クールな許嫁に許嫁やめないかと言ってみたら病んだ
放課後、俺は人を待ちながら友人の木村正人と駄弁っていた。
「透、最近青山さんとどうよ」
「どうよってなんだ。特に何もない」
「もったいないな~。あの男子なら誰もが憧れるクール美人青山静香さんと付き合ってるのに何も進展してねえのかよ」
「うるさいな。それに俺と静香は付き合っているわけじゃない。許嫁なだけだ」
俺と静香が許嫁になったのは中学生2年の頃、俺たちが生まれる前から仲が良かった俺たち2人の両親が仕組んだことだ。親同士が仲がいいからか俺と静香は昔から一緒にいることが多かった。ここまで2人の仲がいいなら許嫁にしようとうちの母が提案したら親たちの間で満場一致で賛成だったらしい。それをはじめに聞いたときは息子の意見も聞かず勝手に決めた事に怒り反発したが多勢に無勢、数の勢いで押し切られてしまった。それからは反発することを諦め、静香と許嫁としての関係を維持したまま3年間過ごしてきた。
「おんなじようなものでしょ。将来的に結婚するなら今は恋人じゃないの?」
「そうではないだろ。あいつもそうは思ってないだろうし」
「そうかな? 青山さんいつも告白断るとき許嫁がいるからって理由で振ってるらしいよ」
「断る口実が欲しいだけだろ」
客観的に見ても美人な部類に入る静香は頻繁と言っていい頻度で男女問わず告白される。それらを全部退けるのに一々理由を考えていては大変だから俺との関係性を利用しているのだろう。たまにそいつらのフラれた悲しみの標的になる俺からすればたまったものではないが。
「お前がそう思うんならそれでいいけどさ。俺は青山さんもお前を少なからず思ってると思うんだけどな」
そうこうしていると教室の後ろのドアが開く音がした。
「透。日直終わったので帰りましょう」
そこにいたのは先ほどまでの話の中心にいた俺の待ち人である青山静香その人だった。
10分後、俺と静香は帰路についていた。特に会話を交わすこともなくお互い淡々と歩き続ける。今日が特別なわけではない、いつも静香との学校への登下校時はこうなのである。許嫁になるまではある程度話しながら歩いていたと記憶している。だが許嫁になってからは静香から俺に話しかけてくることが減り、俺は最初は間を持たせるために積極的に話しかけていたが、1年を過ぎ高校生になるころには俺から話しかける事も減ってしまっていた。結果として2人でいるのに無言での登下校が高校生になってからは続いてしまっている。
俺はいつも通り無言で歩きながらずっとこのままでいいのかと思っていた。静香は許嫁という親に無理矢理決められた関係に縛られ、一緒にいたくもない俺と登下校させられているのではないだろうか。そうであるとすればこの3年間は静香にとってどんなに辛かっただろうか。ネガティブな想像が頭をよぎる。その想像が正しかったとしても静香の方から何かを言うとはその性格的に考えにくい。ならば俺の方から提案するべきではないのか。悩んだ末、俺は意を決して口を開いた。
「静香。ちょっといいか大事な話がある」
「何ですか。透」
静香が変わらぬ表情で俺の方を見る。
「許嫁やめないか」
「えっ」
静香は鞄を落とし、慌てて拾いなおした。俺は会話を再開する。
「このままの関係でいるのってお互いのために良くないと思うんだ。静香だって俺とずっと行き帰りするの大変だっただろ」
「透は私との登下校嫌だったのですか?」
「嫌ってわけではないけど……」
そう言われると困る。少なくても自分1人よりかは静香がいて今でも悪くはないと思っているからだ。
「だったらいいじゃないですか許嫁のままでいても」
「俺は親たちが勝手に決めたことに縛られるのが嫌なんだよ。誰と恋するかも誰と結婚するかも俺と静香に決めさせてほしいんだ。今の俺たちが言えば親だって聞いてくれるかもしれない」
中学生のときは一蹴されてしまったが高校生になり発言力も多少は上がった。今なら静香と一緒に意見すれば両親に聞いてもらえるのではないだろうか。
「透はゎ……と……」
静香の口が言葉を発しようと動いているがその声は小さすぎて耳まで届かない。
「ごめん。何て言った静香」
「いえ、何でもありません。許嫁の話ですが家に帰って考えます。明日までには結論を出します」
「ああ、分かった」
その後はいつものように言葉を交わすことなく帰った。次の日静香を家まで迎えに行くと静香のお母さん洋子さんから静香が今日休むことを告げられた。
「今日青山さん休んでるのか」
「ああ」
昼休み、俺と正人はいつものように2人で昼食をとっていた。正人は静香のクラスから来た女子の会話を盗み聞き静香が休みだと気づいたらしい。
「昨日は元気だったように見えたけど。透は知ってるか?」
「知らない」
「嘘だな。その顔は何か知ってるだろ」
図星だ。静香が休んだ原因は自惚れでなければ昨日許嫁をやめようと言ったことにあるはずだ。
「心あたりはある」
