草原を行く(4)
ウォルナットの眼下には、さきほどみたマンモスのさらに倍くらいありそうな大きな動物が、のっしのっしと歩く姿が見えました。大きな耳を羽ばたかせ、長い鼻を左右にぶらぶらさせています。なにより、その息づかいの荒いこと・・・
「ありゃ、かなり気が立っているみたいだね」鳥が言いました。「ちょっかいを出さないほうが得策だと思うがね」
「でも、なんであんなに怒っているのかな」ウォルナットは、頭を傾げました。そして、マンモスの声に耳を傾けました。
「五月蠅い!五月蠅い!」でかいかつは、ただそれだけを叫んでいました。「うっせんだよー」
「なんだ?何が五月蠅いのかな」ウォルナットの耳に入る音と言えば、風の音だけで、気持ち良さはあっても、不快になるようなものではありませんでした。
「あいつ、すごく耳がでかいからな、あれだけデカイと、ちょっとした物音でも大きく聞こえるのじゃないか?」鳥が、言いました。鳥も風の中に不快な音を聞き取る事はできませんでした。
「いや、それにしてもおかしいなぁ。ちょっとあいつの上にでも降ろしてくれないか?」ウォルナットは、前かがみになって、鳥の頭の傍で話しかけました。
「大丈夫か?」鳥は、でかいやつの周りを旋回しつつ、その獣の挙動に不安を覚えました。「暴れると、降り落とされて、踏みつけられるぞ」
「なあに、身軽さが身上のノーム一族の俺様だ。なんとかなるだろ。」とウォルナットは、気軽に声をあげましたが、やはり少し怖いのか「でも側で様子をみてくれないか?」と付け加えました。
「お気軽に言ってくれるねぇ、あんな血走った目をしたやつの側には寄りたくもないけど」そう言いつつも鳥は、静かに獣に近づくと、毛むくじゃらの背中に降り立ちました。
ウォルナットはすかさず鳥から降り、鳥はすぐさま離れて行きました。彼は密集した毛を片手で掴み、もう片方の手で鳥に手を振ると。長く丈夫な毛をロープとして使いながら、でかいやつの頭の方に少しづつ向かいました。
揺れが酷いので、何度も背中から放り出されそうになりましたが、普段の生活で穴掘りをしているせいか、握力と腕力はありましたので、毛を掴むと放すことはありませんでした。
そうして、耳の側までやってくると、妙な声が聞こえました。
「いそげ、いそげ!」と耳障りのする小さい声が、いくつも響いてきます。
「なんだ、この声?」と、ふわふわ動く耳にも生えている毛を掴みながら、耳の穴を目指しました。すると、耳障りな声はじょじょに大きくなってきました。
ウォルナットは、減ってくる耳の周りの毛を一本一本選んではしっかり掴んで、耳の穴に向かいました。そして一本の毛を片手で握った時に、マンモスは、それに不快感を覚えたようで、いきなり頭をぶるんぶるんと回しました。ウォルナットは、かろうじてその一本だけは掴んでいましたが、あたまが振り回されている間は、今にも振り飛ばされそうな状態でした。
ようやく、それが静まるとしっかり毛を掴んで、また耳の穴を目指しました。ようやく耳の穴の入り口に到着しても、そこには、耳垢を食べようと狙っているものや、薄い耳の皮膚から血を吸おうと待ち構えている、沢山の虫がたかっていました、普通の人にとっては、小さい虫なのですけど、ノームにとっては、ともすれば危険な相手です。その一匹一匹を、片手で毛の先端を掴みつつ、もう一方の手で殴って追い払いました、
耳の穴の中に入ると、外の音もよく聞こえましたが、耳障りな声はさらによく聞こえました。耳の穴には、虫の死骸が転がっていました。しかも、どうやら何かに食われたようで、外骨格が叩き壊され中身が空っぽになっていました。そして、その近くで大ムカデの牙から作ったと思われる、小さなナイフを見つけた時は、どきりとしました。
そして、いよいよ声が大きくなっている場所にたどり着くと、そこには赤い目をした、ノームそっくりの者達が、ネズミの皮の服を着て、奇妙な踊りを踊っていました、
真ん中には、ネズミの骨で作ったバチで、やはりネズミの皮で作った太鼓を叩いているもの。その周りを囲んでいるものたちは、歌とも、雄叫びとも言えぬ声を出して、「いそげや、いそげ、仲間を連れて、王の下に連れてこい」と歌っていたのです。
