「捨てたくなかったのは俺だ」
「なんだよその顔は」
俺は不満げに言った。
売った。
事実を告げただけじゃないか。
「……娘をか」
店長の声は、いちだんと低くなっていた。
「……一から説明してほしそうな顔してんな」
「今すぐお前を追い出してもいいんだがな」
険しい顔で俺のことをにらむ。
おお、こわ。
別にこんなところには二度と来なくてもいいのだ。
今の俺には、こんな店は似合わない。
「説明して、このうまい飯を食ったら追い出してくれ」
そう前置きして、俺は話し始めた。
奴隷市場のこと。あいつを買ったこと、あいつと心中しようとしていたこと。
そして、あいつを金のために売ったこと。
ああ、あいつは今どうしているんだろう。
さぞ、大切にされているんじゃないだろうか。
あれだけの金を払って買ったんだ。
「……予想以上だな」
店長は言った。
「あんたもそうするだろ。これだけの金だぞ」
「安すぎると言ってるんだ! ――そもそも人に値段なんかつけちゃいけねぇ!」
こぶしを木製のテーブルにたたきつけて、店長は言った。
客が驚くだろうが。
「なんだよ、そう怒んなよ」
俺もだんだんイライラしてきた。
なぜ奴隷を売り買いしただけで怒鳴られなくてはならないのだ。
「お前は――人の命に値段がついていいと思ってるのか?」
「当然だ。俺も、あんたも、給料って値段付けられて働いてんだろうが」
「違う。俺たちについてるのは命の値段じゃねえ」
何が違うのだ。
奴隷は労働力だ。女であっても、性的奉仕という労働をするために、わざわざ金を出して買っているのだ。
「だったら奴隷についてる値段だって命の値段じゃねえよ。労働力だろうが」
「自由がねえだろ」
自由か。
よくもまあ。
「俺は自由じゃなかったが、奴隷ではなかったぞ」
「お前の働き方が悪いんだ」
「なんだと?」
「お前は奴隷のやつとはくらべものにならん屑野郎だがな」
言ってくれる。
ああ、だめだ。
落ち着け。こんなところで衝動的になっては――。
気づいた時には、酒の入ったジョッキをテーブルにたたきつけ、粉々に砕いていた。
破片で手を切った。
「あぁ……いけねえな、切れちゃ」
場は静まり返っていた。
しぶとく残っているあのガキだけが、もくもくと食器を動かす音が聞こえた。
「……その奴隷の女の子はよ。お前が買ったとき、なんて言ってたんだ。ああ、きっと嫌がってたんだろうな。お前みたいな人間に買われるなんて」
「そんなことは一言も言われてねぇ! 俺とあいつは本音で話してた、そんなことは一言も言ってなかった。俺の所有物にケチをつけるなよ。――人のもんには敬意を払え」
「人にはな。お前は人間じゃない」
こいつにはもう何を言っても駄目だ。
最後、誤解を一つ解いておきたくて、俺は絞り出すように言った。
「言ったよ。あいつは。『捨てないでください』ってな」
「はン。それが本当なら、お前はもっと屑だぜ。――出てけ。二度と来るな」
そして、俺を店から押し出すと、粗雑な扉を勢いよく閉めた。
嫌な音がした。
俺は家に帰った。
家じゅうの家具に当たり散らした。ひどくイラついた。
俺は奴隷を正当な金額に基づいて売り買いしただけだ。正当でないとしても、不当に安いのではなく、高すぎたというだけだ。
金が多くて何が悪いのだ。俺は何も批判されるようなことはしてないはずだ。
だというのに、なぜこんなにもさいなまれなくてはいけないのだ。
なぜだ。
今の俺には金がある。家がある。酒がある。飯がある。女がある。なんでもある。
……ああ。もしかして。
シアワセがないからか。
あいつがいなくなって、その代わりに金があって。
でも、金ってなんだ。
金は「シアワセ」か。
違うな。金はシアワセをもたらすが、それ自身が満たされるってことは決してないのだ。
何か、満たされているものが欲しい。何か非物質的なもので満たされている、品物が欲しい。
酒はダメだ。酒瓶は酒という物質で満たされているからだ。
女はダメだ。俺より金を持っている女は、俺以上のシアワセを求めて天井がないからだ。
飯はダメだ。俺の腹を満たしても意味がないからだ。
金はダメだ。満たしても満たしても、シアワセを持ってこようとするからだ。
――あいつしかない。
シアワセを持っているのは、満たされているのはあいつだけだ。
「――捨てないでくださいじゃねえよ」
俺は小さく言った。
「捨てたくなかったのは俺だ」