。


「ありがとね。菊莉」

 

五味さんはそう言うと、ふっと背中を向けて道路に足を踏み入れた。

 

周囲を見回しながら横断歩道を渡る。


誰かに見られてはいないようだ。

信号が点滅を始めて私たちは小走りで歩を進めた。


「ここをずっと真っ直ぐ行ったところにあるの」

 

横断歩道を渡りきると、五味さんが正面の狭い道を指差して言った。


車は一台しか通れないだろう。

犬の散歩をする女性がこちらへと向かってきていた。

 

この先にはいったい何があるのだろう。


五味さんがどうしても会いたいのはいったいどんな人物なのだろうか。

ルールを破ってしまって感じていた大きな緊張の中には感じたことのない興奮も混じっていた。

 

大きく息を吸い、腹を括って足を踏み出す。


もう引き返すことはできない。


もし地域の人や先生に見つかってしまったら怒られる。

しかし五味さんと一緒に説教される姿を想像すると少しだけ恐怖心が和らいだ。


「……学校、つまらないよね」

 

五味さんがポツリと呟いた。


「ね、つまんない。誰とも話せないし何も楽しくない」

 

ぎこちなさを感じつつ、私は絞り出すように返答した。


クラスメイトとタメ口で話すのは初めてだった。


五味さんの隣に駆け寄り、ゆっくりと顔を覗き込む。

彼女は少し驚いた顔を見せたが、すぐに笑みを浮かべて「やっぱり?」と言った。


「別にクラスの子たちが嫌いなわけじゃないけどね。でもみんな私が苦手みたいだからさ。菊莉も私のこと嫌いでしょ?」


「嫌いじゃないけど……ちょっと苦手だったかも」

 

私がそう正直に答えると、


「そうだよね。わかってた」

 

五味さんは表情を緩めてそう言った。


「でも今は苦手じゃないよ」

 

むしろ今は私だけが五味さんのいいところを知っていることに優越感を覚えている。


「怖くないし、それにいいところだって知ってるから」


「いいところって……」

 

ぷいと顔を背けて五味さんが呟く。


「真っ直ぐだしはっきりしてるし、それに思ったより優しい」


「思ったよりは余計でしょ」

 

五味さんが口元に手を当てて笑う。そんな笑顔を見て私も嬉しくなった。

 

こんな気持ちは初めてだった。ルールを破っているはずなのに、罪悪感はあまりない。


「着いたよ」

 

高い塀に囲まれた一軒の大きな家を見上げて五味さんが言った。

 

私の目線よりもずっと高い位置にインターフォンが取り付けられており、その隣には『大堀』と書かれた表札があった。

門の先には低い屋根があり、右側には庭へと続く道がある。庭の隣のガレージには一台の車が停められていた。


「ここ?」


「うん」


「それで私は何をすればいいの?」


「あれ、押して欲しいの」

 

五味さんがインターフォンに指先を向ける。

 

インターフォンと五味さんの間で視線を行き来させ、私は初めてどうして自分が頼りにされていたのかを悟った。


「わかった」

 

私は踵を浮かせて手を伸ばし、インターフォンを押した。

 

ベルの音が鳴り、少し経つと玄関の扉が開いた。


「あら。葛乃ちゃんじゃない。どうしたのこんなところまで来て」

 

驚いた顔でそう言ったのは着物を身に纏った白髪の老婆だった。


右腕を背中に回し、杖をついてゆっくりとこちらへと向かっている。


目の形や輪郭がどことなく五味さんに似ていた。きっと五味さんのお婆ちゃんだろう。


「借りた本、返しにきたの」

 

五味さんはランドセルを肩から下ろすと中から一冊の本を取り出した。


「……それって」

 

五味さんからお婆ちゃんへと手渡された分厚い本。


その表紙や題名を私は見たことがあった。

四百ページほどある作品で、数日前にちょうど私が読み終わった小説だ。


ラストはヒロインが病気に蝕まれつつも、主人公に出会えたことに感謝をしてこの世を去っていく。


ヒロインが死に際に残した「短いけど、きっと誰よりも幸せな人生だったよ」というセリフが印象に残っていた。


「わざわざそれを?」

 

そんなお婆ちゃんの質問を聞き、五味さんが首を横に振る。


「あと約束を守りに来た」


「約束?」

 

お婆ちゃんが首を傾げる。


「そう。お爺ちゃんとの約束。本が好きな友だちができたら遊びに来るって話をしたんだ」

 

五味さんが少し不安げな顔でこちらを見る。私は咄嗟に頷き、お婆ちゃんに向けて微笑んでみせた。


「……そうかい」

 

コクコクと首を縦に振ってお婆ちゃんが家の扉を大きく開いた。


「二人とも入っておいで。お爺ちゃんなら今はあんまり辛くないみたいで二階のベッドで本読んでいるよ」


「うん」

 

五味さんが勢いよく返事をして門を開く。

 

手招きするお婆ちゃんに会釈をして、私たちは家に足を踏み入れた。

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