NEETによるNEETのための『小説家になろう』を消滅させる魔法
小説家になろう フォーエバー
もちろん本作はフィクションです。
カーテンが閉め切られ照明もつけられていない陰鬱な室内で、田中は表情筋の死んだ顔でPCのディスプレイを見つめていた。
「死ね。死んでしまえ」
抑揚の無い声で、田中はつぶやく。長いNEET期間により、表情や、声の抑揚、身振りなど、コミュニケーションにおいて重要な要素は、遥か過去に失われていた。
田中が閲覧しているのは、『小説家になろう』と言うWebサイトである。ここでは、アマチュア作家たちが、作家デビューを目指して日々鎬を削っている。このサイトに投稿された作品が、出版社の目に留まり、書籍化、映像化されることも稀ではない。
田中も、『小説家になろう』の登録者の一人である。ただし、田中の場合は、無料で小説が読めるサイトとして登録しただけで、作家デビューを目論んでいたわけではない。登録した当時の田中は定職についていたし、そもそも文章を書くのが得意ではないと言う自覚があった。
そんな田中にも転機があった。NEETへの転落である。田中は、定職と言う社会的な後ろ盾を失い、落伍した。そうして、将来への夢や希望と言ったものも失ってしまった。
社会の落伍者である田中にとって、『小説家になろう』と言うサイトは余暇を楽しむサイトから性質を変えていった。社会の暗闇の住人となった田中には、作家デビューに意欲を燃やす若者たちの活動は眩すぎたのだ。
田中のうちに、こうした若者たちを妬む心が生じるのは無理からぬことであった。しかし、田中は嫉妬心を燃やしながらも、『小説家になろう』の閲覧をやめることができなかった。長く親しんできたサイトは生活の一部に組み込まれてしまっていたからだ。
こうして、田中の内なる嫉妬心は燃え上がり続け、遂には憎悪へと至ったのである。そして、田中はある時に決意した、この忌々しいサイトを、この世から追放せねばならぬと。
しかし、田中に『小説家になろう』を消滅させる具体的な腹案があったわけではない。そこで『小説家になろう』で得た知識を元に思案を巡らした結果、魔法を用いれば良いのではないかと思い至った。随分と思考に飛躍があるように思われるが、憎悪にかられた田中には論理的思考力と言ったものは、最早望むべくもなかった。
当然、一介のNEETに魔法の知識があるわけはない。ただ、アニメや漫画で見た様な魔法陣を書き、呪文を唱えれば、きっと『小説家になろう』を、この世から消滅せしめることが可能であろうと言う、根拠のない自信だけがあった。
「小説家になろうで培った知識が、小説家になろうを消滅させるのに役立つとは皮肉だな」
そう言って田中は不器用な笑みを浮かべたのであった。
そして、ある新月の夜、田中は『小説家になろう』を消滅させるための行動を開始した。
まず魔法陣を書く前に、田中は服を脱ぐことにした。特に意味は無い。田中は裸に頼りがちである。大人になると一周して、低レベルなことが面白くなるのである。しかし、なにを一周した結果なのだろうか田中は気になりだした。
そもそも、これから行おうというのは高度に知的な行為である。それをこのような原始的な格好で、全うできるのであろうか――。
田中は数舜の思案の後に、衣服を身にまとう事にした。いっそうのこと、知的なスーツスタイルになろうかとも考えたが、長い年月を経てスーツが着られる体形ではなくなってしまったことを思い出し、田中は少し泣いた。そうして、せめて少しでも知的にと眼鏡をかけた。確かに、セルフレームの黒縁眼鏡は田中に外見上の知性を与えていた。
魔法陣を書くにあたり、特別に用意したものがある。それは、水性クレヨンである。油性ペンや、通常のクレヨンで落書きをして許されるのは幼稚園児までである。チョークの使用も考えたが、後始末の容易さを考え、今回は水性クレヨンを使用することとした。これはフローリングに使用しても水でふき取ることのできる優れものである。いくら世捨て人である田中と言えど、意図的に不可逆な汚損を生じさせる行為にはためらいがあったのである。
田中は、電灯を消した暗闇の中、スマートフォンの明かりだけを頼りに、床に円を書き始めた。円を書き上げて、全体を照らしてみると、いびつな円ができあがっていた。幾度か、書き直したがどうにも歪んでしまう。書いては消しを繰り返し、ウェットティッシュが浪費されていった。暗がりの中で、一部だけを照らしながら円を描くのは困難であった。
田中は少し考えた。そもそも、なぜ暗がりで書く必要があるのか、書いた後に消せばよいのではないか。と思い付き、部屋の電灯ををつけた。天井のLEDからギラギラとした光が降り注ぎ、汚れたウェットティッシュの山が鮮明に映し出された。
