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三日月は眠る  作者: 詩音
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Chapter:05




 伊沢颯の一件から約一週間が経った。

「お前ちゃんと勉強してんのか?」

「ほどほどには」

 すっかり元の雰囲気に戻ったクレセントは、暇を持て余していた。

 仕事に飽きた葵が嫌がる明日香を無理矢理巻き込み世間話に興じている。

「最近は仕事ないから来なくても良いんだぜ? うちは隠れ国家公務員みたいなもんだから月給はちゃんともらってんだし、経費も出てる」

 堂々としたお金を彼等が使えていないことは確かだ。

「葵さんは?」

「俺は長だからほぼ毎日出勤が義務なの!」

 休めるんなら休みたいという嘆きの言葉を耳に入れながら、明日香は一つ提案した。

「せめて経費でソファくらい買い換えてくれませんか?」

 とうとう布が破けてばねが飛び出してしまった。幸いにも二人掛けの片方のみなので、一対一の応対が多いクレセントにはそこまで困った話ではないが見栄えが悪い。

「無理。競馬で消えた」

 こっそり博打で使った金を経費に回しているらしい。経理は七緒が担当しているが、上手く丸め込んだのだろう。

 明日香は盛大にため息を吐き出した。

「相変わらず苦労してるわねぇ、桐原さんは」

 猫撫で声が空気を変えた。呆れた中にも笑いが入っている。

「新井先生」

「ごめんなさいね。話に夢中で気付いてもらえないから勝手に入っちゃったわ」

 事務所のドアからゆったりと入ってきた新井鈴香(アライスズカ)は悪びれた素振りもなく言った。

 ふくよかな彼女は高そうなツイードのスーツを身に着けている。耳には大きなダイヤモンドのピアスが飾られていた。

「これ、お土産」

 有名なブランドのバッグと一緒に持っていた紙袋を渡す。それもまた、テレビ等に出ている人気のものだった。

「いつもすみません」

「良いのよぉ。こっちもクレセントには美味しい思いさせてもらってるんだから」

 丁寧に頭を下げる明日香。それを見た新井鈴香はにっこりと笑みを浮かべる。

「先生。今日は土産だけですか?」

 にやりと葵が口の片端をつり上げる。新井鈴香は短く息を吐いた。

「ホント、貴方は勘が働くわねぇ」

 ブランドバッグから手帳を取り出し、中のメモを一枚破る。それをひらひらと葵に見せつけた。

「また依頼したいの。これに書いてあるリストの臓器、いただけるかしら?」

「腎臓に膵臓……おっと、血液もですか」

 動く紙をつかみ、やや興奮気味に葵が文字の羅列を読み上げる。

「適合するかは対象が見つかってからすぐに確認したいわ。まぁ血液はよほど汚れてなければいくらでももらうけど」

「いつもありがとうございます。ちゃんと担当の奴に伝えますんで」

「担当って……静谷君だったかしら?」

 曖昧な記憶を探り当てる際、新井鈴香はいつもこめかみを一定のリズムで軽く叩く。

 肯定をすれば彼女はすぐさま体勢を変えてにっこりと微笑む。

「彼にはいつかうちの病院に来てほしいわね。あぁ、勿論医者としてよ? あの摘出技術って自己流らしいじゃない、見事だわ」

 べらべらと喋る彼女の瞳は、爛々と輝いている。

 そうして十分ほど会話を楽しんだ後、満足げに帰っていった。




「桐原、茶ぁ飲みたい」

「早速食べるんですね」

 大雑把に包み紙を破く葵。何だかんだ言って予想済みの明日香はすでにコーヒーをドリップしていた。

「それにしても、あいつは器用にこなすよな。手術も刺青も」

 明日香はぽたぽたとカップに落ちていく黒い液体を眺めつつ葵の言葉に耳を傾ける。

 彼は十夜の飾る写真を何度か見たようだ。刺青を知っているのだから。

「あれが天才って奴かねぇ」

「さぁ……」

 コーヒーを葵の前に置いた。土産のクッキーを無造作に口へ運び、しばらく沈黙が続く。

「静谷がたまに恐くなる」

「……え?」

 噛み砕きながらの何気ない呟きに明日香は目を瞬かせることさえせず聞き返した。

「あいつは俺らが考えてるよりずっと先を見てんだよ。末恐ろしいねまったく……」

 葵はどこか遠い目をしていた。

 買いかぶりすぎだと判断した明日香は訝しがりつつも曖昧に返事をする。

「静谷にクッキー、持ってってやって」

「……私が?」

「野郎が茶ぁ出したって不味いだけだろ。新井先生はほぼ静谷のために買ったんだろうしな」

