草原を行く(1)
ドワーフ達の撤収は早く、瞬く間に荷物は馬車に積み込まれ、空いた場所にドワーフ達が、乗り込みました。荷は荷で詰め込む馬車があるのですが、彼らは故郷を急いで出立しなければならず、荷物とドワーフが一緒に詰め込むしかなかったのです。
カーディナルはバーントが乗っている馬車に一緒に乗り込みました。荷はきちんとまとめられ、その荷の上にドワーフは座っていました。もっとも全ての馬車に、荷物が丁寧に積み込まれているわけでもなく、中には暴れる荷を抑えながら乗っているドワーフも居たのです。
「まずは草原を抜けるぞ」バーントは、御者に命令しました。すると、馬は一斉に草原をかけ始めました。
ひずめは、草を跳ね上げ、馬車はガタガタと音を立てながら徐々に速度を上げてゆきました。
馬車は幌で覆われていますので、カーディナルが見ることができるのは、むっつりとしたままの、ドワーフ達の顔ばかりで、しかも馬車がガタガタと五月蠅く走るものですから、話しをするにも聞き取ることが難しい状況でした。
バーントは、一番御者に声が届くところに座っていました。
「ケツは痛くないか?」隣に座っていたビスタが耳元で訊きました。
「うん大丈夫、でも凄く跳ねる馬車ですね」カーディナルは、言ったもののさっきから突き上げるような振動のため、おしりがすりきれそうでした。
「どこまでも草原は、それでも良いほうさ」カーディナルの前に座っていた、金色の髭をしたドワーフが笑いながら言いました。「おれは、マルーンよろしくな若いの」そして手をぱんぱんと叩き始めました
洞窟の岩の上に座ってトンテンカン
(カーンカーン)
鉱脈を探してあっちに座りこっちにすわり
金は何処だと山に訊けば
まだまだそのケツじゃあ見つけられない
鉱石の上に座ってトンテンカン
(カーンカーン)
砕かないとトロッコに沢山乗らぬ
これくらいでいいかと親方に訊けば
まだまだそのケツじゃあ積められない
薪の上に座ってトンテンカン
(カーンカーン)
こっちで薪割り、あっちで火にくべ
火力はこれで大丈夫かと訊けば
まだまだそのケツじゃあ火が足りぬ
金床に座ってトンテンカン
(カーンカーン)
溶けた石を穴からのぞいて汗だらけ
そろそろ出す頃合いかと訊けば
まだまだそのケツじゃあ溶けきらぬ
鉄を叩いてトンテンカン
(カーンカーン)
金槌で叩いて腕が痛い
そろそろ鍛えられた頃かと聞けば
まだまだそのケツじゃあ弱すぎる
陽気な歌声に、カーディナルは、一緒になって手を叩いて相の手を一緒にあげました。草原はどこまでも続き来ます、しかし道も轍もないので、時々御者は馬を休めては立ち上がって、掌をおでこに乗せて遠くに目をこらしました。前方には、高い水晶山がありますのでそれを目指せば良いのですが、どこまでも草原の終わりのどこかにある、茨街道に出なくてはなりません。
「迷ったか?」バーントは、馬を休ませている時間が長く感じたのか、御者に訊きました。
「やまだての感じでは、今のところ大丈夫と思うのですけどね、なんたって、私がこっちに来るのはえらく久しぶりなんでね」御者のヘンナが、頭を左右に振りながら答えました。
「俺が見てやろうか」とカーディナルの肩の上で、ウォルナットが言いました。
「ちびのお前がわかるわけないだろ」ヘンナが、むっとして言い返しました。
「何言ってんだい、でかいの、ちびだからこそ出来る事もあるのさ」とウォルナットは肩の上から袖伝いにカーディナルの掌まで降りてきました、
「おい、カーディナル。俺を御者の頭の上に乗せてくれないかい?」ウォルナットは、高い声で言いました。
カーディナルは、さてノームの言う事を聞くべきかどうか、バーントとヘンナとウォルナットの表情を伺いました。すると、バーントが頷いてみせました。ヘンナは嫌な顔をバーントに向けました。こんな小さい者には、とても務まらないと思ったのです。
カーディナルは、掌の上のノームをそっと御者が被っている、てっぺんが平らになっている帽子の上に乗せました。
すると、ウォルナットは、そこであたりを見回すと、小さい指を口に入れて、甲高い指笛を鳴らしました。すると、どこからとなく1羽の茶色い鳥がやってきて、馬の尻に留まりました。
鳥は、美しい声で鳴きました。それに応じるように、ウォルナットも、指笛で美しい音色を奏でました。それは、会話の様に何度も行き来しました、