明るい照明のもとで、丁寧に直径1mほどの円を描いくことに成功した。次に円に等間隔に点を打って、正三角形を2つ互い違いに描いた。いわゆる六芒星である。魔法陣と言えば五芒星もしくは六芒星。そういった、固定観念があった。そのうち、あえて六芒星を選んだのは、ひとえに描きやすさゆえである。
六芒星を描いた後、田中は少し不安になった。ユダヤ教徒から非難されはしないかと考えたのだ。ユダヤ教の象徴と言えば、言わずと知れたこの六芒星である。その象徴を怪しげな魔法に利用されているのである。非難されたとしても、弁解することができないように思われた。誰もこのやましい行為を見ていないと自分に強く言い聞かせ、何とか不安をぬぐい去った。
円と六芒星を描いたが、何か物足りないように感じられた。いつか見たアニメで外枠の円を二重にし、外円と内円の間に術式を書いていたのを思い出した。
術式とは一体なんなのか。
ここまで雰囲気と固定概念だけで描いてきた魔法陣であるが、急に行き詰まってしまった。
田中はまた考えたが、答えなど見つかるはずもなかった。魔法の知識など欠片も無いのである。そうして考えるのが面倒になった田中は、とにかく、体裁さえ整えれば良いだろうと安易に考えた。田中は過去に幾度も体裁だけ整っているが中身の伴わない書類を作り痛い目を見てきた。それにも関わらず、田中が学習することは無かった。
記号が含まれた式を書けばよかろうと、えいやとマクスウェル方程式を4つ書き連ねた。一度立ち上がり、見まわしてみると、ナブラ記号や外積が何となく術式感をかもし出しているように田中には思われた。魔法陣の完成である。
さて、魔法の呪文であるが、田中は常々疑問に思っていたことがあった。ライトノベルやアニメなどでは往々にして、古めかしい言葉であったり、妙に難しい熟語が使われることが多いように感じていた。なぜ、あえてそのような言葉を使うのか。魔法が現存するのであれば、現在の言葉に翻訳されてしかるべきだし、言葉も学習指導要領に則り平易になるべきでは無いだろうか。所詮は、フレーバーであったり権威付けのために難解な呪文にしているに過ぎない。そのように田中は決めつけていた。
そんな田中が編み出した呪文は、名付けて直接祈願法である。その名の通り、ストレートに要望を唱えるものである。
田中は魔法陣の中心に正座すると、深呼吸を幾度かした後、おもむろに口を開いた。
「小説家になろうを消滅させてください。
小説家になろうを消滅させてください。
小説家になろうを消滅させてください。
小説家になろうを消滅させてください…………」
田中は延々と、この稚拙な呪文を唱え続けた。もはや呪文と呼ぶのもおこがましい、ただのお願いであった。しかし田中には自信があった。
およそ10分ほどで唱え続け、そろそろ切り上げてもいい頃合いだろうと考え始めた、その時であった。
本棚の文庫本が1冊、コトリと音を立てて倒れた。
その音を聞き、田中は怖気立った。自分の魔法が、超常の存在を招いてしまったのではないかと恐怖で一杯になったのだ。
恐怖に駆られた田中は、すぐに布団に飛び込んだ。そして掛布団から体がはみ出さない体を丸めた。露出している部分が、超常の存在によってどうにかされてしまう怖さがあったのだ。掛布団に包まれた田中は、不安を抑えながら眠ろうと目を閉じた。とにかく、夜明けを迎えさえすれば、大体の恐怖は解決すると経験的に知っていた。
しかし、田中は眠れぬ夜を過ごした。比喩ではなく本当に一睡もできなかったのである。
掛布団の外で超常の存在が自分を監視しているのではないか。
魔法の対価に何か大変なものが失われてしまうのではないか。
イスラエルの諜報機関に身柄を拘束されてしまうのではないか。
小説家になろうが消滅したらヒナプロジェクトの社員はどうなってしまうのか。
自分の魔法によってヒナプロジェクトの社員に害が及ぶのではないか。
と言った、様々な不安が田中の心をざわつかせたのだった。
そうして、長い夜を過ごし、ついに夜明けを迎えた。
田中は掛布団を頭から被りながら、PCの前に這いよった。いつものようにPCを付けると、お気に入りから『小説家になろう』にアクセスした。
果たして、『小説家になろう』は、いつもの様に田中を迎えてくれたのだった。
こうして、田中は心の底から安堵した。そして、また呪詛を吐き惰眠を貪る日々が帰ってきたのだった。
小説家になろう様 いつも大変お世話になっております。
もちろん本作はフィクションです。