Chapter:07
非番の日、研一は小さな定食屋にいた。昭和の香り漂うそこは彼にとってなかなか新鮮味のあるものだった。
午後二時の遅い昼食は待ち合わせのため。
「お待たせしました」
白髪交じりの頭で悠々と現われた二宮慎吾に研一は軽く会釈した。
「いやぁ、また会えて光栄ですよ」
「……手短に話したいんです」
のんびり昼食を食べる気はない、遠回しにそう言っていた。
「あぁそうでしたね。メールにもそんなようなこと書いてありましたっけ」
強気な言葉にあまり動揺した様子もない。二宮慎吾は重い身体を背もたれに預けて品書きを眺めている。老眼なのか品書きとの距離が遠い。
「何食べます?」
「食べてきました」
「そうですか。おばちゃん、日替わり一つね」
水を置いてすぐ厨房へ隠れた店員に慣れた様子で二宮慎吾は声を張り上げた。
「で、何か気になることが?」
「先日居酒屋で会ったとき、何かを知ってるように見えました」
田口らと揉めそうになったときの彼の態度が研一は頭から離れなかった。
だから誰にも相談せず黙って目の前の記者に連絡を取ったのだ。
「二宮さんはクレセントについて何か知ってるんですか」
「海野さん、でしたか?」
「はい」
「失礼ですがずいぶん警戒心のない方だとお見受けします」
唐突な批判に研一は目を瞬かせた。
静寂の空間に割烹着を着た店員が割り込む。キツネ色に上がったアジフライはふわりと湯気がたっていた。
「クレセントは一般人には知られていない情報。それを簡単にマスコミへ流すような行為は止めた方が良い」
「流すなんてそんな……」
「現に今、こうしてワタシに話してるじゃありませんか」
二宮慎吾はドラマで取り調べをする刑事のように研一を追い詰めていく。
「もしもワタシがそれを知らなかったらどうするつもりだったんです?」
「……すみません。浅はかでした」
言い訳もせず謝罪した。愚かさを痛感したのか、その表情は暗い。
短く息を吐いて二宮慎吾は割り箸を手にする。
「貴方は幸運な人だ」
「え?」
「ワタシが知ってることすべて、教えてさしあげます」
出来たてのアジフライにかぶりつき、記者はにやりと意地の悪い笑みを見せた。
最寄りの駅から約三十分歩いたところに研一の目的地はあった。
「ここか……」
オフィス街から少し離れた位置にある公園は、一部ホームレスの住居としても使われている。
しばらく歩き回った研一の前には青いビニールシートで作ったテントがあり、面影のある人物がしゃがんで何かしていた。
「伊沢さん、ですか?」
男の前に立って尋ねる研一。彼に視線を合わせようと腰を曲げると、伸びた髪に邪魔された虚ろな目が見えた。
研一は確認しただけだ。伸び放題の髪や髭に泥で汚れた身体で本当に自分の目が正しかったのかどうかを。
「やめろ」
鋭い声に勢いよく後ろを振り向いた。
伊沢に似た風体の四十代くらいの男は肩に担いでいたゴミ袋を地面に置いた。一帯を仕切るリーダーなのだろう、周りの仲間の視線が研一達に集まっている。
「そいつは話せねぇよ」
「話せない?」
「ここに倒れてたとき、もう何も喋れなかった」
介抱したのも現在面倒を見ているのもおそらく彼なのだ。
赤の他人でもここでは家族同然。幾分か心配そうに伊沢颯をみていた。
「兄ちゃん、こいつの知り合いなのか?」
「いえ……知り合いに、似てただけみたいです」
石像から目を離すことが出来ずに研一がぼんやりと答えた。
「すみませんでした」
顔見知りだったにもかかわらず彼は他人だと言った。そうするべきだとなんとなく感じたのだろう。
二人に深く頭を下げて、公園の外へ頼りなげに歩く。
「駄目だったでしょう?」
近くのベンチに座っていた二宮慎吾はベージュのコートのポケットに手を突っ込んだまま研一に近寄る。
「話せなくなるほど、酷い扱いを受けたようだ。何もわからず終いで困りましたね」
持ち前の行動力で見つけた手掛かりの閉口に記者は白い息を吐き出した。
「あんなに、なるんですか……」
「場所を変えましょうか」
相当参っている研一の姿に、彼はすぐさま提案した。
「ちょっと刺激が強すぎましたかね」
伊沢颯の居場所を教えた二宮慎吾は苦笑しつつコーヒーを口に含んだ。
どこか聞き覚えのあるクラシックが流れる小さな喫茶店に、客は彼と研一の二人だけ。店主も注文の品を渡すと奥に引っ込んでしまった。記者は何度か訪れていて顔馴染みらしい。
「あまり慣れてないんですね」
移動中からうつむいたままだった研一がぱっと顔を上げる。青白く情けない顔だった。
「あぁ、気を悪くされたのなら謝ります。ただ……今の世の中を貴方は少しも知らないように思えるんです」
「確かに俺は世間知らずです。認めます」
真摯に受け止める。それが研一の強みだと二宮慎吾は思った。
つい先程までの青白さが一変して警察官の顔つきになっている。
「だからこそ知りたいし、知るべきだと思うんです」
「お気持ちは充分わかりました。まぁワタシにとってもクレセントは興味深い件ですからね、最後まで付き合いますよ」
「ありがとうございます」
研一はほっと肩を撫で下ろした。
ふと店内の曲調が変わる。
「さて、今度はワタシからお願いです」
「え?」
「ワタシは貴方にほぼすべての情報を伝えました。それで海野さんの気持ちは晴れるかもしれませんが、こちらへのお返しがまだです」
にやりと悪戯っぽく笑う。
「マスコミがただで警察に情報を教えると思いましたか?」
「それは……」
確かに有り得ない話だ。そもそも犬猿の仲に近いはずなのに。
指摘に答えられず研一は言い淀む。
「ギブアンドテイク、でしょう?」
渡した価値相応の対価を出せと彼は言っているのだ。二宮慎吾はそれが目的だった。
「俺は情報なんて何も」
「わかってますよ。ワタシだって馬鹿じゃあない」
新人警察官の台詞が嫌でも予想出来て記者は口端を更につり上げる。
「この話の行く末です」
「行く末?」
研一は聞き返す。
「そう。貴方はきっと必然的にクレセントの事件に巻き込まれるでしょう。現にもう、彼等の存在を知ってしまった。後には退けません」
「大丈夫です」
どこから来たかわからない研一の自信。
今度質問を投げ掛けたのは二宮慎吾だった。
「と、言いますと?」
「最後までついていきます。クレセントなんて、あったらいけないんだから」
「そうでしょうか」
「え?」
クレセントを絶対悪と言い切ったが否定的な意見に目を丸くする。
「近年、この国の人口は増え続けています。いずれ世界でもトップになるかもしれません」
嫌な笑みは消えていた。固くなった表情から読み取れるものは何一つない。
「それとクレセント、どう関係するんですか?」
「人が増える分、欲や闇の部分も増します」
すでにクラシックは彼等の耳には入っていない。
「死にたがる人も増えたでしょう。それなら殺せば良い、人数が減って一石二鳥だと政府は考えたんですよ」
「殺すのはクレセントに任せているんですね」
「まぁ、彼等には関わりたくない汚点なんでしょうから」
苦虫を噛んだような顔の研一。汚れ役を他人に任せて堂々と国民に演説する政治家に吐き気すら覚えた。
「貴方がそんな顔をしても何も変わりゃしませんよ」
「……わかってます」
若干不機嫌な表情になりながら、研一は冷めて温くなったコーヒーを口に運んだ。