「ありゃ、ノームゴブリンじゃないか」ウォルナットは、思わず唾を飲み込みました。「危ない、危ない・・・」そっと彼は、小さい後ろ向きに一歩後退しました。その時、食べ残しの虫の死骸を踏みつけ、それが思ったより大きな音を立てました。
その瞬間、音も歌も止み、赤い目が一声にウォルナットを振り返りました。
「獲物だぁ!」と太鼓を打っていたノームゴブリンが、バチで彼を指しました。すると、その他のゴブリンは一声に彼めがけて走って来ました。
「ひえぇぇぇ」ウォルナットは、悲鳴をあげて逃げ出しました。その声に不快を感じた、でかいやつは、頭を振りながら暴走を始めました。
耳の中は、上下に跳ねまくる中で、お互いにうまく走れず、ウォルナットが奥に跳ね飛ばされて、万事休すと思っても、おなじくノームゴブリンも奥の方に飛ばされたり、ノームゴブリンが、ウォルナットに追いつきそうになって、鋭い爪が生えた手を伸ばした所で、ウォルナットが出口の方に飛ばされて、間一髪で捕まえられるのを逃れたり、もうすぐ出口というところで、また奥に飛ばされたり、ウォルナットはなかなか耳から出る事ができず、ノームゴブリンもノームを捕まえることができませんでした。
しかし、でかいやつも落ち着きを取り戻してくると、ウォルナットは一気に明かりの見える方に全速で走り、そして後先考えずに、穴から宙に飛び出しました。ノームゴブリン達は、日射しが苦手だったので、彼に罵詈雑言を浴びせながら、耳の穴の入り口付近で騒ぎ続けていました。
ウォルナットは、身が軽いと言っても、マンモスの耳からは高さがあります。そのまま地面にたたきつけられれば大怪我どころでは済みません。地面に向かって落ちながら、彼は指笛を吹きました。しかし、鳥は来ません。何度も吹きましたが、鳥は来ません。
万事休すと思ったとき、どぼん!!と水の中に落ちてしまいました。ノームも穴の中の生活をしているため、ドワーフ同様に泳ぎは得意ではありません。しかし彼の体を、カーディナルがすくっていました。そのカーディナルの前に、まさにマンモスの王様とでも言いたくなるような、生き物がぱぉぉぉんと雄叫びを上げていました。
そして、ドワーフ達は裸のまま剣を構えて、でかいやつを取り囲んでいました。
「ぱぉぉぉん」マンモスは大きな雄叫びをあげました。すると、泉の周りから、それに呼応するように、同じ雄叫びが帰ってきました。
地面が揺れました。水がじゃばじゃばと音を立て、木立が大きくゆさぶられ、ざわめきたちました。そして、たちどころに、ドワーフ達の周りには、マンモスの群れが取り囲みました。一番でかいやつが、大声をあげると、群れの中でも大きいものが、のそりと前にでました。それでも、大きさに差がありすぎます。
「おい、これどうなるんだ?」とビスタがバーントに小声で訊きました、
「知るかよ、でかいやつに訊いてくれ」バーントは、思わず毒気付くように言いました。
すると、突然はぐれマンモスが、頭をぐるぐると気が狂ったように回し始めました。
そして、雄叫びを上げると、群れの主に向かって体当たりをしました。体格から勝ち目がないと思ったのでしょう、そのまま群れの主は、尻を見せて去って行きました。
残った群れのメンバーは、体格の大きなでかいやつの周りに身を寄せ始めました。
ウォルナットは、カーディナルの両手の上で指笛を吹くと、鳥を呼び寄せました。
「ごめん、落ちてゆくのが分かったけど、怖くて寄れなかったんだ」鳥は、カーディナルの頭の上で謝りました。
「いや、いいよ。結果無事だったし、それよりお願いがあるのだけど・・・」と鳥に耳打ちをすると、「ちょっと再挑戦」と言って鳥にまたがって、空に舞い上がりました。そしてどこかへと飛んで行ってしまいました。
でかいやつの王は、時々不快そうに頭を左右に振りつつも、踵を返して泉から去ろうとしました。その後ろを群れの一行が続きました。
地響きの中、またしてもドワーフの間をマンモスが、のっそりと去ってゆきます。しかし、ウォルナットを乗せた鳥がそこに戻ってきました。いまや新たな群れの主となったはぐれマンモスの頭の周りを何度も何度も飛び回りました。ウォルナットは、今度は鳥と呼吸を合わせながら、直接耳の穴に飛び込みました。