御者のヘンナも、その声に思わずうっとりとして聞き入っていました。
やがて茶色の鳥は、ぱっと飛び上がると、空の中で楕円の軌道で周り始めました。
「あの鳥の後を追うといいよ」ウォルナットは、帽子の上でその鳥を指しました。
「ありがとうよ」ヘンナは、礼をいうと。帽子を両手で掴んで、頭からそっとおろして、カーディナルの前に差し出しました。「ずっと乗っていると、大事な友人が落ちてしまう」
カーディナルが掌を差し出すと、ウォルナットはぴょんとその上に飛び移りました。
「さて、行くぞ」ヘンナは、帽子を被り馬を急かしました。
鳥は、宙でぐるぐる回っては、また先に進むという飛行を繰り返し、馬車の列はそれを追って草原を進みました。
しかし、鳥の飛ぶ速さに比べれば、馬車の進む速度のなんて遅いこと、鳥はなかなか追いつかない馬車にいただちを覚え、上空から急降下をして降りてくると、御者の帽子に止まり、大きな声で何度もさえずると、ずっと先の方に飛んで行ってしまいました。
「おいおい、どうしたんだ。」御者は、あっという間に見えなくなってしまった鳥の姿を探しましたが、もうどこにも見当たりません。
「余りにも遅いから、案内を辞めたって」ウォルナットが、カーディナルの肩の上で、説明しました。
「なんてこった。まだ案内を始めたばかりのようなものなのに」ヘンナは、ため息をつきました。前方には、大きな水晶山が見えますので、それを目指せば良いのですが、途中の村などを経由するには、たった一本しかない茨街道を見つけなければいけないのです
「大丈夫」とウォルナットは、言いました。「その都度、鳥たちに訊けばいいさ」
「このおおきな草原のどこに鳥がいるってんだい」とヘンナが草原を見渡しながら言いました。確かに飛んでいる鳥は居ません。
「こうするのさ」とウォルナットは、指笛を吹きました。すると、草原の中から何羽もの鳥たちが飛び立ちました。
「ほら、沢山居るだろ。迷ったら皆に訊けばいいのさ」
「なるほどねぇ」ヘンナは、ちいさくとも、胸をはっているノームを振り返って言いました。「では、仰せの通りにしますか」
と、先ほどに案内していた鳥が去って行った方向に馬車を向けました。
やがて、再び日が暮れてきました。
「野営の準備だ」バーントは、日が沈み切らないうちに号令を掛けました。「早めに火の準備をして、暮れる前には火を消すぞ。
「今日は、急ぎますね」ヘンナが、馬を落ち着かせながら言いました。
「昨晩、ゴブリンを何匹かやっつけたからな」ビスタが代わりに答えました。「今宵あたり、こっちに近づくかもしれねぇ」
「なんてこった」ヘンナは、馬を撫でながら言いました。「これほど急いでも、あいつらは追いついてくるのか」
「斥候のやつらは、やたら脚が早いし、鼻も利くからな」ビスタは、そういうと荷馬車の後ろに回り込み、中で作業をしている仲間から荷物を渡されました。
そして、荷を担いで仲間達が均した地面に降ろし、また馬車に戻って荷を受け取りにゆきました。
まだ、明るい内に彼らは食事を済ませると、たき火を周りの土を蹴って消しました。その上に、茶色い壺から土のようなものをを振りかけました。すると異様な匂いが辺りに漂い始めました。
「全く、何時嗅いでも臭いなぁ」ビスタが、鼻を摘まんで言いました。「ローグの糞なんか良く集めようなんて考えついたものだよ」と目をバーントに向けました。バーントは、部下達に指示を与えるのに忙しいようで、彼の言葉は聞こえませんでした。
ローグは、大きな凶暴なオオカミです。広い縄張りを持っていて、家族で縄張りを守ったり、他の縄張りを奪ったり、奪われたりしています。その縄張りの境界には、必ず糞があり、その匂いはとても臭いのです。
凶暴であるローグは、同じく凶暴であるゴブリン達も恐れていましたので、その糞の匂いがする場所には、近づきたがりません。
それが証拠に、バーント率いる一行を、追い続けている、大鼻と呼ばれるゴブリンは、まさに彼らに追いつく勢いでした。昼の間に、日射し避けて休んではいたものの、夜になってからはときどき立ち止まっては、鼻を地面にこするようにして、残された匂いを探し、方向を見定めると、脚と手で地面を蹴り、まるで犬の様に走り続けるのです。
しかし、ある場所から嫌な匂いに、大鼻はたじろぎました。ローグの匂いなのです。もし大きなオオカミに見つかれば、早足のゴブリンにも逃げ切ることはできません。