「昨日の帰宅中かその後になんかあったんだろ」
「ああ」
それから俺は昨日許嫁をやめようと静香に提案したことを正人に説明した。
「青山さんが休んだ理由はそれか」
「まだ決まったわけじゃない」
「ほぼ決定だろ。お前青山さんの気持ちちゃんと確認したか」
「……いや、してない」
昨日の俺は自分の思ってたことを言ってばかりで静香の言いたいことを聞いていなかったかもしれない。
「やっぱりな。青山さんの思ってること聞いた方がいいぞ。許嫁やめるかどうかはその後でいいだろ」
正人の言う通りだ。俺は静香の想いを聞く必要がある。
「ああ、そうだな。明日静香に聞いてみる」
「明日じゃなくて今日行ってこい。明日青山さんが学校に来る保証ないだろ」
「確かに。今日の帰りに静香の家行ってみることにする」
こうして俺は静香の家に今日行くことを決意した。
帰り道、俺は静香の好きそうなケーキを近所のケーキ屋でいくつか買い静香の家に向かった。
「あら透君、静香のお見舞いに来てくれたの?」
静香の家に行くと洋子さんが迎えてくれた。
「はい、これお土産のケーキです。後で食べてください」
「わざわざありがとね。さっさ、上がっていって」
「ありがとうございます。それで静香の具合はどうですか」
そう聞くと洋子さんは少し困った顔をした。静香と違って洋子さんは感情が顔によく出る人だ。
「熱はないみたいなんだけどね。何故か元気ないみたいだったから今日は休ませたの」
聞く限りでは体調が悪いというより精神的な問題のようだ。やはり昨日の許嫁の件が原因なんだろうか。
「だから透君、静香の所に行って元気づけてあげてほしいの」
「何が出来るかは分かりませんが出来る限りのことをします」
「ありがと。静香の部屋の場所分かるわよね?」
「大丈夫です」
高校生になってからは入ったことはないが場所は覚えている。俺は足早に静香の部屋がある2階へと向かった。
静香の部屋の前につき俺はゆっくり深呼吸してドアをノックした。
「静香、俺だ」
「透、来てくれたんですか」
「ああ、部屋に入ってもいいか」
「はい、どうぞ」
許可を貰ったので俺はドアを開け静香の部屋に入った。最後に静香の部屋に来たのは中学生の頃だったがそのときから物は多少増えていたが雰囲気は変わっていなかった。部屋を見渡すと静香はベッドの上で布団をかぶっていた。顔は心なしかいつもより覇気がなくベッドに寝ていると本当に病人に見える。そして目もいつもより少し淀んでいる気がした。
「静香体調は大丈夫か」
「ええ大丈夫です。明日からはまた学校行きます」
「なら良かった」
「透はなんで今日うちまで来たんですか」
「お見舞いと昨日のこと謝ろうと思って」
「昨日のこと?」
「昨日許嫁やめようって言った時にさ、静香の意見も聞かないで俺の意見ばかり言ってごめん。静香がどう思ってるか聞くべきだった」
ベッドにいる静香に向かって頭を下げる。
「そのことを気にしてたんですね。いいです、許します。だから許嫁をやめるってもう言いませんよね?」
「静香は許嫁の関係を続けたいのか?」
それは今日一番聞きたい事であった。静香は数秒沈黙した後話し始めた。
「すみません。透もう少し近くによってくれませんか」
昨日のように声が小さくて俺に聞こえなくなるのが嫌なのだろうか俺は無言でベッドのすぐそばまで近づきそこに座った。静香はベッドから起き上がり聞こえないくらいの大きさの声で呟いた。
「透、好き」
次の瞬間、俺の口は静香の唇で塞がれていた。頭は静香の両手で抑えられ離すことが出来ない。鼻腔に甘い匂いが充満する。静香の舌が俺の口内に侵入し蹂躙してくる。俺の抵抗もままならないまま数分後、静香は満足したのか拘束を解いた。俺は2人の口を結ぶ透明な橋を手で拭い取った。
「静香……何で」
「何でってこれがさっきの質問の答えです」
「答え?」
頭が回らない。ファーストキスが答えとはどういうことなのか。
「許嫁やめるなんて考えられません。だって許嫁を一番最初に提案したのは私なんですから」
静香は何を言っているんだ? 許嫁を提案したのはうちの母ではないのか。
「その顔は信じていませんね? 私がうちと透の両親に私と透を許嫁にしてほしいって中学生のときに頼んだんです。少し恥ずかしかったので透には透のお母さんが言った事にしてもらいましたけど」
静香の顔には普段見られない妖艶な笑みが浮かべられている。先ほどの出来事のせいかその唇に目がいってしまう。
「だったら許嫁になってからなんで急にそっけなくなったんだ」
「すみません。許嫁になった喜びが大きくてそれから上手く話せなくなってしまっていたんです。でも一緒に登下校しているだけでも幸せでした」
許嫁は静香が最初に言い出したこと、あの無言の登下校に静香は幸せを感じていた、1つ1つの情報が大きすぎて俺の頭ではうまく処理できない。分かるのは俺が考えていた以上に静香は俺の事を想ってくれていたということだ。