耳の穴の中からは、やはり耳障りな歌が聞こえます。ウォルナットは、そっと足音を消すように忍び寄ると、蜜がたっぷりしみこんだ蜂の巣のかけらをそこに置いて逃げました。
すると、彼が耳の穴から出るのと入れ違いに、スズメバチが耳の穴の入り口の周りに集まってきつつありました。
「ひゃ!」とウォルナットは、声を上げると、蜂を見ないように宙に身を投げました。すると、今度は、一羽の鳥が、宙で彼を爪に引っかけで、一度大空に向かってから、ゆっくりと地面に降ろしました。
はぐれマンモスは、大きな叫び声をあげました。まさに、耳の周りにいた大きな蜂が、耳の穴から香蜜の匂いにおびき寄せられて集まったのです。それが、今まさに一匹づつ入って行ったのです。
ノームゴブリン達は、耳の中で蜂達の急襲を受けて、パニック状態に陥っていました。武器があっても、そんなものは、スズメバチの鎧の様な体を突き通す事はできません、それどころか、スズメバチの口はあっさりと、ノームゴブリンの体を引き裂いてしまいますし、実際スズメバチはノームゴブリンをかみ殺すと、それを丁寧に丸めて肉団子にして、巣に持って帰ってしまいます。それに、強靱なスズメバチの毒針は、これまた一刺しでノームゴブリンを絶命させてしまいます。
その戦いの間、でかいやつの王は、頭をぶるぶると震わせ、耳を激しく動かして、大きな叫び声をあげて暴れていました。五月蠅くてたまらないのです。
やがて、でかいやつの耳の中は、静かになり、スズメバチも狩りを満喫できたのか、ノームゴブリンを噛み潰して作った沢山の肉団子を抱えて、空高く去ってゆきました。
はぐれマンモスは、ふうとため息を付きました。それから周りにあつまった小柄な仲間を順番に眺めました。そして、何度か声を上げると、はぐれマンモスに追従してきたマンモス達が、背を向けて去って行きました。
「何を言ったのかな」カーディナルは、地面からウォルナットを拾い上げて訊きました。
「どうやら、あのでかいやつは、仲間に警告するために、あちこちを回っているようだよ。だから、これからも、独りで草原の中を回るそうだ。」
「警告?」
「どうやらゴブリンの王が、このでかいやつを集めようと捕獲しているらしいって」
すると、はぐれマンモスが、どすんどすんと、カーディナルに近づきました。そして、長い鼻を振り回しながら、何かを言いました。ウォルナットも指笛を吹きながらそれに答えているようでした。しばらく、それが続いたのち、ウォルナットは、やっほうと喜びの声をあげました。
「どうしたの?」と訊くと。
「毛長のグレイ・・・こいつの名だけどね、茨街道まで案内してくれるってさ」ウォルナットは、満面笑みをたたえました。
それを、バーントに伝えると、ドワーフ達は、濡れた服は馬車の中で吊して、ほとんど裸のまま、馬車に乗り込みました。
「でかいやつの護衛付きなら安心だぁ」ビスタも裸のまま喜びの声をあげました。
そうして、先頭にはぐれマンモス毛長のグレイが立ち、その後をドワーフ達の馬車、その周りを小柄なマンモスの群れが足り囲むようにして、彼らは進みました。
夜に入ると、マンモスたちも疲れから休みに入りました。ドワーフ達の野営地を囲む様にマンモス達は、体を休めていました。体は大きくても神経室な彼らは、危険に対してはとても敏感なのでした。
ドワーフ達は、沢山の糞を燃やし料理をして服を乾かしました。その明かりに誘われるように、実はゴブリン達も遠巻きに彼らを見つけそして見張っていましたが、大きなマンモスを相手にする度胸はなく、地団駄を踏みながらも他のゴブリンに連絡を付けていました。
翌朝には、ゴブリン達は散り散りになって、木の洞や他の動物が空けた地面の穴に潜りこみ、ひたすら陽を避けました。
ドワーフ達は、再びマンモス達との旅を続けましたが、その昼には、道が綺麗に作られた茨街道に出る事ができました。
毛長のグレイは、群れと別れ、再び単独で草原の中に去って行きました。群れは以前の主と伴に、やはり草原に帰ってゆきました。