「くそ、いやな匂いだよ。」大鼻は、鼻を上にあげて大気の匂いを嗅ぎました。「山のちびどもめ、オオカミ食われちまっただよ」
その時、もっといやな匂いが風の中に漂ってきました。死臭のような匂いです。大鼻は地面にうずくまって体を震わせました。「いやな奴が来たよ」
やがて、大きな生き物に乗った、黒衣の者が草をこする音を立てながら近づいてきました。それは、翼を切り落とされたドラゴンに乗った、腐った生者と呼ばれるものでした。 腐った生者は、大鼻の側にドラゴンを止めました。「追跡はどうした」腐った息を吐きながら、腐った生者は言いました。
「ローグの匂いがするよ。この先は危ない、無理だよ」大鼻は答えました。
「お前一人食われようが、知ったことか、追え。」と腐った生者は、腰から錆びた剣を抜くと、大鼻の前に突きつけました。
「やだよ、その剣。痛いのはやだよ。行くよ。」大鼻は、鼻を地面にこすりつけながら草むらの中を進みました。すると腐った生者は、ドラゴンに鞭を当てて夜の草原の中を風の様に去ってゆきました。
「全く、目も耳も鼻も腐っているのに、なんでわしが居る場所が分かるんだよ」大鼻をブツブツと言いながら進みましたが、ローグの匂いだけは、無意識的に避けてしまったために。ドワーフ達の野営地を避けて通ってしまう事になってしまいました。
ドワーフ達は、発見を恐れていたので、見張りを交代で行い、休んでいる者も武器を傍らにおいていたので、誰もが安眠できたわけではありませんでした。
その野営地の近くを、腐った生者が通り掛りました。
「ヴォドゥンだ」草陰に潜んで、見張りをしていたグレージュが隣で、あくびをしていたフォーンに小声で言いました。グレージュは、身軽な格好をして直ぐに知らせを皆に教える役目でした。フォーンは、とげとげの大きな兜を被り、重装備の鎧に身を包んでいました。
「動くな。目を閉じろ、やつらは恐怖心を持った奴の視覚を盗む」フォーンは、グレージュが知らせに動こうとする前に、耳元に囁きました。
「しかし・・・」フォーンは言う通りに目を閉じて言いました。「知らせないと」
「皆は、寝ているから、恐怖心を覚えたりしない。今危険なのは俺たちだ」フォーンも目を閉じて息を潜めました。
「ああ、恐怖を感じる。だれだ、どこだ・・・」ヴォドゥンは、翼のないドラゴンの背に乗り、二人に近づいてきました。ドラゴンは、草に頭をつっこみ匂いをかいでいますが、辺り一面にローグの糞の匂いが漂っているために、二人のドワーフには気がついていませんでした。ドラゴンは、両眼に木の杭が突き刺さっている為に、見ることもできませんが、音や臭覚や空気の動きには、とても敏感なのでした。
フォーンの真横に、ドラゴンの脚が置かれました。ローグの糞だけでなく、ヴォドゥンが放つ死臭のために、二人は気持ち悪さを覚えました。その気持ち悪さを抑えるために、必死になっていると恐怖心が、いつの間にか抜けてしまいました。
ドラゴンは、二人の側を通り過ぎるとゆっくりと天幕に向かってゆきました。
「消えた・・・気のせいか?」ヴォドゥンは、錆びた剣を抜くと、意味もなく振り回しました。その剣が振れた草が、即座に枯れてしまいます。
そのとき、大きな咆哮が響きました。大きな黒い塊が草むらの中から飛び出して、ドラゴンの首に噛みついたのです。ドワーフ達がまいた糞の匂いに誘われ、縄張りを侵したものが現れたと思ったローグでした。
ローグのひとかみで、ドラゴンの首の骨は折れ、だらんと垂れ下がりました。しかし、その垂れ下がったまま首を左右に振ると、勢いでローグの体にぶつかったドラゴンの顎がかっと広がり、そのままローグの腹に噛みつきました。
ローグは、悲鳴の声を上げるとさっとその場から後ろに飛びすさりました。ローグの腹には大きな裂け目ができ、そこからは血がどくどくと溢れるように出て来ました。それでも、ローグは、縄張りを荒らしたのが許せないようで、大きな顎を開き、大きな声を上げました。流石にこの2匹の戦いの声に目を覚まさないドワーフは居ませんでした。
「おお、恐怖の瞳が開かれた!」ヴォドゥンの声が、思わず寒気を感じさせました。ヴォドゥンは、錆びた剣を抜きドラゴンに鞭を入れましたが、ドラゴンは、垂れ下がった首を左右に振るだけで、身動きがとれません。
