Chapter:06
「クレセント?」
「原義は三日月だと。不完全な月が自分達に似てるって理由で付けられた名前だそうだ」
居酒屋でのことだ。海野研一はビールを片手に職場の先輩である田口、内山と飲んでいた。三人は年齢も近く、親交もそれなりにある。
「自殺志願者を殺す政府直結の組織か……」
ただ飲むだけのはずがいつの間にか仕事の話に変わっていき、内山がぼそっと呟く。ブランド志向の彼は、いつも高級感ある服に身を包んでいる。どちらかと言えば熟考タイプだ。
「そこに伊沢さんが潜入したんですか?」
「あくまで噂だがな」
生ビールを一気飲みした田口は次々に料理の追加をしていく。元柔道部で鍛えた身体は今も現役で、どちらかと言わずとも即行動タイプだ。
「署内じゃ一匹狼だったから、あんまりみんな興味持ってないらしいな」
検挙率がトップだった彼の過去を、署内で知らない者はいなかった。今は交通課に移動したが、単独行動をするのは変わらず。
「どうせ上からの圧力だろ」
「圧力……」
二人の会話に遅れ気味の研一。彼も伊沢颯の経歴を耳にしている一人だ。
騒がしい周囲にかけ離れた彼等三人のテーブルは、どこか重い空気が流れていた。
「海野、お前もう少し周りに目を向けろよ」
「確かに鈍感だな。警察官のくせに」
「くせにって、同じ職場じゃないですか」
研一は眉尻を下げて言い返すが、新人教育だと片付けられてしまった。
「……それで、結局伊沢さんはどうなったんですか?」
一口二口酒を喉に流し込み、空になったグラスをテーブルに置いて研一が二人に尋ねる
怖い物見たさに近い好奇心。明らかにそれが彼の瞳に宿っていた。
「俺らに聞くなよ」
「って言うより、署内で誰も知らないんじゃないか?」
「知らない?」
期待外れな回答に研一も声が荒くなった。
複雑そうな顔で互いに見合わせる田口と内山。内山からのアイコンタクトで田口は向かいに座る研一に身を乗り出す。
「これも噂だから、鵜呑みにするなよ」
巨体に似合わず小声を出す田口。話にのめり込む研一を尻目に、内山はただグラスを傾けていた。
「クレセントの内情を知った人間は政府によって存在自体を消すらしい」
「それって」
彼の口から続きが出ることはなかった。それほどまでに、この空間には不釣り合いな血なまぐさい話だったのだ。
「ま、噂とはいえむやみに関わらないことだな」
「次は我が身ってことだ」
世間を知り、上手く共存し始めた二人は淡々としていた。
納得がいかない顔の研一はただ二人を見る。
「面白そうな話ですねぇ」
妙に粘っこい声がした。田口と内山は無言で威圧、研一にいたっては驚きに肩を跳ねさせる。
「ワタシも話に入れてもらえませんか?」
カウンターで飲んでいた男はネクタイをゆるめながら三人を見てにやりと笑った。
「何だ、あんた」
喧嘩っ早い田口が警戒心を露にする。
「失礼」
名刺を差し出す。近くにいた研一がそれを受け取った。
「二宮慎吾。しがない雑誌記者ですよ」
「話すようなことは何一つない」
田口がぴしゃりとはねのけて立ち上がる。
「悪いが失礼する」
手早く会計を済ませた内山がコートを脇に挟みさっさと店を出ていく。田口もそれに続き、研一は数秒後慌てて後を追いかけた。
不思議がる部外者達をよそに、二宮慎吾はくつくつと笑って酒を口に含んだ。
「田口さん、内山さん!」
ばたばたと物音をたて研一は二人に追い付く。
「記者に何か話してみろ。ろくなことにならないのは目に見えてる」
「もうこの話はやめた方が良いな」
研一がいない間に話がまとまったらしい。内山が息の乱れた彼を振り返って見る。
「クレセントの件は忘れよう」
「そんな……。じゃあ伊沢さんは」
「海野、自分と他人どっちが大事だ」
「それ警察官の台詞ですか」
このとき、研一は初めて田口に嫌悪の情を催した。
「警察官の前に一人の人間なんだよ」
そこで話を終わらせるような言い方をされた。
口答えする権利さえ、研一には与えられない。
「……二宮慎吾」
歩き出している二人の背中をじっと見つめて、もらった名刺をきつく握り締めた。