 彼の予見は、勿論明日香にもわかっていた。静谷に会わずとも必ずクレセントにいるとき会話に出て来るからだ。将来の期待もかなり大きい。

「たぶん部屋にいるから」

「……わかりました」

 すでに三割近く減ったクッキーの中から適当に摘んで紅茶とともに彼女は席を外した。

「静谷と対等に接してるあたり、桐原も大物だよなぁ」

 葵の独り言は、誰かに聞かれることなく消えていった。




 ブラックルームに入ると、静谷の部屋がまた開いているのがわかった。

 木製の椅子に座った十夜は、窓枠に両足を乗せて黙々と本を読んでいた。

「クッキー持ってきたんだけど」

「食べる」

 本から顔を上げずに指で置き場を指示する。その態度にむっとした明日香は、少々乱暴にお盆を置いた。

「ありがとう」

「……何読んでるの?」

 彼がむさぼるように読み耽る本に興味を持ったらしい。ちらりと横目で十夜を見ると彼は真剣な表情を変えなかった。

「解剖関係。そこの本棚で気になるものがあったら貸すよ」

 黒塗りの板で出来た本棚は、隙間なく埋まっていた。臓器や器官の専門的な本や手術に関する知識の載った書物がびっしり並んでいる。

 明日香が唖然としている中で間の抜けた声が耳に届いた。

「あの女医さん来たんだね。クッキーがいつもより高級だ」

 手探りで土産の品をいそいそと口へ運ぶ十夜。

「その先生がいつか医者としてあんたを呼びたいって言ってた」

「そう」

「興味ないの?」

「うん。まったく」

 あまりにはっきりした答えに、彼女は若干拍子抜けした。

「桐原だって卒業してからもここ、続けるだろ?」

「……さぁ」

「俺は続ける。もう普通には戻れない」

 普遍から遠ざかっていく異端なクレセント。彼等はもう進む道しかなかったのだ。

 出て行こうとする明日香にようやく十夜は顔を上げる。

「深く聞かないんだ?」

「聞いたら私も教えなきゃいけなくなるから」

「そう」

 遠回しに答える気がないと明日香は言っているようだった。

 再び彼は本の世界へ浸かっていく。

「戻れない、か……」

 頭に刷り込むように呟き、明日香は事務所に向けて歩き出した。




「静谷」

「あれ、葵さん?」

「俺はもう帰んぞ」

「あぁ……お疲れ様でした」

 ノックだけでは気付かないほど十夜は読書に没頭していた。

 呆れた顔の葵はすでにコートを着込んで帰宅準備万端だ。

「今日も泊まるのか?」

「はい。帰っても誰もいないので」

「それはこっちだって同じだっての」

「そうでしたね」

 拗ねたような彼の口調に十夜がふっと柔らかく笑う。

 葵は小さく咳払いした。

「静谷君」

「また臓器の依頼ですか?」

 葵が言うより早く重ねられた質問。それは完璧に的を射ていた。

「桐原が言った?」

「いえ、新井先生が来たとだけ聞きました。葵さんが僕を君付けで呼ぶのは仕事で頼み事があるときだけなのでカマかけてみただけです」

「なるほど」

 それなら話が早いと判断した葵はコートのポケットから新井鈴香が書いたメモを渡す。

「これがリスト」

「適合しそうな人がいればやってみます」

 ざっと目を通して彼は軽い調子で答える。慣れた作業らしい。

 椅子と揃いの机には、臓器の絵に外国語での説明文が書かれた紙が散らばっていた。

「……聞きたかったんだけどさ」

「はい」

「お前どこで寝てんの?」

 事務所には二人掛けのソファがあるため寝床として使うことも可能だが、ここには一人用しかない。

 男には窮屈な代物だろう、そう予想した葵の疑問はあっさり解決した。

「そこです」

 十夜は部屋の中央にある手術台を指差していた。台の真上には大きなライトが設置されている。

「死体と同じとこ?」

 目を丸くする葵に彼は頷く。生から死へ導く場所を彼は寝床として使っているのだ。

「はは、良い趣味してんな……」

 葵にもそれは理解に苦しむらしい。笑っても片方の頬が引きつっていた。

「じゃ、お疲れ」

「葵さん」

「あ?」

「桐原、まだ気付いてないですよね」

「……当たり前だ」

 ぐっと眉間のシワが深くなる。唸るような低音の声は、本当に小さかった。

「すみません」

「もし知ったら、半殺しじゃ済まねぇぞ」

「それは困るな」

 十夜は少し悲しそうに笑った。








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