「気づかれたぞ」フォーンは、そう言うと、剣を抜いて。立ち上がりました。そしてグレージュも草むらから飛び出すと天幕に飛び込みました。
「恐怖しろ、我に恐怖しろ」ヴォドゥンは、ドラゴンから降りると、錆びた剣をぶらぶらと持ちながら、フォーンに近づいてきました。
フォーンは、両手に剣を持ちヴォドゥンの前で構えました。手が震えるのが、よく分かりました。相手は既に死んでいる身なのです。殺すことなんかできないのです。
その間に、天幕からはドワーフ達が、剣を持ってきて出て来ました。
「なんで、よりによって・・・」バーントは、唇を噛みました。
「恐れろ、恐れればお前達がよく見える」ヴォドゥンは、剣を振り上げるとフォーンに打ち下ろしました。その剣をフォーンの剣が受け止めましたが、フォーンの剣は、いきなりぼろぼろに錆びてしまいました。そして、そこへもう一撃、フォーンの分厚い兜に当たり、兜はもろく壊れてしまいました。
フォーンは、素手のままになってしまいました。他のドワーフ達もなすすべが無く恐れ戦くだけでした。ふたたびヴォドゥンの剣が振り下ろされました。フォーンはかろうじて身を翻して切っ先を避けたように見えましたが、わずかに手首を切られました。
「くそぉぉ」フォーンは叫びました。「油をくれ!俺の魂を救ってくれ!」
すると、グレージュは、一度天幕に入り、ひとつの壺とカンテラを手に持って飛び出してきました。「なんだ、お前が見えない・・・どこに居る・・・さぁ、恐怖に陥れ、俺に姿をみせろ」ヴォドゥンは、唐突に剣を振り回し始めました。
グレージュは、壺をフォーンに渡しました。フォーンはありがとうと言うと。グレージュの持っているカンテラを見ました。そして「頼む」と言うと壺を持ったままヴォドゥンに体当たりをしました。ヴォドゥンの剣が、フォーンを突き刺し、フォーンの持った壺から油がヴォドゥンの体に降りかかりました。
グレージュは、からまりあった二人にカンテラを投げつけました、すると二人の体は炎に包まれてしまいました。
「恐怖を感じるぞ、いいぞ」ヴォドゥンの腐った体が焦げた匂いを発しました。「もっと恐怖しろ」ヴォドゥンの剣が手から落ち地面に刺さりました。そこを中心に草が枯れ始めました。やがて、ヴォドゥンはフォーンと伴に倒れました。
「油を足せ、骨になるまで焼き尽くせ。フォーンの魂を腐らせるな」バーントは、大声で命令しました。すると、ドワーフ達は、油も持ってきたり木切れを拾ってきたりして。炎をより大きくしました。
その炎の中で、フォーンが立ち上がりました。体は炎にまみれているのに、そんなことはお構いなしといった感じで、筋肉がやけてつっぱってしまったのでしょう、膝を曲げずに腕も前にピンと伸ばされた状態で、歩きました。
「魂が腐ってしまったか」バーントは、後ろに体を引きました。
「あううう」フォーンは、うなり声を上げました。「あううう」と歩みを止めません。
そこへ、グレージュが斧を持って突進してくると、それをフォーンの腹に横殴りに打ちました。するとフォーンの体は、炎の中に後ろから倒れてしまいました。
「あううう」炎の中でフォーンは、叫びました。肉が焼ける匂いが平原中に広がってゆきました。フォーンは、炎の中で動かなくなりました。
「ゴブリンが来るかな」ビスタが、バーントに言いました。
「ああ、すっかり良い目印になってしまった」ビスタの目はずっと炎を見ています。
「みんな、出立の準備をしろ」ビスタが大声を上げました。「ゴブリンが来る前に出発だ」
グレージュは、斧を持ったまま、炎を見ていました。他のドワーフ達は薪になるものを拾っては、炎に放り込んでいました。
「しっかり燃え尽きるように、してやってくれ」バーントは、皆に言いました。そしてグレージュの肩を叩きました。グレージュは涙を拭きもせず、いちど頷いただけで一本の薪を拾って、炎に放り込みました。
やがて、出発の準備が整うと、一行は闇の中を進み始めました。
炎は、一晩中燃え続け、後には骨だけが残っていました。そしてその脇には、ドラゴンとローグの死骸が横たわっていたのです。2匹は、互いの体に噛みついた状態でした。
これから朝を迎えようとしている中、ゴブリン達はこの2匹の獣と焼き尽くされた、遺体の残骸を取り囲むようにしていました。
そして、太陽が顔を出すと、かれらは悔しそうな声を上げて、隠れる場所を求めて、草原の中を散り散りになってゆきました。