片蔭
秋と冬の境目の名前の無い季節。当時小学一年生だった少女は、彼女の叔父が部屋の真ん中で宙に浮いているのを呆然と、不思議だなぁ、と思いながら見ていた。後から入ってきた少女の母は、叔父の姿を見るなり少女を外に連れ出した。彼女は警察と救急車を慌てることなく呼び、同時に少女の祖父母にも叔父の事を伝えていた。
彼女は慌てていなかった。驚いてさえいなかった。彼女は予感していたのだろうか。覚悟していたのだろうか。彼女は少女を外に連れ出し、短い電話をいくつかかけ終えた後、静かに泣いていた。誰も見ていない所で声も上げず。熱い熱い涙をぽろぽろと。
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部屋のテーブルの上には冷えきったコーヒーと、どこぞの安いタバコの吸殻が灰皿に山を作っていた。その部屋にはカーテンなどなく、その日は目の焼けるような強い光が私達を照らしている。彼は売れない小説家であり、時々自分で書いた小説を読みながら、静かに泣いていた。その小説は彼の過去を奇想天外に描いたもので、その頓珍漢なキャラクター達の姿を静かに涙を流しながら。それと同時に彼は微笑みながら読んでいた。その小説を私に手渡し「大事にしてくれ」と優しい声で言い、彼は私を家に帰した。彼が亡くなったのは私が小説を受け取った次の日だった。
彼が何を思っていたのかは分からない。彼は彼なりの闇を抱えていたのかもしれない。悩みがあったのかもしれない。それを一人抱えて、誰にも打ち明けずに寂しく死んでいった。
彼は大馬鹿だ。
私は彼の作品が好きだった。
彼の優しい声が好きだった。
しかしもう、彼の新しい作品を読むことは叶わない。
声を聞くことさえも。
…あぁ、寂しいなぁ。寂しいなぁ。