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三日月は眠る  作者: 詩音
9/24

Chapter:08




「また吸ってるの?」

「別にいいでしょ」

 寒い中で窓は開けてるんだからとでも言いたげな明日香。

 ブラックルームを隔てるドアは今日も開放、というより最近はほぼ毎日開いている。十夜は自室の窓から明日香の煙草の煙と夕日をぼんやり眺めた。

「煙草って周りにいる人の方が毒なんだって」

「じゃあそばに寄らないで」

 冷たい一言だが十夜は慣れたようでまったく表情を変えない。

「……桐原ってさ、誰を一番信用してる?」

 独り言のように小さな声だが、無音に近い環境で自然と明日香の耳にも届く。

「急に何、意味がわからないんだけど」

「結構付き合い長いけどさ。あんまり僕は信用されてない気がする」

「あんただって私を信用してないでしょ」

「まぁね」

 互いに詰まらない距離感。どちらも縮まることは望んでいない。

「自分自身と死体だけかな。僕の信じるすべては」

 身体についた二つ手のひらを見つめて十夜は呟く。

「死体は裏切ったりしないから」

「……そうね」

 明日香が長く吐き出した息は灰色だった。寒い空気が触れているせいか、夕日のせいか鼻がほんのり赤い。

「でも信じるものが死体だけなんて、悲しいと思うけど」

「……意外。桐原がそんな台詞言うとは思わなかった」

 窓から明日香へ視線を移動し、声をやや弾ませる。

 率直な感想を言っただけの本人は面倒くさそうに黒髪をかきむしった。

「馬鹿にしてる?」

「いや? むしろギャップにときめいた」

「……最悪」

 煙は十夜に向けて放たれた。彼は煙さから僅かに眉間を寄せる。

「桐原が煙草なんか止めたら、信じるものに入れてあげるよ」

「死体と同じなんて真っ平ごめんよ」

 短くなった煙草を灰皿に潰して立ち上がる。

 お世辞にも控え目とは言えない乱暴なノックがブラックルームの静寂を壊した。

「休憩中悪い。ちょっと良いか」

 葵の伸ばしっ放しの髪は一定の方向に跳ねていた。とろんとした目が寝起きであることを物語っている。

 それでも彼は明日香達の前に立った。

「この中に知ってる名前、いるか?」

「何ですかこのリスト」

 ワープロで書かれた数枚の書類。名前とその上に振り仮名があるだけで百人近い数がそれに列となって連なる。

 初めて目にした書類に明日香は訝しんだ。

「ちょっとな。で、どうだ?」

「……特にいませんけど」

 うやむやにされたことに不満げな明日香の横に来て書類をのぞき込む十夜。彼の部屋は閉まっていた。

「今のところ僕の知り合いにはなってませんね」

「そうか」

「これ、クレセントに近い人間のリストじゃないですか?」

「相っ変わらずお前鋭いな」

 予想はしていたが感心と呆れが交ざったような笑みを葵は見せた。

「どういうこと」

 書類を持ったまま明日香が十夜に尋ねる。

「僕らは闇の存在。だから知られたら国としてはかなりまずい」

 喋りながら近くにあった灰皿に顔をしかめてなるべく遠ざけた。十夜は煙草の臭いがあまり好きではない。

「いつも政府でそういった調査をしてるんだ。クレセントを知ってしまう一般人がいるかいないか」

「もしもいたら?」

「話せないようにするまでだよ」

「な……っ」

 コンビニへ行く、十夜の口調はまるでそう言っているように軽い調子だった。

 知らなかった事実に驚いた明日香は息を飲む。

「おい静谷!」

 予想外の展開に葵が声を荒げる。

「葵さんも人が悪いですよ」

「あ?」

「三年働いてる桐原にずっと黙ってるなんて」

 数秒の沈黙。戸惑いを隠せない明日香が視線を彷徨わせる。

 顔をぐしゃぐしゃに歪めた葵は近くにあった椅子を蹴り飛ばして出ていった。

「桐原」

 十夜の呼び掛けに彼女は肩が跳ねる。

「わかったろう? 僕らはもう、抜け出せないところにいるんだ」

 政府と内部以外に近い人間がいてはいけない。

 明日香の脳裏に元警察官と名乗った偽者のクライアントが過ぎった。

「この前来た、伊沢って人も……」

 先を言うことは出来なかった。知ることすら恐怖なのだ。

「それが政府との約束だから」

「何で、何であんたは知ってるの」

 彼女は十夜につかみ掛かる。彼のシャツの胸元をきつくつかむ手が微かに震える。

「前にも何度かあったんだ。葵さんに聞いたら渋々答えてくれた。桐原に黙っておく約束だったけど」

 平然とする十夜から明日香は腕をつっぱねて離れた。背を向けて黒いカーテンを握り締める。

「クレセントって」

 普段とは違う弱々しい彼女の声。

「存在する意味、あるの?」

「……さぁね」

 小さな背中を見つめ、十夜は曖昧に笑った。




 小気味良くドアにつけたベルが鳴った。唯一の客が去った一時間後のことだ。

 珍しい客に七緒は目を瞬かせた。

「葵ちゃんたら、まだ喫茶店の時間なのに来たの?」

「ウイスキー」