「そっけなくなった理由も許嫁やめたくない理由もなんとなく分かった。でも静香がなんでそこまで俺を好きでいてくれるのかが分からない」
「私が透を好きな理由聞きたいですか?」
「気にならないと言えば嘘になる」
「じゃあ教えてあげますね」
それから静香は俺を好きになった経緯について話し始めた。小さい頃から1人でいがちだった静香の遊び相手になってくれたこと、小学生の頃からかってきた男子たちから守ってくれたことそれらが嬉しくて俺を異性として意識しだしたこと。中学生になってからもその気持ちは変わらず両親に俺と許嫁にしてもらえるように頼んだこと。静香が嬉しそうに話すので聞いているうちにこちらも恥ずかしくなってきたが要約するとそのような事を静香は話してくれた。
「私が許嫁でいたい理由理解してもらえましたか?」
「ああ、だけどそれだったら許嫁ではなくて恋人でいいんじゃないか」
俺たちくらいの年齢ならば許嫁より恋人の方が自然な関係性な気がする。
「私欲深い女なんです。透の今だけじゃなくて未来も欲しいんです」
「なっ」
絶句した。静香がそこまで先の事まで考えているとは全く思っていなかった。どう答えるべきか迷ったが自分の感じているそのままを口に出すことにした。
「俺も静香は嫌いではないけどそこまで後のことは考えられない。一旦、許嫁じゃなくてただの幼なじみとしてもう一度やり直さないか」
「透は私の事好きじゃないんですか」
「好きだけどそれが恋愛的な意味での好きなのかは正直自信がない」
3年間許嫁を続けてこれたのは静香の事が少なからず好きであるからであることは間違いないのだが、その気持ちがライクなのかラブなのかは自分でも確証がもてなかった。
「透の今の気持ちは分かりました。でも不安なんです。私みたいな根暗女じゃなくてもっと性格のいい可愛い子のところに透が行っちゃうんじゃないかって」
静香の許嫁という関係へのこだわりは周りへの劣等感と俺が誰かに奪われるかもしれない不安から来るものらしい。だが残念ながら俺はそこまでモテない。静香の不安は無用の長物である。
「心配しなくても俺の事好きでいてくれるのはお前くらいだ」
「そんな事ないです。透は魅力的です」
静香の中では俺の評価に大きく補正がかかっているらしい。
「まあいい。許嫁をやめたくないってことはよく分かった。でも俺は静香の提案だとしても許嫁という関係に縛られるつもりはない」
「どうしても譲りませんか」
「ああ」
なんとなくだがここを譲ってしまったら俺の人生は確定してしまう気がする。人生の終着点を決めるには流石にまだ早い。
「分かりました。そっちがその気ならこちらも実力行使しますよ」
さっきの出来事を思い出し咄嗟に口を手で塞いだ。だが静香は俺の方を見ることなく寝間着に手をかけボタンをはずし始めた。早い話が脱ぎだしたのである。
「何をしてる」
「見て分かりませんか? 服を脱いでるんですよ」
「俺が聞いてるのは何ではなくて何故だ」
「既成事実を作れば流石の透も折れてくれるかなと思いまして」
とんでもない作戦だ。確かにここで既成事実が出来てしまえば許嫁のことも精神的に反対しづらくなる。
「待て早まるな。もっと自分の体を大切にしろ」
「もうここまで来たら止まれません。はじめてなので上手く出来ないかも知れませんがちょっとの間我慢してください透」
それは男側のセリフではないだろうか。完全に覚悟が決まってしまっている。静香は今や下着以外なにも身に着けていない。その状態でじりじりと俺の方によってきている。静香は可愛いしそんな子とならいいじゃないかと思う自分の悪の心を僅かに残った理性が咎める。
「ちょっと待て、許嫁のままでいるからそれで勘弁してくれないか」
ピクリと静香が反応する。どうやら効いているようだ。
「許嫁でいてくれるんですか」
「そうだ。許嫁のままでいい」
静香は俺から徐々に遠のき脱いでいた寝間着をまた着始めた。
「分かりました。既成事実作るのはまた後にします」
なんとか既成事実を作ることは免れたらしい。結局、許嫁の関係は変わらず問題を後回しにしただけな気がするが後のことは今は考えないことにする。危機を脱してほっとしていると下から声がした。
「静香、透君お茶が沸いたからケーキ食べましょう」
洋子さんの声だ。正直、静香の部屋から出る口実が欲しかったので助かった。
「ケーキ買って来てくれたんですね透。さあ下に行きましょう」
「ああ、そうだな」
俺がそう言うと静香は自然な動きで俺の手に自分の手を絡ませてきた。所謂、恋人握りというやつだ。
「何のつもりだ静香」
「今日から私は透が好きな事をもっと周りに示していこうと思います。そうすれば透に変な虫がつくのも防げますし。だから透覚悟してくださいね」
そう言った静香の表情は珍しく笑っているように見えた。俺はいつまで静香のアタックに耐えられるだろうか。俺は一抹の不安を覚えながら静香と共に階段を下りて行った。