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俺も、俺である前に一匹の動物であったわけだ。

 大した会話もなく、俺は適当な料金を払って店を出た。

 釣りを忘れていると呼び止める店員の声を無視し、通りを下る。

「……うまかったか」

「おいしかったです。……あなたは、なんでそんなに私によくしてくれるんですか?」

 奴隷、なのに、と。

 確かに、俺はまだこいつを抱いたことはない。

 添い寝程度しかしたことがない。

 俺はこの人形のような顔を眺めるのが好きだった。

 女の奴隷は、性的奉仕が基本だ。家事をさせることもあるが、いちいち教育するのも手間なので、たいていはいかがわしい目的で使われる。

 だから、不思議なんだろう。

 具合を確かめたことはないが、これまで幾人かのところをたらい回しにされてきたのだろう。

 これほどの逸材が、性病で死んでいないのが幸いだった。それも、俺の運がよかったのだ。

「知りたいか」

「……教えていただけるなら」

「お前にシアワセになってほしいからだ」

 俺は躊躇なく言い放った。

 事実である。解釈のしようはいくらでもあるだろうが、これは曲がることのない事実だ。

 俺はこいつを、シアワセにするために今金を使っている。

「……あの、お気に召さなかったら、謝ってもいいですか」

「なんだ」

「……変わった、方ですね」

 なんだ、そんなことか。

 そんなの、最初から分かっていることだ。

 街を歩いていると、たまに視線を感じることがあった。

 俺を見ているわけではないだろう。奇特な格好をしているわけでもなく、目を引くほどの容貌でもないからだ。

 昨日から感じているこの視線は、きっとこいつを見ているのだ。

 気持ちの悪い視線だった。たとえそれが憧れや賛美の目線であっても、こいつは俺のものなのだ。

「少し良いですかな」

 城壁で囲われた町を出かかった時だった。

 声をかけてきたのは、衛兵ではない。

 怪しげな集団であった。見た目はきっちりしている。ああ、金持ちなのだな、と、俺はすぐに分かった。

 そして、もう少し観察をして、さらに気づいた。

 こいつらは、どうやらこの町の領主に雇われているらしかった。胸元の徽章が、ちょうど町の門の上に高らかと自慢げに掲げられた旗の紋様と同じだった。

「……なんでしょうか」

 早く帰って、俺はこいつを寝かせてやりたい。

 寝不足は肌の敵だ。

「その娘さんは……あなたの?」

 俺のそばに寄り添うこいつを、下衆な目で見ながらその男は言った。

「……。……そうですが。何か」

 平民は奴隷を買ってはいけないという法律は、確かなかったはずだよな、と。

 死ぬ前にそんなしょうもない理由で牢獄行きなどごめんだった。

「やはり、そうですか。いやはや、お美しい」

 "お美しい"、という部分以外には感情がこもっていない。

 演技の下手なやつだ。

「やや、これは失礼。まだ名乗っておりませんでした。私、アルマ領主の専属秘書、ヴィチカーノと申します」

 俺の怪訝そうな表情をどう勘違いしたのか、この男はいきなり自己紹介を始めた。

 カプチーノだかなんだか知らないが、こいつの名前など覚える価値もない。

「はあ」

 と気のない返事をして、俺はその場を通り過ぎようとした。

 しかし、道をその男が連れてきた集団に塞がれてしまう。

「いやいや、少し、少しだけお話を聞いていただきたく。――領主様が、こちらの娘さんをご所望なのです」

 ――俺はこのむかつく野郎の顔面を、今すぐ殴りつけて目をつぶしてやりたい衝動にかられた。

 領主が所望?

 こいつは俺のだ。

 俺が買った、俺だけの奴隷だ。

 それを権力で奪い取ろうなど。

 強盗となんら変わりない。暴力だ。暴力には暴力で返してしかるべきだろうが。

「……っ」

 俺の従順な奴隷は、俺の袖をそっとつかんだ。

 ――捨てないでください。

 買ったときの、こいつの言葉がよみがえる。

 捨てるわけがない。

 ずっと一緒だ。

 俺がシアワセな死を遂げるために。

「領主様が。はあ、しかし私はまったくその気はありません」

「そういわずに。領主様は素晴らしいお方です。経済力もあり、情愛も深い。歴代で最も優れた統治者とも評判です」

 金で作り上げた評判を、こうもいいように振りかざせるのだから、金持ちというのはすごいものだ。

「謝礼金として、まずはこちらの金額を……」

 そう言って、男は俺に、莫大な金額の書かれた小切手を見せつけてきた。

 俺があいつを買った値段の五倍以上。

「……」

 金などいらない。

 そう言い切れるのであれば、俺は一人でも死ねただろう。

 そうでないから、あいつを買ったのだ。

「……本当ですか」

 この金があれば、会社をやめて好きなように暮らせるだろう。今後十年、二十年などとちまちました単位ではなく、それこそ俺が天寿を全うするまで、毎日酒を飲んで暮らしていても大丈夫な金額だ。

「ええ、本当でございます」

 気づけば、俺は奴隷少女の手を男に差し出し、男の手から小切手を奪い取っていた。

 え、と。

 間抜けた声を出して、そいつは俺を見ていた。

 俺はどんな顔をしているんだろう。

 悲しい顔だろうか。

 それとも莫大な金を手に入れた喜びだろうか。

 ああ、こいつの親の気持ちが分かった気がする。

 買った奴隷(たにん)を売れば、遊んで暮らせるのなら。

 俺も、俺である前に一匹の動物であったわけだ。

 連れていかれる間際、あいつの表情は、飯を食っていた時の笑顔から、俺が買ったときと同じ、無表情に戻っていた。

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