 カウンターに座り手短に注文を告げた。伸びすぎた前髪であまり表情が読めない。

「……アタシの話聞く気ないみたいねぇ」

 どこから見ても沈んだ様子の彼に七緒は深々とため息を吐いた。

「はい。どうぞ」

「これコーヒー……」

「まだ時間じゃないって言ってるでしょ」

 睨まれてようやく我にかえった。

「悪い」

「良いわよ。お客来なくて退屈だったから」

 七緒はふわりと表情を和らげるが葵は暗い顔のまま。

「何かあった?」

「桐原に、全部知られた。静谷がべらべら言っちまった」

「……そう。あの子が帰ってきたら質問攻めになっちゃうかしら」

 要領よくまとまっていない葵の説明を、七緒はすぐに理解した。長い付き合いは本物らしい。

 くすりと零す七緒の笑い声は困った今の状況を楽しんでいるようだった。

「その様子だと、静谷君に何か言われてここに逃げて来ちゃったんでしょうからね」

「だから悪かったって」

 居心地が悪そうに彼は椅子を座り直す。その様子に七緒がまたくすくすと笑った。

「葵ちゃん、まだ精神的に弱いのねぇ。……彼が強すぎるのかもしれないけど」

 無言で彼はコーヒーを口に運ぶ。

 七緒は結わえていた金髪を解いた。さらりと髪が音をたてる。

「何にせよ明日香には悲しい思いさせたくないわね」

「……そうだな」

 二人の気持ちは同じだった。

「さ、コーヒー飲んだらとっとと事務所に帰ってちょうだい」

「酒は?」

「馬鹿ねぇ、仕事抜け出して来たんでしょ? 終わるまでは駄目」

 長い腕を伸ばして葵の胸板にとんとんと指をたてた。七緒はすべて見通していたようだ。

 説教に近いそれに、ぎこちなく葵は唇を歪める。

「助かるよ」

「何が?」

「俺がどんな状態でもいつもお前は普通に振る舞ってくれる」

「何年付き合ってると思ってるの。当然でしょ」

 ゆったりとした時間は、喫茶店からバーに変わるまで続いていた。




「七緒さんも知ってたの?」

「早く帰ってきたと思ったら、恐い顔してどうしたの?」

 淡いオレンジの照明が店を彩っていた。時間帯はバーに変わっている。

 肩をいからせてクレセントから帰ってきた明日香に七緒は首を傾げる。理由を知っての行動だ。

 空いているカウンターにカバンを叩き付けるように置く。

「答えて。葵さんが来たでしょ、話はもう聞いてるはずよ」

「……ばればれじゃないの」

 簡単に見透かされる友人に呆れて小さくぼやく。

「今は仕事中なの。終わったら話すから、上に行ってなさい」

 珍しい七緒の強い口調に押されて、彼女は渋々二階の部屋へ上がった。

「待たせちゃった?」

「別に」

 バーの片付けを終えると午前二時をまわる。程よい疲労感で二階のリビングに帰った七緒を明日香が待っていた。

 感情のない濁った彼女の瞳が七緒を映す。

「そんな顔しないでよ。ちゃんと質問には答えるから」

 カーペットに座っていた明日香の正面に七緒が腰を下ろす。

「クレセントを知った人間の末路、七緒さんわかってたんでしょ? 何で言ってくれなかったの。三年以上、一緒に働いてるのに」

「もしアタシが真実を言ったら明日香はどうした?」

「それは」

「特にどうも出来ないでしょう」

 七緒は明日香の言い訳を聞き入れることなく言った。

 白いテーブルに肘をつき、両手を絡める。

「非情でもスムーズな仕事を求めるクレセントに、貴方は優しすぎる」

「そんなことない……!」

 現実を突き付けられた。明日香はテーブルを叩いて立ち上がる。

「じゃあその動揺は何?」

 怒りを滲ませたような七緒の瞳は不安定に揺らいでいた。

「辞めても良いって言いたいところだけど、国から何をされるかわからないわ。内情を漏らされたら困るからその前に殺されるかもしれない」

 一気にまくし立てて七緒は息をつく。

 クレセントに深く関わってから離れることなど、簡単には出来ないのだ。

「辞めない」

「え?」

「クレセントに入るのを決めたのは私自身だから最後までやる」

 はっきりとした口調で紡いだ。先程とはまったく違う、曇りのない瞳。

「クレセントがなくなるか、私が死ぬまで」

「その頑固さ、絵理子さんそっくりね……」

 しみじみと七緒は呟く。微かに懐かしんだ柔らかい笑み。

「母さんの名前は出さないで」

「あら、ごめんなさい」

 空気を変えようと七緒はぐっと伸びをする。明らかな疲労が明日香にも七緒にも見えた。

「煙草一本もらえる?」

「吸うの珍しいね」

 常備している煙草と携帯灰皿を渡すと短い礼が返ってくる。

 滅多に見れない光景に明日香の心情が無意識に言葉となって出ていた。

「明日香と同じよ。精神安定剤」

 独特の味に最初は眉をひそめたが、しばらくすると慣れた様子で煙を吸い込む。

「他に質問はあるかしら」

「もう充分。ありがとう」

「崩れ始めたかしらね……」

 明日香が自室へ向かい閉まっていくドアを見ながら七緒は煙をくゆらせた。








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