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エッセイ・考察

自分の中の哲学的な何か

作者: hhh


自分は20ぐらいの時に海外の哲学者の翻訳本を読んでなるほどと思いました。

何の本かというとアジア系哲学3種に対しての考え方を説明する初心者本でした。

著作権にうるさい黄色いクマを使用しており大丈夫かと思ったものです。


その本では、お酢をなめた反応で儒教と仏教と道教を説明していました。


儒教では酸っぱいと表情まで変えていっている挿絵がありました。

仏教では苦いと言っている挿絵でした。

道教ではうまいといっている挿絵でした。


これを見たときに自分はいままでほかの人間の目線などを考え

知らず知らずのうちに酸っぱいといっていることに気づいてしまったのです。


調味料なのだからうまいかまずいかで話をしなければいけないのに

他人の目を気にして自分は酸っぱいといっている。


自分には結構衝撃でした。

普段から他人の目を気にしないといった言動をしていたつもりであったのに。

自分が面白いと思ったものは面白いと思っていたのに。


それから自分は何かをする際にこれの本質は何かを気にすることになりました。


物事の本質に対して自分の意見を言っていないことがあるとの事実は

自分をさらに面倒な性格の人間にしていったでしょう。


ただ、何も自分の頭で考えず、人の話のなかから選択だけしていくのは自分にはできません。

自分に責任が発生しないからです。

つまり、すべて他人のせいにして生きていくことができるからです。


すべて自分の責任で生きていくからこそ自由というものを実感できるのです。


ほかの人ができる生き方とは思いませんが、なるべく自分で考え間違えていたら訂正しつつ

生きていければいいのではないかと思います。



仏教は修行ですから苦い(=くるしい)とっているらしいですよ。

自分も仏教を信じている人はすぐに虎に食われて死ぬべきだと思いますけどね。

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